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世界史に見られるランドパワーとシーパワーの戦略VOL187  江田島孔明

前号に引き続き、中東情勢を考察したい。

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ペルシャ湾岸諸国、相次ぎイランに「友好」表明

 アラブ首長国連邦(UAE)などペルシャ湾岸諸国が相次ぎイランとの「友好」を表明し始めた。ブッシュ米大統領が16日までの歴訪で「核開発を進めるイランの脅威」を熱心に説いたばかりだが、大統領が期待する「イラン包囲網」構築の動きはいまのところみえない。

 UAEのアブドラ外相は17日、同国駐在のイラン大使に「我々は(イランとの)関係強化を熱望する」と表明。クウェートのムハンマド外相は16 日、訪問先のテヘランでの記者会見で「イランは我々の友人だ」と言明した。
 サウジアラビアでは、訪問したブッシュ大統領にアブドラ国王が「米情報機関がイランは核兵器開発を中止したと公表したのに何が脅威なのか」と迫ったという。
(ドバイ=加賀谷和樹)


昨年から、イラン戦争の有無については、様々な情報操作がなされてきた。
情報操作によって、アメリカをイランにぶつけようとする勢力とそれを阻止しようとする勢力の闘争。
これは、アメリカの内戦の結果と見るべきであろう。

現在、アメリカは泥沼のイラクと低所得者向け住宅ローン(サブプライム・ローン)危機、さらに石油価格の高騰が追い討ちをかける。
まさに、江戸幕府の末期と同じ様な状況だ。

アメリカのドル不安は高まるばかりだが、連邦準備制度理事会(FRB)はドル札を大量に刷って市場に流すドル安政策をとることができる。(三輪注:しかも、理事長の仇名は”ヘリコプター・ベン”。以前からヘリコプターでアメリカ中にドル札をばら撒けと主張していたお方です。)
仮に同じことが日本で起きたら、円の暴落不安が高まり、日銀は金利を大幅に上げなければならないだろう。
世界の基軸通貨と、他の一般通貨とは天と地の違いがある。

アメリカはいつからどうやってそんな「打ち出の小槌」を手に入れたのか。
ドルの基軸通貨化の歴史を見てみよう。第2次大戦での連合軍の勝利が確実になってきた1944年7月。アメリカ・ニューハンプシャー州北部のリゾート地のブレトンウッズで開かれた連合国通貨金融会議(45ヵ国参加)でブレトンウッズ協定が締結され、金・ドル本位制のIMF(国際通貨基金)体制がスタートした。

ドルはアメリカ国内通貨から世界で唯一の金兌換通貨、つまり国際基軸通貨となったが、逃げ道がある。
1934年金準備法では、財務長官の判断で金ドル交換をいつでも反古ににできた。

J・M・ケインズはブレトンウッズ会議当時、書簡のなかで一国の通貨を国際通貨にする危うさを警告していた。
アメリカは基軸通貨の座を確保するや、世界にドルをばらまいた。
経常収支赤字をドル札の発行で穴埋めする現行体制の始まりである。

余剰ドルはユーロダラーとなって、国際市場で流通する。
アメリカの金保有量は大幅に不足するわけで、ドル不安が発生。
フランス月日金ドル交換停止を一方的に宣言した。
いわゆるニクソン・ショックである。

シャルル・ドゴールがケンタッキー州フォートノックス陸軍基地にある合衆国金塊貯蔵所に保管されていた金塊を輸送機でパリに運び出すにおよんで、月日金ドル交換停止を一方的に宣言した。
いわゆるニクソン・ショックである。

アメリカは1980年代、日本の製造業に競争で敗れ、貿易など経常収支と財政の「双子の赤字」で構造的なドル不安を抱えた。
85年9月のプラザ合意でアメリカがドル安政策をとると、ドル安が止まらない。

このとき、ベーカー財務長官は87年2月パリのルーブル宮殿で開かれた先進七カ国蔵相会議(イタリアはボイコット)でドルと円、マルク、フラン、ポンドなど主要国通貨と会合時のレートを基準にした「参考相場圏」を設定し、各国がドル買い介入のほかに財政金融政策で協調する合意をいったんは取り付けたが、効果は一時的で、10月には株式の大暴落「ブラック・マンデー」が起きた。

ところが、アメリカは90年代後半から、一挙に盛り返した。
情報技術(IT)と金融のグローバル競争で世界の覇者になったからである。

世界からドル資産めがけてアメリカに余剰資金が集中、ヘッジファンドや大手金融機関がさらにニューヨークが資金を世界に再配分する仕組みを作り上げた。アメリカがいくら赤字を世界に垂れ流してもアメリカにドルが環流する。

それは「ドルの帝国循環」と呼ばれる。

アメリカは膨張を続けるドル帝国を防衛するために、戦争も辞さない。
イラク戦争がまさにそれであり、イラン攻撃もそうした文脈で起こりうるのである。
すなわち、ドルの基軸通貨を担保する事とアメリカの対外戦争はコインの表裏であり、論理的帰結なのだ。

この事からはっきり言える事は、イランとの戦争を回避できるとすれば、その条件とは、ドルの基軸通貨からの離脱、すなわち、アメリカが19世紀のモンロー主義に戻る事だということがわかる。

事実上の、「アメリカ幕府による大政奉還」である。

これが、歴史の循環を見通した、私の読みだ。

何故なら、国際金融資本に寄生された結果、2005年の米国の経常赤字は8049億ドルと8000億ドルの大台に乗った。
過去最高の2004年の6681億ドルを大きく更新した。
財政赤字は、2005年度は3183億ドル、名目GDP比2.6%となった。
経常赤字は毎年大きく更新されとどまるところがない。

赤字の基本的な原因はアメリカの製造業における競争力の低下、没落が原因である。

アメリカの製造業は全て国際競争力を喪失しており、没落の坂を転がり落ちている。

そして、唯一、アメリカが優越している分野は軍需産業だけとなっている。
世界で毎年使っている軍事費の50%以上をアメリカが使い、国内予算規模においても、約4千億ドル、(50兆円近い)、しかし、実際の軍事関連支出の合計は国家予算規模2兆7,700億ドル(2007年度予算)の49%、1兆3000億ドルに達するというすさましい額であるとの評価がある(1)。
これらの膨大な予算を消費するのはロッキード・マーチン、ボーイング、レイセオン、ゼネラル・ダイナミクス、ノースロップ・グラマンなど5社に集中している。
しかも生産される兵器類は核兵器関連に集中している。

そして、ブッシュ政権にはこれらの軍需産業の重役ないし利害代表者が32名も閣僚及び政策決定者として参画している。
また、シェブロンなど石油・エネルギー関連では21名が参画している。

米国の経常赤字の膨張を食い止める方策はなく、国際金融資本の支配システムであるドル基軸通貨体制の破産を世界銀行自らが認め始めている。
世界銀行はドル没落の現状を認めドルの一挙崩壊のリスクを軽減するため、ユーロのみならず、アジア、中東等の地域通貨をも容認するしか選択の余地のないことを認め始めている。

まさに通貨を軸とするブロック経済へと傾斜することを阻止する力も喪失してきたということである。
ここで注意したいのは、「ブロック経済」や「基軸通貨の不在」こそ世界規模での戦争への道ではなかったのか。
ブロック経済の防衛が軍事力の発動、戦争へと発展した歴史を既に経験してきたのではなかったか。

ブッシュ政権は米金融資本の危機を戦争によって延命しようとする計画を2001年の『4年毎の防衛見直し』(QDR),そして『核態勢の見直し』(NPR)でその核政策を語っている。
QDRはまさに、イラク、イラン、北朝鮮への戦争から始まって、それが中国との核戦争となり、さらに、ロシア、フランス、ドイツに対する戦争をも射程に入れた方針を語ったものである。

2006年のQDRでは、中国との軍事衝突への構えを取る姿勢を一層鮮明にしている。
そのために、核兵器を通常兵器と共に使いやすくして使ってゆく。
そして、ミサイル防衛システムの構築、地中貫通型核ミサイルの開発は中国との核戦争に備えるものであることをNPRで語っている。

