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世界史に見られるランドパワーとシーパワーの戦略VOL202 江田島孔明

秀才不出門、能知天下事

■ 意 味 ■ 秀才は門を出でずして、ことごとく天下の事を知る。

今回は、最近の北京とモスクワの動きから、ランドパワーというのもの本質を検討したい。
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私の分析の手法は、各国の一次情報に頼るのではなく、歴史を鳥瞰し、そこから、普遍的法則を導き、現実に起きている事象の背景に迫るというものだ。

これは、各国の一次情報に頼った分析が、結局は「ミイラ取りがミイラになる」事を生み、国家を誤らせたかっての歴史の反省にたったもので、「独立と客観」こそが私の分析の生命線だと自負する。

この観点から、私が最近考えている事は、「ランドパワーとシーパワーにとって、最大の危機とは何か?」ということだ。

結論は、「ランドパワーにとっての最大の問題は後継問題であり、シーパワーにとっての最大の問題は財政破綻だ」ということだ。

ロシア大統領と首相
 国家元首である大統領は外交を統括、軍最高司令官として国防を指揮する。下院の承認を得て首相を任命し、首相以下全閣僚を解任できるほか、非常事態導入などの強大な権限を持つ。一方、首相はナンバー2として政府を統括。大統領が辞任、死亡したり職務遂行不能となった場合は大統領代行を務める。プーチン首相は下院の3分の2以上を占める与党「統一ロシア」党首にも就任、メドベージェフ大統領に並ぶ強い権限を握るとみられている。 (共同)
プーチン氏、首相就任 ロシア下院承認 双頭体制がスタート
(2008年5月9日掲載)
 【モスクワ8日共同】ロシア下院は8日、メドベージェフ新大統領が指名したウラジーミル・プーチン前大統領(55)の首相就任を、共産党を除く賛成多数で承認、新旧大統領が政権運営に当たる異例の「双頭体制」がスタートした。
 プーチン氏は下院の7割を占める与党「統一ロシア」の党首にも就任し、同党を通じて議会や地方をまとめ、国民の高い支持を背景に当面、強い実権を維持するとみられる。同氏の首相就任は大統領就任前の1999年8月に続き二度目。
 下院でプーチン氏は、ロシアは購買力平価で換算した国内総生産(GDP)で今年中に英国を抜き世界6位になれると演説。10-15年で国民生活を世界最高水準に引き上げるとの目標を掲げ、長期にわたって政権にかかわる意欲をにじませた。高いインフレ率については数年以内に1けた台に抑えるとした。
 メドベージェフ大統領は承認に先立ち「プーチン氏は首相としてロシアの発展に重要な役割を担う」と説明。「疑いなく、われわれの二人三脚の協力関係は強固になっていく」と強調した。
 7日の就任演説で自由と法治主義を強調しリベラル色をにじませたメドベージェフ氏はプーチン氏と協議してきた新内閣の顔触れを近く発表する見通しで、政権人事で影響力を発揮できるかどうかが注目される。
 憲法上、大統領は首相解任権を握っており、メドベージェフ氏が力を付けた場合、プーチン氏との権力の均衡が崩れ政治的混乱に陥る恐れもあると指摘されている。
 7日の大統領交代に伴い、ズプコフ内閣は同日総辞職した。前閣僚は新内閣発足まで閣僚代行を務める。


 まず、前号で述べた様に、ランドパワー崩壊とは日本の戦国時代の武田家が典型だが、指導者のカリスマが強烈なときには起きにくいが、一旦後継問題が紛糾すると、容易に起きてしてしまうという法則をもつ。

 そして、中国もロシアもそれぞれ、毛沢東、スターリンという戦国大名が「戦争に勝って」建国したという歴史を見れば、日本の戦国時代と大差無い事が理解される。
 重要な点は、それぞれ、毛沢東、スターリンという戦国大名を失い、深刻な後継問題に悩まされている点は全く同じだが、ロシアはKGBという諜報機関に権力を集中し、プーチンをスターリンの後継者として、育成しようとしている。

