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世界史に見られるランドパワーとシーパワーの戦略VOL156  江田島孔明

松岡農林水産大臣について、謹んで哀悼の意を表明する。

国内政治を論じるのは本意ではないのだが、戦後初の現職閣僚自殺という異常事態を受けて、今回は、松岡農林水産大臣の自殺の背景と影響について考えてみたい。

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 まず、今日の事態を考える上で、55年体制下の自民党という政党の歴史を紐解いてみたい。

 第2次世界大戦後の日本の政党システムの形成をみると、まず、1955年に左派社会党と右派社会党が統一されたのに対抗して、保守政党の自由党と民主党が合併して自由民主党(自民党)が結成された。

 この保守合同以降、自民党は1993年7月の衆院選挙で過半数が割るまで38年間、一貫して政権を担当してきた。この自民党が継続して政権を担当した政党システムを「55年体制」と呼ぶ。

 1955年に成立した戦後日本の政党政治の枠組みのこと。

 その年に、左右に分裂していた社会党が統一し、次いで自由党と日本民主党との間で対立していた保守も合同することによって、自由民主党が発足した。
 自社二大政党制の実現を予想する向きもあったが、実際は社会党は自民党の二分の一軽度以上の勢力にはならなかったことから1・1/2政党制、あるいは自民党が一貰して優位を占めていたことから一党優位政党制とも呼ばれたりする。

 この体制は1993年の非自民連立政権、1994年の自社さきがけ連立政権の登場を経て崩壊したとされている。

 もともと自民党の成立(保守合同の実現)は社会党の統一に刺激されたものだが、そもそも左派主導のもとで社会党の統一が実現したのは、米軍への基地提供(しだいに基地拡張)や再軍備に対する反対運動のなかで左派社会党が総選挙ごとに議席をのばし,保守政党が統一されていない情勢のもと、右派と合同すれば社会党が内閣を担当できる可能性が高まってきたためだ。

 それに対し、社会党政権成立への危機意識を高めた財界の強い要請を背景に、吉田茂の政界引退を契機として自由党と日本民主党の合同が実現するそれが自由民主党の結成だ。

 こうして自由民主党が安定多数を確保して内閣を維持し、社会党など野党が3分の1の議席をしめて憲法改正を阻止するという政界の構造が形成された。
 1960年までは自民党と社会党のあいだで激しい対立が国会で繰り返され、自民党政権が安定していたとは必ずしもいえない状態が続いた。(議会では強行採決が何度も繰り返されている)。
 特に岸信介内閣の末期には、岸内閣が日米新安保条約の批准を衆議院で強行採決したことに対しては、自民党内部からも反発がでてきて安保闘争をさらに高揚させている。必ずしも自民党政権が安定していたとは言い切れない状況があった。

 しかし、岸内閣が新安保条約の自然成立後に総辞職して池田勇人内閣が成立し、「寛容と忍耐」「低姿勢」を掲げて社会党など野党との対話姿勢へと転換したことから、議会における自民・社会両党の激しい対立は影をひそめていく。

 そして争点も政治的課題から、池田内閣の国民所得倍増計画が想定する(予想)経済成長率をめぐる対立へとズレていく。

 そして岩戸景気のもと、池田内閣が想定した以上の経済成長を実現し、さらに佐藤栄作内閣期にいざなぎ景気が長期にわたって訪れるなか、自民党政権は安定期を迎えることになった。

 もっとも、1960年代末から1970年代にかけて経済成長の弊害(公害・過密などの都市問題)が政治問題化してくると、都市圏を中心に社会党・共産党系(いわゆる革新系)の地方首長が登場し、さらに国会でも(多党化をともないながら)保革伯仲の時代が訪れた。
 ロッキード事件という田中前首相の汚職事件の影響も大きいが-。