しかし、これはあくまでも、死に瀕した金融資本の悪あがきとしてのシナリオであり、政策である。
しかも、米金融資本は軍事政策によって戦争がなくても、危機を演出し、膨大な軍事費を費消し、そのことによって世界の民衆の生き血を吸って生きながらえようとする。さらに、ドル危機はドル崩壊、金融資本の民衆による接収、解体として、帰結するのか。

<参考>

世界史に見られるランドパワーとシーパワーの戦略VOL148 2007年04月08日 (日)  江田島孔明

孫子・謀攻篇

勝を知るに五あり。
戦うべきと戦うべかざるとを知る者は勝つ。
衆寡の用を識る者は勝つ。
上下の欲を同じくする者は勝つ。
虞を以て不虞を待つ者は勝つ。
将の能にして君の御せざる者は勝つ。
此の五者は勝を知るの道なり。

故に曰わく、彼れを知り己れを知れば、百戦しても殆うからず。
彼れを知らずして己れを知れば、一戦一負す。
彼れを知らず己れを知らざれば、戦う毎に必ず殆うし。

ロシアの情報機関が流した「4月6日対イラン開戦説」がガセネタと判明した。
このような情報操作に引っかかってしまう手合いが多数いることに、暗澹たる気持ちにさせられる。
情報操作のプロにすれば、日本人を引っ掛けることなど、赤子の手をひねるようなものであろう。

しかし、開戦説の真の狙いは、ロシアの利益に沿った「原油価格の釣り上げ」にある。
つまり、真に引っ掛ける対象はアラブ諸国と原油マーケットだ。
アラブ諸国は国際的情報網をもたず、分析力も有していないため、常にこのような情報操作に引っかかる。

今回の開戦説で、ロシア情報機関は世界に対して大恥をかいたと同時に、湾岸諸国の信用を失い、結果としてロシアの影響力は、大きく減退するであろう。
私には、むしろ、全て、国際金融資本がイスラエルを使って開戦説をロシアに流し、ロシアを引っ掛けるためにディスインフォーメーションを行ったようにしか見えない。

情報操作については、国際金融資本に一日の長がある。
そして、現時点で、ランドパワーとシーパワーの情報力は、エシュロンを運用しているシーパワーが圧倒的に有利だ。
情報の優位は、孫子を引用するまでもなく、「戦略の決定的重要条件」だ。情報で敗れると、戦略そのものを失う。

今回は、中東情勢を多面的に検討する観点から、英国の視点で考えてみたい。 

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 まず、米英は二度の世界大戦を通じて、同盟関係にあったとされる。確かに、それは、そのとおりだ。

 欧州戦線において、英国は米国の支援抜きにしてはドイツに対抗できなかった。
 冷戦期においても、ソ連に対抗するのに、英国は、米国を必要とした。

 米国の立場で考えれば、米国が大西洋の制海権を握り、欧州への影響力を行使し、ランドパワーの大西洋進出を阻止する上で、英国に基地を保有し、同盟関係にあることは必要条件だ。

 つまり、大西洋の支配と欧州ランドパワーの大西洋進出阻止に関して、英米は完全に利害の一致がある。これは、太平洋における日米関係と全く同じ戦略条件といえる。

 しかし、ここで注意しなければいけないのは、中東の支配について、英米両国の利害は完全に対立しているということだ。

 これは、中東の油田を巡る、第二次世界大戦後の英米両国の争奪戦と、結果として、スエズ動乱から英国の敗退という歴史的経緯を見ることで、理解できる。
 この、シーパワー同士の中東を、巡る死闘とは、つまるところ、ロイヤルダッチシェルVSエクソンすなわちロスチャイルドVSロックフェラーという、国際金融資本の闘争と置き換え、理解する事ができる。

 シーパワーの世界戦略を理解する上で重要な点は、「世界情勢を財閥間の闘争と見る」ことだ。財閥という言葉が古ければ、「企業グループ」、もしくは「企業間の連携」と言い換えてもよい。世界の有力な財閥は激しい戦いを繰り広げており、それが国際情勢の実態をなしている。

 そして、財閥はそれぞれに支持する政治家を擁立している。
 その政治家たちが展開するのが国内政治・国際政治である。
 つまり、政治という現象の背後にある実態を見たいと思うならば、財閥間の激闘に目を向けるべきなのだ。
 経済が政治を支配する、という鉄則である。

 さらに、この有力財閥が、国境を越えてさまざまに合従連衡する。大事なのはこの合従連衡の力学を把握することだ。
 この《ロックフェラー 対 ロスチャイルド》の宿命の対決が分からないと、国際情勢の分析の予測もまったく的はずれなものとなってしまう。
 ロックフェラー財閥もロスチャイルド財閥も、それぞれに力のある米英の有力財閥である。

 しかし、単一の司令中枢が世界をコントロールするというほど強力ではないし、世界はそれほど単純ではない。そんなことは健全な常識を働かせてみれば、よくわかるだろう。
 ロックフェラー財閥が代表しているのは、米国の「保守本流」系の財閥である。「保守本流」とは、人種・宗教的な観点からいえば、いわゆる「WASP」的な財閥といってもいい。

 「WASP」とは、ご存じの方も多いと思うが、W[白人]White であってAS[アングロ・サクソン系]Angro-Saxon のP[新教徒=プロテスタント]Protestant という意味だ。
 「アングロ・サクソン系」とは、ここでは「イギリス直系」の意味と理解しておいていいだろう。
 つまりWASPとは、イギリスから植民地米国へ移民してきて、今日の米国の基礎をつくった人々の直系の子孫というわけだ。

 ところが、WASPというのは、たとえばブッシュ大統領が典型的な人物だったが、その数は少ない。
 そこでWASPという言葉をすこし拡大解釈して、「WASP的な質実剛健な価値観を持つ人々」と定義してみる。

 このような米国の保守本流の財界で最も力があり、かつ著名な財閥がロックフェラー財閥である。
 ロックフェラー家の出身は南ドイツで、一族のなかではプロテスタントの一派のバプテスト(洗礼派)が最も多い。
 つまり厳密にはWASPではない。
 しかし、ドイツ系だがユダヤ人ではなく、プロテスタントであり、カトリックでもない。
 今日においては米国の「WASP的」なる財閥の代表選手がロックフェラー財閥なのである。

 このロックフェラーに代表される「米国財界保守本流」と、世界各地で、そして産業各分野で最も先鋭に対立しているのが、ユダヤ系ロスチャイルド財閥なのである。

 ロスチャイルドは、もともとはドイツのフランクフルト出身の大ユダヤ財閥で、その子供たちが英独仏などヨーロッパ各地にネットワークを広げて勢力を大いに誇示したが、今は、イギリスのロスチャイルド家が最も力が強い。英NMロスチャイルド銀行が、財閥の中心的存在となっている。

 ロックフェラー財閥の中核であったスタンダード石油が分割されてできたのが、エクソンやモービルである。特にエクソンは、メジャー中のメジャーで、世界一の石油企業。今日もロックフェラー財閥の中心的な存在である。

 これに対して、オランダの「ロイヤル・ダッチ石油会社」とイギリスの「シェル石油会社」を、ロスチャイルドが音頭をとって合併させたのが、「ロイヤル・ダッチ・シェル」である。 

 このイギリス=オランダ連合のロイヤル・ダッチ・シェルの子会社的存在が、英国のブリティッシュ・ペトロリアム(英国石油:略称BP)だ。ロスチャイルド系のロイヤル・ダッチ・シェル(以下シェルと略称)とロックフェラー系のエクソンは、石油・エネルギー業界の両横綱として、世界のエネルギー利権を争奪してきた、不倶戴天のライバルである。

 このイギリス=オランダをつなぐ、「ロイヤル・ダッチ・シェル」連合と、米財界の雄「スタンダード石油」(エクソンの前身)は、1920年代から、世界中で、エネルギー利権の激烈な争奪合戦を繰り広げてきた。
 かつてのオランダとイギリスの植民地主義の遺産をがっちり守り抜こうとするロイヤル・ダッチ・シェル連合と、新興米国の国力を背景にこれを急追するスタンダード石油とは、当時世界最大だったバクー油田を、革命直後のロシアで取り合うなど、その戦いは中東でも中南米でもアジアでも激しく展開された。