 しかし、中国共産党は、そのような、「毛沢東の後継者」を、結局は、育成できなかった。

日中戦略的互恵を推進 首脳会談・共同声明 「ガス田問題進展」
2008年5月8日 00:51 カテゴリー:政治
 福田康夫首相は7日、中国の胡錦濤国家主席と官邸で会談した。両首脳は1972年の日中共同声明から4番目の共同文書「戦略的互恵関係の包括的推進に関する日中共同声明」に署名し、地球温暖化対策の協力に向けた共同声明などを発表。中国は共同文書で初めて戦後日本の歩みを積極評価した。胡主席は日本の国連安全保障理事会常任理事国入りに肯定的姿勢を表明。声明は2050年までに世界全体で温室効果ガス排出量を半減させる長期目標に中国が「留意し措置を検討する」と明記した。
 胡主席は6日に来日。中国国家元首の来日は98年の江沢民主席以来10年ぶり。同日の非公式夕食会で雌雄のパンダ2頭貸与を首相に伝えた。
 両首脳は声明で未来志向の日中関係を確認。中国は「日本が戦後60年あまり、平和国家としての歩みを堅持し、世界の平和と安定に貢献していることを積極的に評価する」と言明。会談では、関係強化のため首脳同士が定期的に相互訪問することで一致した。
 東シナ海のガス田開発問題に関しては「大きな進展があり、解決のめどが立った」との認識を共有したが、合意には至らなかった。ただ日本外務省によると、共同開発する海域の一部では双方の立場が一致した。
 中国製ギョーザ中毒事件では、首相が「断じてうやむやにできない」と真相究明の意思を強調、重ねて捜査協力を求めた。
 首相が日本の常任理事国入りに支持を求めたのに対し、胡主席は「日本の国連における地位と役割を重視し、さらに大きな建設的な役割を果たすことを望む。今述べたことからこの問題での中国の積極的な態度を感じてほしい」と応じた。
 チベット問題で胡主席は4日のダライ・ラマ14世側との接触を説明し「今後も話し合いを続けていく」と明言。首相は会談後の共同記者会見で、北京五輪開会式への出席を「前向きに検討する」と述べた。
 両首脳は北朝鮮核問題について「完全かつ正確な核計画申告」履行に向けた連携で一致。首相は拉致問題を解決し、日朝国交正常化を目指す決意を示した。
 胡主席は、都内で民主党の小沢一郎代表ら各党幹部とも会談した。
=2008/05/08付 西日本新聞朝刊=


胡錦濤の来日の真の意味は、「いかに、彼が国内で基盤が無く、脆い存在か」表しており、端的に言って、「日本に助けを求めに来た」といってもいい。
このような行動をとると、ランドパワーの世界では、「舐められる」し、致命的な失点にもなるというのが、世界史の真理だ。
私が「ランドパワーの敵はランドパワー」と見なす理由はそこにある。
日中戦争は、蒋介石率いる中国国民党政権下ではじまった。
終戦に際して蒋介石が、「以徳報怨(怨みに報いるに徳を以ってする)」政策をとって、日本に賠償を求めなかったのは周知のとおりである。
さらに興味深いのは、蒋介石を追い落として政権をとった中国共産党のドン、毛沢東の日中戦争観である。

かれは、堂々と、日本侵略に感謝しているのだ。
もし胡錦濤主席が、それに類したことをひとことでも漏らしたら、たちまち政敵の餌食になって、失脚する可能性すらある。

毛沢東の感謝のことばは、昔、社会党の佐々木更三委員長の訪中の際に伝えられた。
そして、日中国交回復に際して訪中した田中角栄首相に対しても、毛沢東は述べた。
後者に関しては、毛沢東の元主治医、李志綏の著書、邦訳の場合は、新庄哲夫訳『毛沢東の私生活(下)』(文藝春秋)(352頁~353 頁)に出てくるので、参考までに引用しておきたい。

「毛沢東はニクソンよりも田中との会談のほうがずっと心強く、親しみ深かったと思った。田中が日本の中国侵略を謝罪しようとしたとき、毛沢東は日本侵略の『助け』があったからこそ共産党の勝利を可能ならしめ、共産中国と日本の両首脳があいまみえるようになったのだと請けあった」