 とはいえ、1980年代になり対米輸出の激増などを背景として低成長時代を脱却し、経済大国への道を歩み始めると、再び自民党優位の時代が復活した。

 こうして五五年体制は多党化現象を伴いながらも小沢一郎の脱党に伴う新政党結成から非自民連立細川政権樹立の1990年代初めまで続くことになった。

 問題は、この55年体制による自民党政権が、田中角栄の登場をもって、大きく変質した事だ。

 田中は、官僚出身ではなく、従来の観点から、日本の主流ではなかった。
 そして、非主流として、本来は裏方の仕事に従事しているべき所を、佐藤栄作の後継を福田赳夫と争い、勝利してしまったのだ。

 ここで、福田赳夫の敗北は、日本の正当な支配者である「官僚支配」の終わりの始まりを象徴する出来事だ。
 官僚のひとつの習性として、上意下達がある。
 すべて上司の指示で行動し、自分の意志での行動ができない。
 宮沢喜一も早くから総理候補として頭角を現しながらも、みずから闘って政権をもぎ取るという姿勢を見せず、そのため中曽根や竹下、海部といった後輩に先を越された。
 ようやく金丸の指示で総理の座に着いたときには、自民党政権はすっかり腐りきっていて、手腕を発揮する術もなかった。

 また個人としては土地公有など面白いビジョンを持っていながら、それを実行するためには何の努力もしなかった。
 すべて、「私の能力を求められたらやります」というスタンスだった。
 総理時代もこれで通し、口癖は、「私には関係ありませんが」だった。

 福田赳夫もこの癖があり、かれは佐藤栄作の禅譲を信じすぎた。
 総理の佐藤が後継は福田といえば、自民党で文句を言う人間はいないと確信していたのである。
 官僚なら上司の人事権が絶対なのだろうが、政界はそうではない。

 党人の田中角栄がめきめき力をつけ、総裁選投票に持ち込んで福田を圧倒した。
 佐藤の思し召しなど役に立たなかった。
 福田が総理になるのは結局、田中、三木の党人総理のあと、ようやく闘う姿勢を見せた「三木おろし」の闘争の後である。

 この点について、昭和47年7月5日の自民党総裁選は「角福戦争」と呼ばれ、戦後日本の政治史に残る大激戦になった。
 どうしてそうなったのかというと、佐藤首相が自分の派閥の実力者であった田中角栄でなく、実兄である岸の後継者の福田を推したからである。
 
 そして福田の次は中曽根という密約までして、田中を自民党総裁・首相の座から遠ざけようとした。

 これに反発して、田中は佐藤から独立して田中派を作り、総裁選に臨んだ。
 さらに中曽根が田中につくというハプニングがあって、田中は福田陣営に逆転して勝利した。
 総裁選の後、佐藤首相は演壇で田中の会釈にも答えず、首相官邸の庭で開かれた新総裁祝賀パーティにも顔を見せなかったという。

 つまり、佐藤栄作から福田赳夫への禅譲が成立していたら、その後も官僚支配は継続した可能性が高い。
 しかし、権力の正当性は一旦傷がつくと修復不能なのも、歴史が証明している。

 田中角栄以降、本来は裏方の国体族が自民党を牛耳ることになり、結果として汚職が絶えない事となった。
 何故なら、贈賄や談合は国体政治や選挙のための必要なコストだからだ。
 官僚出身の岸信介はこのような裏方を「濾過器」と呼んでいた。

 そして、本来は「裏方」が行うべきところが、田中角栄以降、自民党の「本来業務」と化してしまったのだ。
 ここに、自民党が「保守政党から利権政党」への変質があったということができる。ある種のクーデターといってもいい。

 ここから自民党は、ある種の戦国時代に突入してくる。
 すなわち、政権は「禅譲されるものではなく、戦って奪うもの」となった。ホッブスの言う「万人の万人に対する闘争」が始まったと言うことだ。

 日本の戦国時代にたとえてみれば、官僚は室町幕府が任命した守護であり、本来はその地域の正当な支配者だ。
 党人政治家は守護に使える地侍のようなもので、統治の正当性はない。
 しかし、下克上により、斉藤道三や織田信秀のように守護を追い出し、実権を握った。「下克上」とは、下の者が上の者に打ち勝って権力を手中にすることだ。