 もともと、ロイヤル・ダッチ社とシェル社は別会社であった。
 ロスチャイルド財閥は、革命前のロシアのバクー油田の利権を持っており、ロスチャイルド財閥がシェル社の極東部門に石油を供給していた。
 その後しばらくの間、極東アジアにおいては、ロイヤル・ダッチ社とシェル社はライバル関係にある。

 しかし、ここに米ロックフェラー財閥のスタンダード石油(現エクソン)という強烈な敵が出現する。
 そこで、ロスチャイルド財閥が仲介して、ロイヤル・ダッチ社とシェル杜に反スタンダード石油の同盟を組ませた。そのとき設立されたアジア石油会社の株は、ロイヤル・ダッチ社、シェル社、そしてロスチャイルド財閥にそれぞれ三等分され、また取締役会の席も三者に二席ずつ配分された。これが現在のロイヤル・ダッチ・シェル社の出発点である。同社をロスチャイルド財閥の一員と呼ぶゆえんはここにある。 

 また、この頃から、ロックフェラー財閥の中枢、スタンダード石油は、「すでに国内の主要油田はすべて発見された。今後は外国での新油田発見だ」との自覚のもとに、米国外での石油利権の新規獲得のために、本格的に乗り出してくる。そして、ロイヤル・ダッチ=シェル連合と世界中で衝突を繰り返すのである。

 一九一九年二月に、イギリス植民地の高官であったアーサー・ハーツエル卿は、同僚につぎのように警告した。
 「スタンダードオイル(米)がイラクを手に入れることを切望していることに留意しなければなりません」(ピーター・スルグレット著『イラクのなかのイギリス』)

 米国は、この地域におけるイギリスやフランスの支配に直面して、当初、「門戸開放政策」を要求した。すなわち、イギリスによってイラクの王座にすえられたファイサル国王の傀儡(かいらい)政権にたいして、米国の石油会社が自由に契約をとりきめることができるようにせよ、ということだ。

 イラクをめぐる戦勝国内部の矛盾の解決策は、イラクの石油を分割することだった。米国は第一次世界大戦での役割への報酬としてイラクの石油の一部を確保した。

 イラクの石油は五つに分割された。イギリス、フランス、オランダ、米国が二三・七五%ずつ分割し、のこりの五%が石油王カロステ・グルベンキアンへと流れた。イラク石油のうち、イラクに帰属したのはまったくのゼロ%だった。そうした状態は一九五八年までつづくのだが、それはどのような状況だったのだろうか。

 一九二七年には主要な石油探索がおこなわれ、モスル州で巨大な石油埋蔵が発見された。二年後、アングロ・イラニアン(現BP)、シェル、モービル、スタンダード・オイル・オブ・ニュージャージー(エクソン)などで構成される「イラク・ペトロリアム・カンパニー」が設立され、イラクにおける石油生産をすべて独占した。

 おなじ時期、アル・サウド家は、ワシントンの援助で近隣のアラビア半島のおおくを征服した。サウジアラビアは米国の新植民地として一九三〇年代にうまれた。サウジアラビアの首都であるリヤドにある米国大使館はアラムコ(アラブ・米国ン・オイル)という企業の建物のなかにつくられた。

 しかし、米国の石油会社とワシントン政府はこれでも満足しなかった。かれらは、ちょうど西半球の石油備蓄のほぼすべてを独占していたように、中東の石油の完全な支配をのぞんだ。
 それは、当時までこの地域の勝者であったイギリスに、米国がなりかわることを意味した。

 ノルマンディー上陸作戦の三カ月前の一九四四年三月四日、イギリスのウィンストン・チャーチル首相が、米国のフランクリン・ルーズベルト大統領のもとへ送った手紙は、その帝国主義的な内容の面でも、また敵対的な調子においても異常なものだった。

 「イランおよびイラクにおけるわれわれの油田にたいして、あなた方が『ひつじの目』(ねたましそうに見ること)をお持ちでないことを保証していただいていることに感謝します。そのかわり、私たちがサウジアラビアにおけるあなた方の権益や財産に角を突きつける考えを持っていないという最も十分な保証をいたします。このことについての私の立場は、すべての問題において、イギリスは戦争の結果として、何らかの利点や領土的要求をはじめ何らかのものをもとめないということであります。
 他方で、わが国は、わが国に属するものはいかなるものも奪われることはないでしょう。あなた方の謙遜な使用人が、わが国の業務を託される限りは」(コルコ著『戦争の政治』)

 この記録が明確に示すことは、米国が、イギリスの重要な新植民地であったイランとイラクを奪取することを渇望していたということだ。チャーチルのこけおどしにもかかわらず、増大する米国の力をおさえるために、イギリスができることは何もなかった。
 
 つまり、第二次世界大戦の世界史的意味とは、「英国中東利権の米国による奪取」なのだ。 

 しかし、一九五八年七月一四日、イラクは強力な社会的爆発によってゆり動かされた。軍部の反乱は国全体にわたる革命へ発展した。 
 アイゼンハワー大統領は、「朝鮮戦争以来のもっとも重大な危機」だと叫び、イラク革命の翌日、二万人の米国海兵隊がレバノンに上陸しはじめた。その翌日、六六〇〇人のイギリスの落下傘部隊がヨルダンに飛来した。

 これは、「アイゼンハワー・ドクトリン」として知られる政策の具体化だった。すなわち、米国は世界戦略上、死活の利益をもつ中東における革命の広がりを阻止するために、直接的な介入、すなわち戦争を行うということだ。

 しかしアイゼンハワーと、その将軍および大国主義的な国務長官ジョン・フォスター・ダレスは他の狙いを胸の中に秘めていた。それは、イラクを侵略し、革命をくつがえし、新たな傀儡(かいらい)政権をバグダッドに設立することだった。ただ、ワシントンは、次の三つの要因によって、この一九五八年の計画を放棄せざるを得なかった。

 1.イラク革命が徹底した特徴をもっていたこと
 2.イラクに隣接するアラブ連合共和国が、もし帝国主義が侵入することがあれば、帝国主義と軍事的にたたかうであろうと発表したこと
 3.中華人民共和国やソ連が、革命にたいして確固として支援したこと。
 ソ連は、イラクに隣接する南部の諸共和国の軍隊を動員しはじめた。

 これらの要因が重なって、米国はイラクの革命を受け入れざるを得なかった。第三次世界大戦の可能性があったのだ。しかし、ワシントンは、実際にイラクの損失に甘んじなかった。

 一九八〇年代には、米国はイランと戦争させるために、イラクにたいして資金を提供し、軍事援助をおこなった。イランへの米国の支配が、一九七九年のイスラム革命によって終焉させられたからだ。

 しかしながら、イラン-イラク戦争における米国の本当の目標は、勢力均衡の観点から、両方の国を争わせることだった。前国務長官ヘンリー・キッシンジャーは、戦争に関する実際の米国の姿勢について、「私は、彼らが互いに殺しあうことを望みます」と述べている。逆説的ながら、この時期、中東は安定していた。

 第1次世界大戦には第2次世界大戦という続きがあったように、中東におけるイスラエル独立戦争は、次なる戦争を引き起こすものであったのだ。
 終わった戦争による被害は巨大であったが、そこで提起された問題は何一つ解決せずに積み残されていた。
 イスラエルという国家の誕生は、パレスチナ難民による周辺アラブ諸国の連合だけではなく、従軍した将兵たちにとっては自国の体制に対する不満が蓄積し、中東各国のナショナリズムを引き起こすきっかけともなっていった。

 第2次中東戦争はエジプトに対するイスラエルと英仏連合軍による侵攻という形であらわれたのであるが、どのような原因によって新たな戦争が起こったのか、その前提となる背景について述べてみよう。