敵の敵は味方、という論法からいけば、八路軍(中国共産党軍)にとって、蒋介石軍と対決する日本軍は、好ましい存在であったのはたしかだ。現在、中国共産党政権が、毛沢東語録など、そ知らぬ顔で、旧日本軍のあれこれを徹底的にたたいているのだから、歴史というのは皮肉である。
昭和39年に社会党の佐々木更三委員長の謝罪に対した、毛沢東初代国家主席・中国共産党主席の言葉。「何も申し訳なく思うことはありませんよ、日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらしました。中国国民に権利を奪取させてくれたではないですか。皆さん、皇軍の力なしには我々が権利を奪うことは不可能だったでしょう。」(「毛沢東思想万歳」(下))
[書評]田中角栄と毛沢東(青木直人)


 「田中角栄と毛沢東―日中外交暗闘の30年(青木直人)」(参照)という本がまさに題名の問題にとってどれほど重要な情報を提供しているのかよくわからないが、この問題について近年扱った書籍としては類書がないようだ。小学館あたりから出版されているならSAPIOみたいなものかと思うがちょっと左がかった講談社から出ている。
が、それほどイデオロギー臭がするわけでもない。
読書人なり歴史に関心を持つ人に特にお勧めというほどの本ではないものの、今朝の朝日新聞社説”歴史認識 政治家が語れぬとは ”(参照)を読みながらこの本のことを思い出した。
話のきっかけは日中国交正常化について触れた朝日新聞社説のこのくだりである。

 外交とは、水面には見えない交渉が下支えしている。
国交正常化の際、中国側はこの理屈で、まだ反日感情の強く残る国民を納得させ、賠償を放棄した。日本はそれに乗って国交回復を実現させた。

朝日新聞はさも日本人だれもが共通理解を持っているかのように、日中国交正常化を下支えした交渉の存在を語っているのだが、それはそれほど自明なことだろうか。
中国共産党政府による対日賠償放棄についても同じだ。
なにより、「日本はそれに乗って国交回復」という背景についてどのように考えるべきなのだろうか。
朝日新聞社説執筆子にはある強固な歴史解釈があり、それは明言しなくても日本国民はわかれ、というような印象だけをここから受ける。

 「田中角栄と毛沢東」を読まなくても、まず対日賠償放棄の歴史的な背景は台湾問題とのバーターであったことは理解できるだろう。
 その一点だけでも、朝日新聞社説執筆子の史観には整合していないのではないか。
 すでに蒋介石は対日賠償を米国側の要請により放棄していた。

 あの時中共が対日賠償を蒸し返せばそうでなくても危ない橋を渡っていた田中角栄はどうなっていただろうか。
 いや、後の田中角栄の末路が早まっただけとも言えるかもしれないが。
 また、後の対中援助は実質的には賠償金の意味合いを持っていた。

 この背景について同書はこう触れている。

周は首脳会議で、国交正常化の見返りに日本側の懸案だった賠償金請求権を放棄すると示唆した。中国が最大のカードを切った目的は、日本と台湾の間に楔を打ち込むことだった。周は「内部講話」で、対日賠償請求権を放棄して日本に恩を売り、台湾との関係を切らせるのだ、と演説している。賠償は「友好」の美名のために放棄されたのではなかった。それは日本が台湾を見捨てることを引き換えにした取引だったのである。

 対日賠償放棄の問題は当初の日本側の最大懸念であったとはいえるかもしれないし、中国側の応答には水面下の交渉でも見えない部分はあったのかもしれない。
 だが、それは単純に友好を目指した水面下の交渉でなかった。

 中国の意図はどこにあったのだろうか。
 将来の中国の経済的な発展だっだだろうか。
 もちろん、それはある。

 だが、おそらく大枠は冷戦構造にあり、さらに中国とソ連の緊張関係にあっただろう。
 同書では毛沢東が田中角栄に次のように語っていたと伝える。

「あなた方がこうして北京にやってきたので、どうなるかと、世界中が戦々恐々として見ています。なかでも、ソ連とアメリカは気にしているでしょう。彼らはけっして安心はしていません。あなた方がここで何をもくろんでいるかがわかっているからです。」

「ニクソンはこの二月、中国に来ましたが、国交の樹立まではできませんでした。田中先生は国交を正常化したいと言いました。
 つまりアメリカは後からきた日本に追い抜かれてしまったというわけです。ニクソンやキッシンジャーの胸にはどのみち気分の良くないものがあるのです。」