 南北朝時代から戦国時代、農民が領主に反抗して一揆として蜂起し、また、家臣が主家を滅ぼして守護大名や戦国大名になっていった乱世の社会風潮をいう。

 この状況が田中角栄以降、現在に至るまで起きていることだ。

 つまるところ、権力の承継が実力でなされるか、あるいは、禅譲によって行われるかの違いが戦国時代と平和な時代を分かつ分水嶺となる。

 政治的に見ると、日本の戦後を安定させてきたのは、圧倒的な中間層であるが、現在、その中間層が破壊されつつあり、二極化が進行している。
 このような状況で内政が混乱し戦国時代ばりの権力闘争が行われると、最終的には左右の勢力が突出し、武力衝突に発展するおそれがある事だ。

 ここで問題は、戦国時代の収束には、強力な独裁者が必要になるということだ。
 これは、ヨーロッパで言えば、ナポレオンやヒトラーが出て初めてフランスやドイツが統一されたという事と同じだ。

 Vol67で述べたように、日本国が採用している議会制民主主義とは、「選挙民の理性」を条件として成立するものだ。理性を失い、暴力やテロを容認すれば、それは容易に独裁に道を開くものである事は世界の歴史が証明している。

 民主主義とは天から与えられた当然の権利ではなく、常にそのような脆さを秘めた物であることを理解した上で、維持していかなくてはならない。

 「権利の上に眠るものはこれを保護せず」という法格言があるが、読者諸兄におかれてはこの点を熟慮の上、対応を吟味されたい。
 さもなくば、昭和十年代の世相から、再度やり直すことになろう。
 あの頃もテロが頻発している。

 ホッブズが「万人の万人に対する闘争」と述べたのは法制度の必要性を説いているのではなかったか。

①人間とは自己中心的な存在で、自分の欲望をかなえるためなら手段を選ばない(自然状態)。
②そのため各人が自分だけの欲望をかなえようとして他の人を押しのけても構わないと考え、自分の欲望を満たすためには人を押しのけることもいとわなくなる(万人の万人に対する闘争)
③そうすると社会全体としては好ましくない方向へ進む
④そんな人間の行動に歯止めをかけるには法律というものが必要である。

 この様な観点から、理性のタガが外れ、政治的なテロや暗殺が頻発すれば、それは、ホッブスの言う「自然状態」すなわち、不断の闘争と内乱のフェーズに入ったと言うことだ。
 まさに、民主主義の自殺であろう。

 現職閣僚の自殺はこの様に考えれば、決してあっては成らない事だ。
 まさしく、日本は一線を越えてしまったということだろう。

 松岡大臣自殺の背景に何があったのか、最終的には司直の解明を待つほかはないが、伝え聞くところによれば、緑資源にからむ談合につき、検察が捜査を始めた事がインパクトを与えたようだ。
 事は「ナントカ還元水」のレベルではない。
 農相が命を賭けてまで守ろうとしたものは、「戦後体制そのもの」ではなかったかと推察される。

 そして、現在、この「戦後体制」そのものが大きく揺らいでいる。
 近代に限っても、幕末かそれ以上の変化の前触れではなかろうか。

 なお、日本における戦国時代を収束せしめた徳川家康と昭和天皇はどちらも、統治の基本に方や嫡出子(長男)方や東大法学部を置き、下克上を許さなかった。
 これが安定政権を生んだ統治の根幹だ。
 そして、このルールが崩れた時、戦国乱世が始まった。

 年金と自殺で政権支持率が急落した安倍政権としては、このまま参院選を戦えば、惨敗は必至であろう。参院惨敗を防ぐ唯一の手段は野党の準備が整っていないうちに衆参ダブル選挙にして、野党の力を衆参に分裂させ、各個撃破する事だけだ。それには、小泉郵政解散と同じような、安倍劇場を演出する必要がある。
 起死回生の一打はあるのか、それとも、このまま野垂れ死にするのか。
 