 第1次中東戦争当時(1948年)のエジプトは独立国家で、国王が支配者であった。
 しかしながら総人口の0,5%が国民所得の50%を手にするような、社会格差の大変激しい状態であった。
 さらには独立国家と言いながらも、行政の主導権は駐在イギリス大使が握っていた。
 そのような中、1952年7月23日にナセル中佐(彼は第1次中東戦争に従軍し、補給体制の貧弱さと、支給兵器の欠陥ぶりを実感していた。)率いる自由将校団により無血クーデターが起こった。
 翌53年6月に王制を廃止、ネギブ将軍が首相兼臨時大統領となり、ナセルは副首相兼内相となった。
 しかし翌年、旧支配者層との関係を強めたネギブはナセルを暗殺しようとするが失敗、ナセルがエジプト共和国初代大統領となったのだった。

 大統領となったナセルは、スエズ運河に8万の兵を駐留している旧宗主国イギリスの影響力を殺ぎ落とすことに取り掛かった。
 またイスラエルへの対抗上兵力増強を図ろうとして西側諸国に働きかけた武器輸出への働きかけが断られたことが、ナセルをソ連へ接近させた。
 ソ連製兵器の供与を見た西側はアスワンハイダムへの融資停止による圧力をかけたが、1956年7月26日、エジプトはスエズ運河の国有化という対抗措置に出た。
 今まで英仏が株式を保有する会社に渡っていた利権を、エジプトが引き継ごうというものであった。

 それに対し英仏は激怒した。
 当時において、スエズ運河は航海から地中海へと向かう西欧向け石油の7割が通過していたのだ。
 両国はスエズ運河の国際管理を目指していたので、ナセルの決定はまったく受けいれることができなかった。
 外交的手段による解決ができなければ、軍事的手段を用いるしかない、戦争である。

 ここで外交の論理が顔を出す。「敵の敵は味方」の論理である。イスラエルはアカバ湾にエイラート港を持っていた。
 ここからイスラエルはインド洋へ出ることができたのだが、ナセルはチラン海峡の封鎖を発表しその出口をふさいでしまったのだ。
 スエズ運河の支配権を取り戻したいイギリスとフランス、チラン海峡の封鎖を解除したいイスラエル、両者の利益は一致し、戦争への準備が始められた。

 そしてシナリオが出来上がった。

 イスラエルがシナイ半島に侵攻し、エジプトと交戦状態に入る。そこでスエズ運河の安全確保を名目として英仏両国がスエズ運河を占領する。その後に国連決議であれなんであれ、スエズ運河の実効支配とチラン海峡の自由航行を確保するのだ。

 英仏連合軍は10万に上る兵力を用意し、イスラエルはフランスから76ミリ長砲身装備のAMX-13などを手にし機甲戦力を増強させていった。
 イスラエルは国家規模が小さいため大規模な現役兵力を有することができず、12個あった旅団のうち9個を予備役としていたが、この戦争のために10個旅団を準備した。攻撃開始は56年10月29日、第2次中東戦争がはじまった。またの名をスエズ動乱という。

 イスラエルからエジプトにいたるシナイ半島には4つのルートがあった。中でも国境の要衝であるウムカテフには第38師団(第4歩兵旅団、第10歩兵旅団、第7機甲旅団、第37機械化旅団)が、ガザ回廊の付け根にあったラファ陣地には第77師団(第1ゴラニ旅団、第11歩兵旅団、第27機甲旅団)が投入され、ミトラ街道を制するミトラ峠(シナイ半島の結節点)では第202空挺旅団が攻略に当たった。

 ウムカテフの攻撃には一個大隊分の戦車しか持たない第37機械化旅団が支援兵力として当てられた。戦局がイスラエル優位となり孤立する中でも同地はエジプト軍が保持していた。
 その激戦は、旅団長サムエル・ゴリンダ大佐の戦死という状況からも見て取ることができる。11月2日にエジプト軍が放棄するまで、ウムカテフの戦闘は続いた。

 ラファ陣地はエジプト軍5個大隊が多数の円陣方式の陣地を縦深に配置し、地雷原に守られた強固な陣地であった。第27機甲旅団を擁する第77師団は、海空からの準備攻撃(海から仏戦艦「ジョルジュ・レイグ」の艦砲射撃、空からはイスラエルK空軍のB-17による爆撃)の後、歩兵旅団による突入を開始した。
 戦闘は夜間に行われたが、エジプト軍の果敢な反撃によりイスラエル軍の攻撃は頓挫しかけた。しかしながら工兵部隊が大損害出しながらも地雷原を開拓し、夜明けとともに第27機甲旅団がそこからなだれ込むことで、激戦の末に陣地を占領することができた。 

 第202空挺旅団はガザ地区のパレスチナ人ゲリラ報復を担任していた第101特殊コマンドが基幹となって編成された部隊で、後に首相となったアリエル・シャロン大佐が指揮を取っていた。
 旅団に与えられた任務は同地の封鎖であり、積極的な攻勢任務は含まれていなかった。
 ところがシャロンは独断で周囲のエジプト軍陣地を攻撃し多数の被害を被った。
 これは参謀総長モシェ・ダヤン(隻眼でコマンド出身)を激怒させたが、任務は達成されたのだった。

 事前の打ち合わせ通り、イギリスとフランスは、エジプトに両軍のスエズ運河駐留を求めたがナセルは拒絶した。
 10月31日にエジプト各地への空爆を開始した両国に対し、ナセルはスエズ運河へ船舶を沈め、運河閉鎖を命じることで応えた。
 英仏は運河への上陸を開始しようとしたが、問題が起こった。米国の反対である。

 米国大統領アイゼンハワーは、同時期に起こっていたハンガリー動乱を注視していた。
 民衆デモは政府の手におえなくなりソ連軍による武力弾圧が行われていた。
 世界の目がスエズに向けられていた時に、ソビエトは自国の権益を軍隊で守った。
 英仏も同じ手段で自国の権益を守ろうとしていた。
 米国の支援を受けられないことを悟った英仏は国連の停戦決議を受諾、スエズ侵攻は失敗した。

 イスラエルも停戦に合意し、戦争は停止した。
 国連停戦監視団と入れ替わりイスラエルは撤退していったが、最後に残ったチラン海峡の入り口に当たるシナイ半島南端のシャルム・エル・シェク港から撤退したのは、翌57年3月8日であった。

 第2次中東戦争は終わった。
 エジプトは多くの兵力を失ったがスエズ運河の支配権を確立することができた。
 イスラエルはエジプト軍からの捕獲品(最新鋭のミグ15ジェット戦闘機やT-34/86中戦車、スターリン3型重戦車、他多くの補給物資)を得るとともに、実戦経験と、戦車の有効性を認識させることとなった。
 参謀総長モシェ・ダヤンなどはそれまでの態度を一変させ、熱心な戦車の支援者となった。
 実戦経験を加味して部隊運用も変更された。従来17両であった戦車中隊の定数を11両とするなどの効率化も図られることとなったのであった。

 戦争が政治の延長であることから考えると、エジプト及びイスラエルは政治的勝利を収めたといえる。一方イギリス・フランス両国は、損害こそ大きくなかったものの、所定の目的を達することができなかった。政治的な”負け戦”であった。
 中東における両国の影響力は決定的に衰え、変わって米国、ソ連といった超大国が中東問題に大きくかかわることになったのである。
 このように、西アジアでは、第2次中東戦争後、イギリス・フランス勢力が後退する中で、米国が中東問題に積極的に介入するようになった。

 米国は一九五〇年の朝鮮戦争を機にトルコをギリシャとともにNATOに加盟させ、一九五一年中東における反共防衛体制作りに着手、スエズ運河の英軍基地を使用する中東防衛機構(MEDO)構想を発表(エジプトの反対で流産)、一九五五年、トルコ、イラク、パキスタン、イラン、英国、米国が参加するバグダッド条約を結成。
 一九五七年には、アイゼンハワー・ドクトリンを発表して国際共産主義の侵略から中東を守るため、軍事介入および膨大な経済・軍事援助を提供する用意があると宣言した。
 そして一九五八年のイラク革命後、バグダッド条約を改組して中央条約機構(CENTO)を発足させた。