 本当にそんなことを毛沢東は告げていたのだろうか。
 仮にそうであれば、毛沢東の意図は、対ソ・対米に日本を大きく使うということだった。

 そして、同書では毛沢東は中国の敵は中国の中にあるとまで言っているが、内政的な権力問題も関連した。
 田中角栄は、中国のある勢力にとってその表向きの失脚後も重要な意味を持ちづけた。
 中国の要人たちは目白詣を繰り返した。
 中国的な義の倫理行動でもあっただろうが、単純にそう見るだけで済むわけもない。
 そして、その交流を小沢一郎がじっと継いできた。

 田中の失脚にまつわる歴史にはオモテの歴史からは見えない部分が多い。
 だが、単純に考えれば胡耀邦の路線は日本の田中角栄から小沢に流れている。
 今朝の朝日新聞社説はちょっと読むと中国様が後ろでぷうぷうしているようにも見えるが、たぶん、胡耀邦を継いだ胡錦涛中国の思惑はそんなところにはないだろうし、むしろあの時の毛沢東の戦略に近いもののように思える。

 思うに、毛沢東は、無学ではあったが、冒頭で紹介した「秀才不出門、能知天下事」を地で行く人材だ。
 中国の不幸は、そのような、地政学的判断のできる逸材を定期的に輩出できないことだ。
 むしろ、武田が織田に敗れ、崩壊した後に、家臣団を家康が吸収し、江戸幕府の基礎を築いたように、毛沢東の戦略は日本人が継承することができるかもしれない。

 中国では当の昔に廃れた、漢代の仏教や道教の遺産を日本で見ることができる。
 「龍(漢)は東方の水流(日本)に潜み、やがて龍神と化す」。これこそが、私が達した結論だ。

 この考えは、柳田国男の提唱した「蝸牛現象」とも一致する。彼は、カタツムリの方言(デデムシ、マイマイ、カタツムリ、ツブリ、ナメクジ)の分布の考察を通して、『蝸牛考』において方言というものは時代に応じて京都で使われていた語形が地方に向かって同心円状に伝播していった結果として形成されたものなのではないかとする「方言周圏論」を展開した。

 法隆寺や唐招提寺で、胡主席がそのことに気づけば、たいしたものなのだが。

 以上
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コメント
この記事へのコメント
現代中国に関する考察
http://fourkokint.exblog.jp/

↑全世界的な地政学についてではないですがこれまでの日中国交の歴史的な過程についてはなかなか興味深いことが書いてあります。
2008/05/18(日) 13:39 | URL | CatSit1 #-[ 編集]

世界史に見られるランドパワーとシーパワーの戦略VOL203

                           
江田島孔明

前回は、ランドパワーにとって、最大の問題が「後継問題」である事を論じた。今回は、自民党の最大の問題が同じような後継問題であることを論じたい。自民党を理解する上で、その歴史を見ていくと、「政局」を築いたのは、田中角栄を除いては、岸信介、三木武吉、後藤田正晴の三氏しかいない。まず、岸と三木については、結党すなわち「保守合同」がそもそも、両者の談合によってなされた。
1955年4月13日、三木は保守政党の結集を呼びかけ、そのために鳩山内閣が障害となるなら鳩山内閣総辞職も辞さないと発表する。三木は、日本社会党統一に危機を抱いていた。また、この時期、医者から癌のため余命もって3年を宣告されていた。三木は党内合意を取り付けに動くと同時、に自由党に工作を開始する。
同年5月15日、三木は自由党総務会長の大野伴睦と会談を持つ。大野は戦前以来の鳩山側近であったが、嘗ては鳩山とは敵対関係であった三木が鳩山の一番の側近に納まったことで、居場所を失い、鳩山の許を去ったと言う事情があり、三木が最も恨まれていた相手の一人であった。だが、三木は浪花節と愛国の情をもって、巧みに大野をかき口説き、大野の賛成を得る。
岸・三木・石井・大野四者会談が持たれ公式に自由・民主両党間で保守合同に向けて動き出す。これに対して民主党内では三木武夫、松村謙三らが保守二党論をもって反撃する。議論がまとまらない中、鳩山首相は涙ながらに内閣総辞職を口走り、これに慌てた一同は保守合同に賛成することになる。
しかし、最後に総裁に誰がつくかをめぐり自由・民主両党は議論が平行線をたどった。結果、総裁を棚上げし、総裁代行委員を設置、結党後、公選により総裁を選出することが決定された。こうして、困難と思われた保守合同が成し遂げられ、日本初の統一保守党・自由民主党が結成された。三木は、鳩山、緒方、大野とともに総裁代行委員に就任した(5ヵ月後、鳩山が自民党総裁に就任)。この際、三木は「(総理は)鳩山の後は緒方、岸、池田とここまでは予想できる」と論評した一方、保守合同した自民党については党内に複雑な対立関係が存在したために「10年持てば」とも評していた(総理の流れは急死した緒方の代わりに石橋湛山になったこと以外は的中させている。また自民党崩壊論については、衆議院第一党としての位置は50年後の現在も崩されていない)。
 そして、後藤田を私が政局のキーパーソンに挙げるのは、言う前も無い「金丸逮捕」に踏み切ったからだ。ここから、経世会分裂、自民党の「野党転落」という、現在に連なる、大きな政局が生まれた。