 いずれにせよ、政界再編の引き金になる事は間違いない。

 第2代将軍・徳川秀忠と淀君の妹・江与(えよ、父・浅井長政、母・織田信長の妹お市)との間に最初男の子(長丸)が生まれたが、3年後に竹千代が生まれると長丸が亡くなってしまったんだ。
 だから両親としては竹千代に愛情を注ぐことができなく乳母としてお福をつけた。

 竹千代が生まれた2年後に国松が生まれると、国松が長丸の生まれ変わりのように感じて愛情は国松に集中した。
 江戸城では何かと利発な国松が大切にされ、竹千代は二の次にされていたので、お福はこのままでは世継は国松になってしまうと危機感を覚え、すでに駿府城に隠居していた徳川家康に直訴に行った。

 お福の話を聞いた徳川家康は直ちに江戸城へ。
 突然の大御所(おおごしょ、家康のこと)の来城に秀忠は大慌て。
 「孫の顔が見たくなってのう」の家康の言葉に、竹千代と国松が呼ばれ、家康は竹千代に「こちらに来なさい」と言って呼び寄せ隣りに座らせた。すると国松も一緒に傍に寄ろうとするが、「長幼(ちょうよう)の儀礼をわきまえないとは何事か。竹千代殿は兄、世継ぎとなる身、国松殿は弟、臣下(しんか)となる身であろう。同列に並ぶことは許さぬ。」
 さらに念を押すかのように
 「ほんに竹千代殿はよい将軍になられるであろうのう。」この家康の鶴の一声で、次期将軍は竹千代と決定した。

<参考>

緑資源発注事業 『松岡前農相が予算付け』 熊本の談合組織

 2007年6月2日 朝刊
 独立行政法人「緑資源機構」による熊本県の大型事業をめぐる談合疑惑で、二〇〇四年に開かれた熊本県阿蘇地域の談合組織の発会式で、松岡利勝前農相(62)=自殺=の有力後援者の建設業者が「緑資源の事業は松岡先生が予算を付けたのだから、先生に返さなければ」と支援を呼びかけていたことが分かった。
 メンバーの六割は松岡氏側に計約千八百万円を献金しており、東京地検特捜部は、この業者を中心に、松岡氏への支援を条件に談合を繰り返したとみて、調べを進めている。 

 内部資料や関係者によると、この談合組織は「阿蘇北部地区中山間事業安全推進協議会」(推進協)。
 熊本県小国町などの「阿蘇小国郷区域」(約五千七百ヘクタール)で、農地と森林を一体的に整備する大型事業をめぐり、農林道建設や区画整理などの入札で談合を繰り返した疑惑が浮上している。

 推進協は〇四年四月に地元の三十七社が参加して発足。松岡氏の有力後援者の建設業者(阿蘇市)が会長に就任した。
 機構からの受注高に応じて会員業者から会費を徴収していた。

 推進協の会員企業のうち二十三社は一昨年までの三年間に、松岡氏の資金管理団体と松岡氏が代表の自民党支部に献金。
 うち十四社は〇三-〇六年度、機構が発注する農林道や区画整理の工事など三十件(約二十二億二千四百万円)を落札していた。

 献金額が最も多かったのは、会長となった阿蘇市の建設業者で計四百十六万円。全体の二割強を占めた。
 この業者は農林道工事と区画整理の四件(約四億五千万円)を落札。落札額も推進協の中でトップだった。

 次いで献金額が多かったのは阿蘇市の別の建設業者で計二百八万円。農林道工事など四件(約三億三百万円)を落札し、落札額は三番目だった。

 推進協の会長会社の社長は「談合はしていない。松岡先生は地元だから最初の選挙から応援していた」と話している。

<参考>

◯ 世界史に見られるランドパワーとシーパワーの戦略VOL67 江田島孔明

 今回は、小泉首相の政治手法が独裁的だとの声があるが、その点について、考察してみる。

 まず、戦後の日本の国家体制は、国民主権と民主主義を基礎とするといわれている。
 この、民主主義というのは、独裁を否定するものだろうか。

 実は、民主主義とは、欧米の歴史の中で育まれた政治制度であり、その歴史をみると、民主主義は「独裁」を許容しているのだ。
 これは、カエサルやロベスピエールやナポレオンそして、ヒトラーを見れば分かるだろう。