 これに対しソ連の中東進出は一九六七年の第三次中東戦争後、活発化し、イスラエルに大敗北したアラブ諸国に対し、軍事力の再建を積極的に手助けし、エジプト、シリアへの武器供給を推進、軍事顧問を多数送り込むとともに、南イエメンと軍事技術協定を締結するなど、アラブ諸国へのソ連のプレゼンスが拡大された。
 この一方で、イスラエルとは他の東欧諸国とともに外交関係を断絶しており、イスラエルを支持する米国とアラブを支持するソ連という国際・リージョナル・システムの対決構造ができあがった。

 このように、中東もほかの地域と同様、国際・リージョナル・システムが米ソ二極体制下に置かれたので、域内のアクターは対外戦略を柔軟に展開し、中東をめぐる米ソの覇権争いを利用しながらアラブ・イスラエルのパワーバランスを自陣営に有利に作用させ、多額の援助を取り付けて自国の政治、経済、社会発展に役立てるようそれぞれの国益を追求できる自由裁量権が残されていた。
 このように、米国が中東での影響力を増大させていく中で、旧植民地利権に基礎をおくシェルは、超大国として登場した米国の力をバックとするエクソンに追い上げられる。
 戦後の中東情勢を概観するに、まさに、英国の撤退と米国の影響力拡大は表裏の関係といえる。

 これは、英国の立場で考えれば、失った旧領回復のインセンティブを強くもつことを意味する。
 そのように考えると、イラク戦争は実は、米国を中東での自滅的戦争に介入させ、そして中東から撤退させるという謀略なのではないかと考えられる。
 つまり、イラク戦争のパターンは過去の、ナチスドイツのソ連侵攻や大日本帝国のシナ事変介入と同じ、国際金融資本のお家芸としての、「漁夫の利」を得るための「二虎競食」の高等戦術とはいえないだろうか。

 はっきり言って、ロスチャイルドとロックフェラーの深層部分における対立や協業がどのように行われているか、わからない為、あくまで仮説である。
 しかし、イスラエルの代理人であるネオコンがアメリカをイラク戦争に引き釣り込み、泥沼化すると、ロスチャイルドの影響の強い民主党が撤退を決議するという、究極のマッチポンプとしての国際金融資本のいつもの手口が見えてくる。
 ネオコンに加担して、ブッシュやブレアは用済みとして、切られるのも、いつものパターンだ。

 すなわち、国際金融資本の基本的ポジションは常に、「漁夫の利」を狙うという事であり、かつ、「遠くの戦争は買い」ということだ。つまり、戦後の中東情勢を英米対立すなわち、ロスチャイルドとロックフェラーの死闘と考えると、イラク戦争は「ロスチャイルドのロックフェラーへの意趣返し」と考えられる。
 背景として、90年代のバブル崩壊により、アメリカが国際金融資本にとって、旨みの無い国になったということが挙げられる。アメリカで利益を吸い尽くしたので、次は日本というわけだ。
 そのまえに、賭場を店終いする意味で、イラク戦争の大博打を打ったのだろう。

 この仮説が正しいのなら、今後の中東情勢はロスチャイルドとサウジアラビアを中心に考えるべきだ。サウジは英国や米国が任命した、中東第一の「守護」であるが、アメリカ幕府の衰退により、自前で戦国大名化し、領国を維持する必要に駆られている。
 湾岸戦争以降の、国内への米軍駐留から反米感情や貧富の格差の高まりにより、そうしなければ、まさに、「下克上」がおきるのだ。

 ここで、サウジと英国は、「米国の追い出し」という点に関して、利害の一致があることがわかる。サウジは原油と資金を、英国は情報とネットワークをそれぞれ提供できる。

 つまり、相互補完関係にあるのだ。唯一の問題は軍事力だ。軍事力の点では、米国抜きの戦略は考えられない。それぐらい、米国の軍事力は隔絶している。

 米国民主党は、もともと親英、親シオニストなので、次回大統領選で政権を獲得すると、ロスチャイルドの意思を忠実に体現して動くだろう。そうすると、いよいよ、中東情勢は英国が主導していくことになると予想する。
 5月に開かれるイラク安定化会議において、英国とサウジがどのようなイニシアティブをとるか、そこが重要なターニングポイントになる。
 より広い見方をすれば、ミュンヘン会談以降、単独で国際政治の主導権を握った事がない英国が、その立場を回復できるかどうかの試金石となる。

 英国は、日本に協力を求めてくるであろう。
 まさに、水面下での日英同盟の復活だ。

 正確には、アメリカを完全に切ることはできないので、日米安保を日米英三国同盟にするということだ。先般行われた、日豪の「安全保障協力に関する日豪共同宣言」はこの文脈で考える必要がある。全てのシナリオの背後には、英国、すなわち、ロスチャイルドがいる。

 イラク情勢の究極の落としどころは、以前書いた「イラクの東西分割」による、均衡戦略、すなわち、欧州の冷戦方式となるであろう。

 湾岸諸国のドル離れが叫ばれていたが、その可能性はひとまずさったようだ。背景として、相当強力な情報操作と圧力がサウジに対してあったのだろう。
 サウジに安全保障上の危機を感じさせる事ができれば、湾岸諸国は米軍を必要とする。そして、その限りにおいて、ドルも安泰だ。

 しかし、今後は、ドル単独での基軸通貨維持は無理であろう。シーパワー連合は、円ドルポンドの通貨バスケットをつくり、それに湾岸諸国がペッグするというような形になるのではなかろうか。

 要するに、湾岸諸国がランドパワーを選ぶか、シーパワーを選ぶかで、世界の運命は大きく変わってくるのだ。

 今回のイランイラン戦争情報操作で、湾岸諸国は、どの国が正しいのか、見極めた事であろう。

 ロシアの情報機関は大きく外したため、湾岸諸国や世界における権威や影響力失墜は免れない。湾岸諸国が私の分析を評価する事があるとすれば、極めて光栄だ。

<参考>
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2007/04/06-16:21 G7に産油国代表が参加へ=「オイルマネー」で意見交換

 13日にワシントンで開かれる先進7カ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)に、サウジアラビアなどの産油国の代表が参加することが6日、明らかになった。産油国代表はG7討議終了後の夕食会に合流し、G7各国代表らと世界の金融市場に還流するオイルマネーなどについて意見交換する予定だ。

 最近のG7では、その時々の国際情勢を踏まえて、新興市場国など先進7カ国以外の国や地域の代表を招いて個別問題について意見交換を行っている。
 今回参加するのは、サウジとアラブ首長国連邦(UAE)、ロシアの3カ国。産油国との意見交換は昨年開かれたワシントンG7以来1年ぶりとなる。

------------引用--------------

湾岸諸国、引き続き米ドルペッグ制にコミット=サウジ中銀総裁

 【メディナ(サウジアラビア) 3日 ロイター】 サウジアラビア通貨庁(中央銀行)のアルサヤリ総裁は3日、ペルシャ湾岸アラブ諸国は引き続き通貨の米ドルペッグ制にコミットしている、とした上で、2010年までに目指している域内通貨統合の実現に向けて「格別の努力」が必要、との認識を示した。
 地域中銀の総裁会合に出席する中、記者団に述べた。

 総裁は、通貨統合に参加予定の6カ国中、オマーンについては準備が整っていないと指摘。「2010年まで通貨統合を実現するには格別の努力が必要。ただ通貨統合による恩恵については参加各国の間で合意している」と語った。

------------引用--------------
http://npslq9-web.hp.infoseek.co.jp/sls132.html

1914年から1945年にわたって戦われた二度の世界大戦についても、主要な戦場であった欧州大陸は荒廃を極め、いわゆる鉄のカーテンを挟んだ東西欧州の分断とNATOとワルシャワ条約の両陣営による冷戦がもたらされた。

 いかがであろうか。この欧州大陸における、17世紀前半と20世紀前半にそれぞれ戦われた「30年戦争」の歴史的推移と結末には相似性が見られる。

 私の国際情勢の分析手法は、各国の機密文書や機密情報、いわゆる一次情報に頼るものではなく、歴史のパターンや法則から、その傾向と結末を予測するというものだ。
 このような観点から、欧州大陸で繰り返された闘争の歴史と結末は、今後の中東情勢を読み解く上でも、参考になるだろう。