<参考>
http://gonta13.at.infoseek.co.jp/newpage138.htm
平成5年3月6日、東京地検は、自民党元副総裁の金丸信と秘書の生原正久を、所得税法違反(脱税)の容疑で逮捕した。金丸は、前年の「佐川急便事件」で、巨額の金を受け取っていながら申告していなかったことで略式起訴されていた。しかし世論は、略式起訴で片付けてしまった検察に強い不満をもっていた。

そのような状況の中、金丸が、日本債券信用銀行の割引金融債「ワリシン」を大量に購入しているとの情報を得た。
そこで、東京地検が、金丸の事務所・自宅を家宅捜索した。この結果、金丸の金庫から何とワリシンなど70億円の有価証券類がでてきた。このワリシンは3000万円以下であれば無記名で購入が可能で、脱税する側は都合が良かった。更に、金丸は名義を分散して複数の銀行口座を使うなど悪質であった。

-ゼネコンとの癒着-
政界のドン金丸は、ゼネコンからの資金がベースになっていた。正規の政治献金以外に、巨額の盆暮れの付け届けや闇献金でワリシンを購入して、所得申告をせず金庫に貯め込んでいた。

捜査は、このゼネコンも対象となった。東京地検・特捜部は、金丸の献金元であるゼネコン20社の家宅捜索を実施。そこで押収した各社の帳簿から賄賂授受の実体が明らかにされる。

6月末、宮城県・仙台市の石井亨市長が、市の公共工事の発注に伴う賄賂1億円をハザマ、西松建設、三井建設、清水建設の4社から受け取っていた。更に茨城県、埼玉県などの市長、知事なとが逮捕される。
ゼネコンも上記4社以外に大成建設や鹿島などの会長・社長等も逮捕され、24人が贈賄容疑で逮捕、起訴された。

金丸の追徴税額は、43億円を超えると見られていたが、平成8年3月26日、山梨県の自宅で脳梗塞によって死去した為、公訴棄却となった。

このように考えると、現在のの政治家には、このような意味で「政局」を作りうる、「大物」が不在で、それが自民党の限界を生んでいる点、が理解されるであろう。

何故なら、自民党の最大の問題とは、「世代交代により二世が増え、優秀な政治家がいなくなった」事につきる。そして、優秀な政治家とは「政局をつくり、政局に勝利し、国会での多数派を押さえる」事ができる人間をいう。

 与野党を見渡しても、このような政治家は小沢一郎しかいないのが現状だ。

 国会での多数派をとるためには、保守改憲路線や構造改革路線だけでは、決して不可能であり、「左派との連携」や「地方の支持」も絶対に必要である。そして、自民党の結党とは、そのような諸々の勢力の統
合がなったということであり、そのバランスの上に、日本を支配していた。

 これは、実は、戦前から続く「満州ランドパワー人脈」を抜きにしては語れない。

 前提として、自民党がシーパワーであったのは、終戦直後から、占領を回復する、いわゆる「吉田時代」でしかない。
 その後、児玉や笹川といった「巣鴨大学同窓生」を岸が使いこなした事をみてもわかるが、自民党とは、「米ソ冷戦を背景として、対米協力を条件に釈放された満州ランドパワーによる連立政権」という本質を備えていた。追放解除や逆コースの意味はそこにある。アメリカはランドパワーをパートナー認定したのだ。