 そして、何よりも、アメリカの大統領などは、「民主的に選ばれた独裁者」というべき存在だ。
 そして、ここが重要な点だが、民主主義が許容する独裁とは、「時間的な制限」がある場合にのみ正当化されるという点だ。
 アメリカの大統領が3選を禁止しているのもこのためであり、終身の独裁者となったカエサルやロベスピエールやナポレオンそして、ヒトラーが全て悲惨な最期を遂げていることもこの観点から説明できる。

 日本の場合はどうか。なるほど日本国憲法のどこを読んでも、日本に終身の独裁者が生まれる余地は無いように見える。
 しかし、私が見るところ、小選挙区比例代表並立制度が導入された時点で、今回の小泉劇場型選挙のやり方は、規定路線であったと思うし、かっての中選挙区時代の派閥中心の選挙のやり方を忘れられない選挙民は非情だとか、刺客とかいうわけだ。

 しかし、あえて言えば、小泉首相は、今回、初めて、小選挙区の政党中心の選挙をやったといえる。
 そして、ここからが重要だが、小選挙区で公認権を握った党の執行部はかってないほどの権力をもつわけで、この制度を利用すれば、比例代表選出議員などは、完全に執行部の意思に従うし、小選挙区議員も執行部に逆らっては、当選できないことが証明され、「執行部独裁」がはっきりしてきた。

 そして、ここからが本当に重要な点だが、このように強力な権限を握った小泉執行部が選挙で勝利した場合、小泉首相は憲法上、任期に制限がないため、終身の総理大臣になることも可能だ。
 党内の反対派を一掃し、その上、終身の任期となると、これは、まさに、ナポレオンやヒトラーに匹敵する。

 そして、仮に今回の選挙で自公が敗れた(意図する過半数の議席は取れなかったものの、何とか総理大臣になった)場合、小泉首相が、本気で終身の総理大臣を目指すなら、自分の気に入った衆議院の構成になるまで、永遠に解散を続けることすら、憲法上、可能なのだ。

 かっての三木や海部は派閥の均衡にのっていたため、このような解散ができなかったのだが、小泉首相には、そのような派閥による均衡や反対は一切ない。すなわち、首相の憲法上の解散権には一切の制限がない、ということも重要だ。

 私には、史上、最も民主的といわれたワイマール下で、ナチスによる独裁を生んだ1930年代のドイツと、今の日本が重なって見える。
 ヒトラーは、1933年の総選挙で大博打を打ち、総投票数の43.9%・288議席という圧倒的多数を獲得した。

 この選挙では、ナチスは豊富な資金を用いて大々的な宣伝を行う一方で、暴力で反対党の選挙運動を妨害するなど未曾有のテロと脅迫を行った。

 小泉首相がヒトラーになるのかどうか、私にはなんとも言いがたいが、両者とも独身で、演説が絶叫口調、かつ、どう考えても首相になれるような立場になかったにもかかわらず、国民的人気に支えられている点や、郵政に代表される、争点の単純化や、ワンフレーズポリティックスなどに共通項がある。

 中選挙区を金がかかり、腐敗の温床として排して導入した小選挙区比例代表並立制により、宗教団体を唯一の支持勢力とする独裁が完成するかどうか、9.11の選挙の結果を非常な興味をもって見ている。
 独裁は汚職は少ないだろうが、最悪の結果に容易につながる事は歴史が証明している。
 そして、それが完成された後に後悔しても、後のまつりだ。

<参考>

 宣伝はすべて大衆的であるべきであり、その知的水準は、宣伝が目ざすべきものの中で最低級のものがわかる程度に調整すべきである。

 (中略)