 まず、隣接するランドパワー同士が、何らかの妥協点に達し、相互の尊重という合意点に達するまで、相当の期間の闘争を経験しないとなしえないことは、欧州の歴史が証明している。

 欧州では、国際秩序が回復するまで、30年の戦争を経験しなければならなかった。
これを中東に当てはめて考えると、1980年のイラン・イラク戦争(イラン・イラク国境のシャトル-アラブ川河口付近の領有問題を直接的なきっかけとして勃発した戦争。1980年0月、イラク軍のイラン侵攻によって開戦。)から、現在にいたるまで、約30年の間、戦争を継続している。

 これは、歴史の法則や人間の心理について考えてみると、そろそろ厭戦気分が起きてもおかしくない。

そして、中東30年戦争を戦ったシーア派とスンニ派は、チグリス・ユーフラテスを自然の国境として、「中東版ウェストファリア条約」もしくは、「中東版NATOとワルシャワ条約」を結ぶのではなかろうか。それが、もっとも自然な落とし所と考えられる。

 報道されるところによれば、米軍のイラク撤退後、サウジがイラク国内のスンニ派を支援するということを明らかにした。これは、事実上のイラクの東西分割、すなわち、スンニ派イラクとシーア派イラクへの分割への布石になるだろう。

 まさに、欧州における東西分断の最前線である、ドイツとイラクは地政学的に全く重なる。

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外相級会合、5月上旬エジプトで イラク安定化会議 2007年04月07日21時30分

 イラクのジバリ外相は7日、イラク安定化会議の外相級会合を5月3、4両日、エジプトのリゾート地シャルムエルシェイクで開催するとの見通しを明らかにした。イラク周辺各国のほか、国連安保理常任理事国、さらに主要8カ国(G8)メンバーの日本、伊、独、カナダも招くという。

 当初、トルコのイスタンブールでの開催が見込まれていた。マリキ首相はバグダッドでの開催を求めたが、いくつかの国が治安状況に懸念を示したという。

 3月10日には、13カ国の駐バグダッド大使や外務次官級が参加した安定化会議をバグダッドで開催。米国とイラン、シリアの代表の対話が実現するなどの成果があった。

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コメント
この記事へのコメント
世界史に見られるランドパワーとシーパワーの戦略VOL188

                           
江田島孔明


私が昨年より何度も力説してきたアメリカと北朝鮮、イランの関係改善への流れが強まってきた。

<参考>

http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20080124AT2M2400I24012008.html
米国務長官、核開発問題で歩み寄り求める・イランと北朝鮮に
 【ダボス=市村孝二巳】ライス米国務長官は23日夕、世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)で講演し、ブッシュ政権の外交方針について「米国に永遠の敵はいない」と語り、イランや北朝鮮に核開発問題での歩み寄りを求めた。
 イランに関しては前日に国連安全保障理事会の常任理事国とドイツの6カ国がイランに対する追加制裁案で合意したことに言及。「ウラン濃縮が停止されればいつでもどこでも私の相手と会い、何でも話し合う。これ以上強く招待しようがない」と述べ、同じくダボス会議に参加するイランのモッタキ外相との会談を要請した。
 北朝鮮についても改めて寧辺の核施設の無能力化とあらゆる核計画の申告を迫った。(12:42)


思うに、昨年の今頃から、アメリカとイランとの間では戦争が起きるかのような情報操作が為されてきた。私は、これは、当初より、情報操作であり、関係改善は必ずなる、そして、この両国の関係改善とは、つまるところ、「イスラエル切捨て」であり、結果としてアメリカが19世紀のような、FRBすなわち国際金融資本に支配される以前の状態に復する事を意味する事を主張してきた。これは、個々の報道や発表を分析して達した結論ではない。歴史の流れをアメリカが世界史に登場したポーツマス条約の仲裁をした頃に遡り、個々の事象ではなく歴史のフローを透徹した目で見通した結果だ。春秋の筆法を借りるならば、20世紀をアメリカの時代と捉えるならば「アメリカが発展した理由の中にこそ衰退の原因が潜んでいる」という事であり、それがサブプライム問題に端的に現れた国際金融資本の限界だ。
ttp://www.afpbb.com/article/politics/2341492/2557751
ダボス会議でイスラエル外相、「イランの孤立化を」

2008年1月24日、スイス・ダボス(Davos)で開催中の世界経済フォーラム(World Economic Forum)年次総会で演説するツィピ・リブニ(Tzipi Livni)イスラエル外相。(c)AFP/PIERRE VERDY
【1月25日 AFP】スイスのダボス(Davos)で開催中の世界経済フォーラム(World Economic Forum、ダボス会議)の年次総会に出席したイスラエルのツィピ・リブニ(Tzipi Livni)外相は24日、世界各国の政財界要人に対し、イランでの経済活動から撤退し、同国を孤立させるよう要請した。

 リブニ外相は「イランは世界的な脅威だ。イランを止められるのも、変化を起すのもあなた方だ」と強調。「富は社会生活だけでなく、政策決定にも重大な影響力をもつ」と語り、「これは個人の決断の問題でもある」と訴えた。

「ここに集まった企業や国の代表がイランからの撤退を決めればイランは阻止できる。決定権はあなた方の手中にある」

 イスラエル政府は、原発建設を隠れ蓑に核兵器開発を行っているとしてイラン政府を非難しているが、イラン側はこれを否定している。一方のイスラエルは、公式には認めていないが、中東唯一の核保有国とみられている。(c)AFP
歴史を考える上で「統治のエトス」という言葉がある。現代のアメリカはそれが「資本」なのだ。資本は資本のインフレによって滅びる。幕藩体制が土地問題を契機として成立し、土地問題を解決できず滅んだのと同じだ。サブプライムに代表される資本の本源的問題とは、それがゼロサムゲームであり「ババ抜き」である事につきる。不断のインフレと不良債権増殖は究極的には財政赤字とその解消としての定期的戦争を不可避のものとした。これが30年戦争以来の世界史の本質だ。問題は国際金融資本のシナリオが崩れた時に、どのような反動が起きるかだ。穿った見方をすれば、これは、コロンブスのアメリカ大陸発見以来の世界史の流れが変わる大転換点になるかもしれない。日本史においては幕府の崩壊は国家の崩壊を意味しなかった。なぜなら、朝廷を中心とする勢力がバッファーとなり、権力の委譲が平和裏に行われるという進んだシステムを保有していたからだ。この点、王朝交代が国家の崩壊と同義の中国史と比較すればいい。
国際金融資本のシナリオが機能してこなくなると、果たして何が起きるのか?まだ、正確には分からないが、「土地や自然への回帰」がキーになるのではないだろうか。何故なら、減価する貨幣に価値を見出した結果、リアルな支配を失った反動があると考えられるからだ。その意味で、遙任国司が普通化した平安貴族や国防を丸投げしたローマ貴族に比肩できるだろう。そして、リアルな支配を維持した層とバーチャルな支配の対立では前者が勝利するのは歴史の法則だ。その際の対立軸は、あるいは欧州のルネッサンスや明治維新の様な「復古」を模した革新ではないかと予想する。つまり、世界規模での明治維新を提示しなければならない。そのために、鳥羽伏見の戦いがあるのか、あるいは本土決戦を回避できるのか。時間はあまりないが、私は人類の英知を信じたい。そして菅原道真・徳川家康・昭和天皇によって示された「日本モデル」こそが、人類文明の到達点であることを示したい。
そこにこそ、砂漠の神を戴く国際金融資本の限界を超える、「日本の解」、それはハーンやアインシュタインが認めた人類の英知があり、そこにこそ、日本史、日本文明の存在価値があると考える。これは、我々に課せられた文明の挑戦であり、拙コラムの根本命題だ。
<参考>
http://blog.goo.ne.jp/banabuna/e/d31b66f59d12ff334d743549318f9cdb
「一神教」の問題と近代の超克

下記のろろさんのエントリーへのコメントなのですが、話が非常に大きくそれてしまうのでこちに描いておきます(素晴らしい内容のエントリーで、コメントも充実していますので、はじめての人はまずそちらをごらんください)