 自民党結党の資金の出ところがそれを如実に証明している。

 児玉が上海から持ち帰った資金(現在の時価にして3750億円)を海軍に返還しようとしたというが、この資金は、調べられれば、汚れた金であることがわかってしまう。
 それで、戦時犯罪の疑いをかけられたくなかった海軍は、児玉に処分を依頼。旧海軍の資産のためアメリカも没収せずに、宙に浮いた。児玉は、巣鴨拘置所に共にいた有力右翼でヤクザの親分辻嘉六に勧められて、この資金の一部を鳩山ブランドの自由党の結党資金として提供した。

 <参考>
------------引用開始--------------
http://stocksaurus.hp.infoseek.co.jp/kodamayosio.html

 児玉は、その後、津久井龍雄主宰の「急進愛国党」に移籍。天皇直訴事件、井上準之助蔵相脅迫事件、内大臣・宮内大臣暗殺未遂事件等で起訴され、各実刑で懲役に服し、昭和12年に出所。

 外務省情報部長河相達夫の知遇を得て、中国各地を視察。昭和14年、河相の斡旋で外務省情報部嘱託となり、上海を拠点に情報活動に従事する。

 開戦直前の昭和16年11月、国粋党総裁笹川良一の仲介で海軍航空本部嘱託となり、上海に軍需物資調達のための組織「児玉機関」を作る。後に児玉の片腕となる岡村吾一も児玉機関の幹部の一人であった。

 終戦後、東久迩内閣の参与となったが、内閣総辞職で解任。昭和21年1月、戦争協力容疑で巣鴨プリズンに収容される。

 この巣鴨には、 笹川良一、岸信介もいた。昭和23年12月、釈放となる。

 児玉機関は物資の調達だけを請け負い、軍事行動には関与しなかったというのが釈放の理由だったようだ。この収容期間中に通訳として知り合ったのが、後にロッキード社の日本向け広報業務を請け負い、児玉とロッキード社との仲介役を果たすことになるジャパン・パブリック・リレーションズ社の社長で、日系二世の福田太郎だ。

 児玉は日本へ引き上げてくる際に、膨大な額の宝石類を横領したのではないかと言われているが、真偽は決着がついていない。

 ロッキード事件で、同社から巨額の対日工作資金を受け取ったとして、脱税と外国為替管理法違反で起訴された。
------------引用終了--------------

 そうであれば、自民党政権とは、煎じ詰めて言えば、「アメリカとランドパワーの談合」によって成立した組織といえる。これが、満州国で実験された、「国家社会主義の焼き直し」としての、高度成長期の日本の本質だ。このランドパワー人脈は、朴正煕の韓国とも結び、朝鮮半島へも続いていた。

 自民党の本質をこのように理解すると、色々なことがわかる。つまり、自民党とは、その本質は「ランドパワー」であるということ。
 
そして、ランドパワーの宿命として、内部統制の難しさを常に抱え、それは、戦前の「満州人脈」が機能することで、初めて達成できるものであるということ。

 最後には、そのような人脈の相続が岸信介以降の世代において、結局はできなかったため、崩壊するという、まさに、勝頼が武田を滅ぼしたのと同じ運命を辿ると言うことがわかる。

 この事を、自民党の歴史を見ることで、検証したい。まず、佐藤栄作は岸信介のバージョンダウンであり、岸のグリップも効いていた。つまり、この頃までは、上述のランドパワー人脈が機能していたといえる。

 佐藤内閣は、1972年5月15日の沖縄返還を実現すると退陣した。その後を受け継いだのが、田中内閣である。首相となった「田中角栄」は、小学校しかでていないのに首相にまで上り詰めた人間として、学歴社会である日本の庶民から「今太閤」(現代の豊臣秀吉)とよばれて人気があった。
 田中内閣の進めた政策は、「日中国交回復」と「日本列島改造」であった。佐藤内閣の末、1972年2月、アメリカのニクソン大統領は突然、訪中すると、「米中共同声明」を発表し、米中国交回復を行った。