『日々是勉強』【情報操作】メディアリテラシーというものを教育できるのか
http://roronotokoro.blog113.fc2.com/blog-entry-89.html

>>>>>>>>>>>>>
>本来のPublicというのは、共同体内のPrivateな経験の積み重ねの
>中で育まれ、言語だけに頼らない「合意」として蓄積されていくものだと思います。

  転倒しているんですよね。具体的な生活なり感情なり経験があって、それに言葉をつけるというのではなく、言葉が先にあって、これに生活や感情を隷属させようとしているのです。そういう点では、右翼と左翼は全く同類です。
  聖書に「初めに言葉ありき」というくだりがありますから、彼らは実は一神教信者なのではないでしょうか?
<<<<<<<<<<<<<<

いわゆる言葉で書いてある理想に隷属してしまう教条主義的な右翼・左翼は確かに「一神教的」ですね。

ただ、一神教そのものについては、少し元から考えてみる必要はあると思います。

まず、素人ながらに一神教の根本は何かということを考えるのですが、おそらくそれは「明示的な万能の理性」を権威とする父権的な共同体文化なのだと思います。言葉というのは理性の明示化であり、宇宙の諸相は(究極的には)「全能の理性=父なる神」の言葉で言い表すことができるし、「実際に」そうなのだと。で、これは良い悪いではなくて、そういう自然条件にある共同体には自然にそういう文化・宗教が発生するのだと思います。

つまり、食糧生産に向いた土地が限定的で、広い地域に点在する共同体どうしが互いに交易等を通してなんとか生きていけるようなところでは、どうしても家族や個別共同体を越える超越的・抽象的でかつ明示的な存在にジャッジを委ねる必要がある、すなわち取引上の正当性を皆が認める「一つの神」に保証してもらうという必要があったのだと思います。また、そのために使われる「言語」にも、嘘偽りのない厳格さと「力」が備わっていると同意形成をする必要があったでしょう。また、この延長上に普遍的な取引媒体である「貨幣」が発明されたのも自然な流れだと思います。

ここで、貨幣が単なる交換手段であるなら問題ない。父権的な一神教の教義そのものも、抽象的な概念・契約の範囲にあれば、実際の取引、すなわち共同体どうしの存続を維持するものである限り、何の問題もない、というよりも必要な文化であった。

これが問題化するのは、父権的教義が特定の人物や組織、あるいは貨幣のような形で実態化・固定化してしまったからだと思います。本来、伝統的宗教はそういう概念の固定化・実態化(仏教用語でいうところの『法執』)を抑えるために様々な制御機構を有しています。例えば特定人物・組織あるいは偶像崇拝の禁止であり、利子取得の禁止であり、万物の流転・循環を意味するメメントモリ・無常観であったはずです。西洋の宗教に問題があるとしたら、伝統的宗教から「誰か」が巧妙にこの制御機構を無効化または「逆転」させて、大衆支配のために悪用した部分だと考えています。

私は、このアイデアを思いついたのは、ローマ時代の「被差別民」だったと推定します(あまり大きな声では言えませんが、キリスト教がローマで国教化された頃に活躍した教父たちの背後がとても怪しいと思っています)。その実際の仕掛け人が、カルタゴ後のフェニキア人か、ユダヤ人か、その特定はともかくとして、『彼ら』が積年の恨みと自己の身の安全を守るために先祖代々に渡って人間支配のノウハウを練り上げたと推定しています。これにより、かつての被差別民が、宗教闘争により「選民」となり、その後また新たな被差別民が多大な犠牲を払って次の「選民」になることを繰り返してきました。その度に宗教が本来守るべき共同体が崩壊し、滅亡した過去の民族の「怨念」が「狂った父」に注ぎ込まれたのだと思います。すでに守るべき共同体のない「狂った父」は、ただただ地球上の生命を去勢し、服従させるだけの存在になっていきます。

つまり、現在我々が、「一神教」や「科学万能・唯物思想」として否定的に見るものの根本は、本来の伝統的一神教ではなくて、以上のような過程を経て父権性があまりに肥大化した「破壊カルト」なんだと思います。その父権的力の象徴が指数関数的に増殖する貨幣であり、国際金融資本は、共同体を失った人間が狂った父の力にとても強く惹かれることを知っており、それ利用している、ということだと思います。このような心性を持つ人が増えれば、あとはなるべく民衆が分裂するような教義・理念・法を与えて、それぞれに狂った父を掲げて(自称)「被差別民」であるという認識の下に、互いに憎しみあって殺しあい、その結果として『彼ら』に利益と安息の時を提供するという仕掛けが完成します。

以上は私の極めて大雑把な推察です。ただ、この推察が正しければ、すべての始まりに、宗教の制御機構を「逆向き」にすることで自らが得をする方法を思いついた人間嫌いの大天才がいます。そして、なぜ彼がそういうことをしたかというと抑圧の歴史の中で、心に大きな「トラウマ」を抱えていたから、だと思っています(私が嵐の湖の底に垣間見た船は、この「トラウマ」でした。要するにカルトに染まったり、○○思想に染まって、自殺したり、仲間を殺すような人には、深い「トラウマ」があるということです)。

さらにその後、「狂った父」の象徴であり力である貨幣を増やすための様々な発明が生まれ、多くの人にトラウマが増殖し、世界規模での「うねり」となっていったのが「近代」でしょう。だから、この流れを断ち切る最もシンプルな方法は、「狂った父」と直接戦うことではなく、そういうトラウマを持った人間をなるべく生まない社会にすることです。またはそういうトラウマのない人々がよく活躍できる社会にして、その中で自然にトラウマを持った人々がそれを消化するのを待つことだと思います。

最近、私は日本人や伝統的な共同体感覚が残っている人々に期待されている役割があるとしたら、そのような世界に広がる「トラウマ」の増殖を抑え、ゆっくり溶かしていくような「セラピスト」になることではないかと思うことがあります。

宮崎駿は、映画「千と千尋」の中に登場する「カオナシ」を死の世界(沼地)からやってきた過去の欲望やトラウマに縛られる哀れな亡霊として書いていますが、あれは実際のそういった人間の(悲しくもどこか同情できるような)弱い心性を描いたものでしょう。弱い心性であるからこそ、他人に対して過剰に服従を強いる態度にでてしまう。ニーチェは近代のキリスト教が抱える「ルサンチマン」に気が付いたけれども、それを昇華する方法として、やはり父性的な発想しか持てなかったのが彼の限界ではないでしょうか。人々の心の中に広がる「カオナシ」のトラウマに、どのように対応していくのか。一つの方法としては、母性的な心性を持ちつつも、父性・母性双方の価値観を行きする勇気を持ったセラピストの育成であるように思います。

「千と千尋」を含め、最近のアニメやマンガで「戦う少女」や「普段頼りないけどやるときはやるみたいな少年」が多くでてくるようになっているのは、そうしたセラピストが現れてくることを待ち望む民衆の潜在的意識の現われだと私は思っています(ろろさんの好きな、というか私も好きだったサザンアイズのパイや八雲もその典型例であると思います)

映画「千と千尋」では、頼りない少女が人生の守・破・離を見事に成し遂げて、崩壊しかけていた世界のセラピストとなる様子が明快に描かれています。もちろん、現実の解決をはかるためには、映画とは異なった「守・破・離」のプロセスを個々人が成し遂げる必要があります。

そこでまずは『守』として、我々はなぜ日本が、明治維新という選択をしつつも、近年まで、そして現在でも、なんとか耐えてこれたのか、ままならない現実に憤るだけでなく、自らの存在と今日の気付きを支えてくれた有形無形の背景に想いを馳せる必要があると思っています。

私は単なる東洋的アニミズムの他に、我々の日本には多くの民族的な悲劇とそれを乗り越えてきた歴史があり、それに伴う深い心性の進化があったと思っています(先の大戦における犠牲というものもおそらくそうした歴史の中に位置づけてはじめて昇華できるものではないかと思っています)。民族としての蝦夷、氏族としての物部は滅亡してもその心性は後の世に引き継がれ、広がりました。すなわち鎌倉仏教として後の世に花開き、さらに江戸文化の繁栄にもつながりました。日本列島という風土が、様々な民族や文化の受け皿となり、東と西で大きく律動してきた歴史には、(多くの犠牲を生みながらも)縄文の心性が消えることなく、様々なものを溶かし込む「溶媒」へと進化(自己変革)してきたことが感じ取れます。日本人の心の底には、滅びの美学があると、指摘する人もいます。確かにそういう面はあるかもしれない。ただ、もう少し正確には「たとえ身が滅ぼうとも我が精神は生きる」という気持ちが強かったのではないでしょうか。自他の「共苦」を受け止め、それを昇華する何かがそこに感じます。

私たちの先人が、狂った父である「一神教カルト」に相対しても、日本の文化が完全に崩壊しなかった理由の一つにそのような心性の深さ・柔らかさがあったと思うのです。明治の頃から物事が見えていた人々というのは、日本が近代化するにあたって、そのような日本人の心性に、ある種の「賭け」をしたのではないでしょうか。昭和天皇が南方熊楠を愛していたのは、彼の中に日本人が近代を超克する光を感じたからではないでしょうか。ただ、一方でその苦しみの中で亡くなっていった知識人も大勢います。先の大戦に関連してなくなった多くの将兵さんやその他の方々もある意味近代超克のための尊い犠牲のように思います。近代超克のための作業は、アカデミズムや文壇などではなく、実際の戦場や戦前・戦後の経済において行われてきたと思います。そして、その戦いは今現在も形を変えて続いています。また、この戦いは、日本だけで展開しているわけではなく、世界各地で継続中であり、戦いに負けないためにはそれぞれの連携も大切だと思います。


今後、多くの人々が協力して、「死のみやこ」からどんなカオナシがやってきても、自然とトラウマが抜けるような社会を作ることが望ましいと思う。

そうした社会の構築に必要な材料は意外と自分の足元や心の中に転がっているように思う。

そして、以上の過程で最後まで我々が負けたと思わなければ、いずれ「必ず」近代は超克される。

<参考>
http://www.teamrenzan.com/archives/writer/edajima/post_168.html
はっきり言えば、当時の日本は、革新官僚、昭和維新を目指す陸軍青年将校、知識人の主流は全て、「統制経済の共産主義者」であり、「国際共産主義ネットワーク」に牛耳られていたといっても過言ではない。これは、日本のみならず、大恐慌以降の世界的傾向だ。
例えば、アメリカでは、戦後、マッカーシー上院議員(共和党)が「205人の共産主義者が国務省職員として勤務している」と告発したことを契機に、ハリウッド映画界などをも巻き込んで大規模な「赤狩り」を行った。
後にはニューディーラーまで対象となった。当時のアメリカ国内では現実にコミンテルンがマスコミや政財界、軍部まで取り込み工作活動を行っており、マッカーシーらの活動は、手法に強引さはあったものの、当時のコミンテルン人脈を断ち切ったと評価されている。
英国は周知のように、フィルビーやマクリーンのような情報組織や外務省の大幹部がソ連のスパイという有様だ。
なお、チャーチルは、後に第二次大戦回顧録で、日本の対米開戦すなわち真珠湾攻撃の知らせを聞いて「これで勝てる」と確信したという。真珠湾は、敗戦寸前だった英国を救う効果があった。
こういった世界的な背景で日本の南進を決定付けた「ゾルゲ事件」を理解すべきだ。
ここまで読んでこられた賢明な読者はお気づきになられたであろう。そう、新春特別号その1、その2で述べたような17世紀のキリスト教布教と20世紀の共産主義の拡散とは、同じように、国際金融資本が当該国を精神面で支配するために使ったツールなのだということを。
そう考えると、国際金融資本の意図を正確に見抜き、キリシタンをご禁制にした17世紀の指導者と、共産主義者に国家の中枢を乗っ取られた20世紀の指導者と、どちらが優秀であったか、議論の余地は無い。

http://npslq9-web.hp.infoseek.co.jp/sls082.html
西欧で起きた産業革命以来、文明のモメンタムは、シーパワーに主導された「利益の追求」によってなされた。それを資本主義と呼んでありがたがってきたわけだが、弊害として、共同体の喪失や自然環境の破壊が起きた。

 過去の文明の衰亡には、家族や地域の助け合いや相互扶助の欠乏というのは決定的に影響していた。日本もそのパターンにはまりつつあるのである。さらに西欧近代の自然科学を基盤とした進歩、競争するだけのベクトル、モメンタムは結局文明を衰亡させる。

 かっての地中海沿岸が緑深き沃野だったのが、開発により緑(レバノン杉)を失いやがて滅びた。翻って日本の江戸期など山林開発に禁制を設け、枝一本は腕一本、一木は首一つといった重大な罪に問い、しかし260年の安定を維持したことの対比は重要である。

 シーパワーは危機に際して、新たな枠組みを作ることによって先へと進み、未来を切り開いてきた。その先進性、開明性は今後「利益」、「個人」、「進歩的発展」から、「環境」、「共同体=個人ではなく他者との絆」、「持続的発展」へと向かうであろう。

 その為に近代の枠組みを変える時が来たのである。提言としては、社会の最小単位である「結婚」の意味を再度見直し、具体的には、婚姻にあたり、双方が合意できる契約書を作成し、できるだけ紛争や利害を調停する枠組みを構築すべきである。ここをしっかりしていないから、容易に離婚に走るのである。

 さらに、地域が今後の重要な社会集団となることは疑いなく、企業も社員の地域活動を積極的に後押しすべきである。地域の青少年と中高年の交流の場を設け、青少年の夢、未来に対して、中高年がバックアップし、積極的に投資する枠組みを設けるべきである。

 華僑や金融資本がバイタリティーを失わない、真の理由はこのやり方を歴史的に維持することにより達成される世代間の連帯にある。この実現により、そのほとんどが中高年に所有されている、日本の1200兆円といわれる金融資産は有為な投資先として、次世代を担う「人」の育成に回るのである。無意味な金融商品で浪費するよりはるかにましである。

 西欧のシーパワーは砂漠の神である、一神教をいただいていた。旧約聖書の十戒が「殺すなかれ」で始まっていることは、一神教徒の精神性を知る手がかりである。日本人の原点とされる十七条憲法の第一項が「和の尊さ」であることは彼らと比べて、日本人の精神性の高さを物語る。

 日本人の精神性を語る上で、神道的多様性(八百万の神々)という思想は重要である。それぞれがそれぞれに貴いものを持ちながら、みんなで一緒に調和しつつ、しかもその全体が最適になる社会をつくるのだという発想が、日本人の原点にある考え方のだ。 

 砂漠の神を戴く一神教及び金融資本にフリーハンドを与えた結果、部分最適と個人の利益が極大化した結果、世界環境は重大な危機を迎えている。彼ら自身のパラダイムで現代の諸問題は解決できない。

 新たなパラダイムは我々日本人が提案して示していかなければならない。日本こそが、ランドパワーを内部に包摂し、しかもシーパワーの論理性をも兼ね備えた文明を世界に示しうる。

 多神教に依拠する縄文と弥生の頃から、日本の歴史は両者(ランドとシーの両パワー)の「対決から止揚」というパターンをとった。近代のパラダイムを相克することは、世界に唯一の「多神教シーパワー」日本にしかできない。

 現代において、日本こそが人間と自然や社会の発展を高い次元で両立させているのであり、基盤である最古、最長の文明の縄文が一万年以上に渡って自然と調和を保ち持続的発展を遂げた意義を、再度見直さなければならない。

 今後、日本は金融資本と直接、間接に向き合っていくだろう。そうした中で、金融資本が日本を飲み込むか、または、日本が金融資本を飲み込むかが、世界史の転換点になっていくだろう。

 今こそ世界レベルでシーパワー諸国に日本の文明史的意義を訴え、理解、実践させるべき時なのである。「環太平洋連合」樹立の真の意味はここにある。
以上
(江田島孔明、Vol.82完)

                                      以上
2008/01/27(日) 00:26 | URL | 孔明 #-[ 編集]
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