 この突然のアメリカの行いに世界は仰天した。それまで、中国(中華人民共和国)をソ連とならんで敵視してきたアメリカの世界政策の大きな転換であったからである。
 世界中の国がびっくりした中で、もっともショックを受けたのが日本であった。日本はアメリカの世界戦略の中で、安保条約のもとに、ソ連、中国に対する軍事的な防波堤の役割を担わされてきたからである。
 また、中国敵視政策の中で、台湾(中華民国)政府を中国の正式政権として付き合ってきたのである。ニクソン訪中は最大の同盟国であったはずの日本にはまったくの相談も連絡もなく行われたことに、当時の佐藤首相は「裏切られた」と語った。
 アメリカにとっては、所詮、日本は「大国」ではなく、従属国でしかなかったのである。アメリカ政府のこの歴史的転換は、中国とソ連との対立が激しくなったことが原因である。
 社会主義の路線対立から、中国はソ連批判を強め、国境に於いては武力衝突にまで発展していた。アメリカは、この機会を利用して東側陣営の分裂を図るとともに、泥沼化していたベトナム戦争解決のために、ベトナムの後方にいた中国の力を借りようとしたのである。


 まさに、アジアの地政学的パワーバランスが一夜に変化し、自民党政権は、それを読みきれなかった。これは、例えば、戦前の独ソ不可侵条約締結時の平沼内閣の対応を見ても分かるが、日本の伝統的な、オオボケぶりを発揮したといえようか。

 この時点で、アメリカはアジアのパートナーを北京にし、日本に対しては、経済的なライバルとみなして、攻勢に出たのだ。これが、ニクソンショックから、プラザ合意さらには、内需拡大から土地バブル、そして80年代末のバブル崩壊へと繋がる。

 つまり、ベトナム戦争による疲弊から、冷戦時の対日保護育成政策、すなわち、日本をジュニアパートナーとする戦略を放棄し、北京をパートナーとしたわけだ。自民党政権存立の基盤がここに、失われたといっていい。
 むしろ、冷戦状態を背景に、妥協してきた日本のランドパワー人脈を、この機会に整理しようとした。これがロッキード事件の本質だ。

 ここから、自民党は、田中政権の成立と退陣以降、「戦国時代」に入る。つまり、満州人脈に属さない層の台頭すなわち下克上と、内部抗争の時代だ。
 福田と田中の総裁選から40日抗争にいたる闘争の本質は、岸信介が築き上げた国家社会主義ランドパワー政党自民党の、「満州人脈の跡目争い」だ。

 結果として、満州人脈の相続は「誰もできなかった」。福田は所詮官僚であり、田中は満州人脈を動かせるほどの見識もキャリアもなかった。結果として、日中国交回復という形で、ランドパワーに絡めとられてしまった。統一教会や勝共連合等も同様に。

 言い換えれば、天才岸信介個人の芸術作品である「自民党」を、第三者が相続する事など、所詮は不可能だったのだ。

 武田信玄と山本勘介が作り上げた「武田家」の相続が、結局はできなかったように。

 これは、戦前の満州で、陸軍や官界を押さえ、国家社会主義を実践し、その後、敗戦や巣鴨プリズンでの生死の境をさまようとい、極限の経験をした人間でないと、到達できない高みがあり、二世や三世では、そもそも、不可能ということだ。

 戦略家は一代限り。芸術家の相続が不可能なのと同じように、戦略家の相続も不可能だ。

 アメリカは、かって、ベトナムから手を引くため北京と手を組んだように、イラク戦争の泥沼から抜け出すため、平壌とも手を組もうとしている。

 地政学的パワーバランスの変化は、株や為替が大きく動く、つまり国際金融資本にとって、「勝負どころ」だ。これは、欧州の三十年戦争やナポレオン戦争、二度の世界大戦、ベトナム戦争を通じて見られる近代の特徴だ。本は、またもや、国際金融資本の餌食になるのか?

同じような国家の転換期、混乱期は、かっては、戦国時代や幕末において、みられた。その際、日本を救ったのは正統政府である室町幕府や江戸幕府ではなかった。織田徳川や薩長といった、新興勢力が、旧勢力を打倒し、新政権を立ち上げたのだ。自民党も同じ運命を辿るであろう。そして、現在の織田徳川や薩長はネットに集う、我々だ。
                                      以上
2008/05/18(日) 22:28 | URL | 孔明 #-[ 編集]
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