 宣伝になにか学術的教授の多様性を与えようとすることは、誤りである。
 大衆の受容能力は非常に限られており、理解力は小さいが、そのかわりに忘却力は大きい。
 この事実からすべて効果的な宣伝は、重点をうんと制限して、これをスローガンのように利用し、そのことばによって、目的としたものが最後の一人まで思いうかべることができるように、継続的に行わなければならない。

 人々がこの原則を犠牲にして、あれもこれもとりいれようとするやいなや、効果は散漫になる。

 以上、ヒトラー『わが闘争』より

<参考>

 ナチスの唱える現状打破、特にヴェルサイユ体制破棄の主張は、ドイツ人の心をとらえた。
 ナチスは巧みな宣伝によって、従来の政党に失望した中産階級の支持を得、1930年9月の選挙では総投票数の18.3%を獲得し、議席数を12から一挙に107議席に伸ばし、社会民主党(143議席)に次ぐ第2党に躍進した。
 その一方で、この選挙では労働者に支持された共産党も54(1928)から77へと議席数を増加させた。

 共産党の進出を恐れた資本家(特に金融資本家と重工業資本家)とユンカー(大地主)はナチス支持に傾き、ナチスに財政援助を行った。
 さらに軍部もナチスを支持したので、1932年7月の選挙ではナチスは総投票数の37.4%・230議席を獲得し、ついに第1党となった。
 ヒトラーは入閣を求められたが、組閣を求めてこれを拒絶した(1932.8)。

 1932年11月の選挙でも、ナチスは第1党であったが196と議席を減らし、一方共産党は100議席(1932年7月選挙では89議席)と議席をさらに増やした。

 共産党の進出に脅威を感じた資本家やユンカーは、ますますナチス支持を強め、内閣を総辞職に追い込んだので、ヒンデンブルク大統領はヒトラーに組閣を許し、1933年1月30日、ついにヒトラー内閣が成立した。

 しかし、この時のヒトラー内閣は連立内閣で過半数に達してなかったので、ヒトラーはただちに議会を解散し、1933年3月の選挙では総投票数の43.9%・288議席という圧倒的多数を獲得した。

 この選挙では、ナチスは豊富な資金を用いて大々的な宣伝を行う一方で、暴力で反対党の選挙運動を妨害するなど未曾有のテロと脅迫を行った。

 特に1932年2月27日夜、国会議事堂放火事件が起こると、放火犯人として前オランダ共産党員のルッベらを逮捕し、これを共産党の陰謀として共産党を弾圧した。
 この事件については不明な点も多いが、ゲーリングらナチス首脳が計画した放火説が有力である。

 ナチスは国会議事堂放火事件の翌日、緊急令を発し、憲法が保障する言論・出版の自由などの基本権を停止し、また共産党を非合法化して数千人の共産党員を逮捕した。

 こうして3月5日の選挙では288議席を獲得した。
 しかし、与党の国家人民党の52議席を加えても3分の2(憲法改正に必要な数)に達しなかったので、共産党の81名の当選を無効とし、1933年3月24日には全権委任法(授権法)を成立させた。

 全権委任法は、以後4年間国会や大統領の承認なしに政府の立法権を認めるという内容で、これによってヒトラーの独裁体制が確立された。

 独裁権を握ったヒトラーは、労働組合を禁止し(1933.5)、同年7月までにはナチス以外の全政党を解散させ、ナチスの一党独裁体制を確立した。

 ヒトラーは、1934年8月にヒンデンブルク大統領が亡くなると、総統(フューラー)に就任し、大統領・首相・党首の全権を握り、名実ともに独裁者となった

 「市民などに構っているひまはない」
 「戦時に市民など存在しない」
 「わが国民が試練を負けても私は涙を流さない。それに値しない。彼らが私を選んだ運命だ。自業自得だろう」

 ===敗戦が決定的となった1945年4月、ソ連軍の砲声が響くベルリンの首相官邸地下要塞(ようさい)では、側近たちがヒトラーの56歳の誕生日を祝っていた。
 側近がベルリンからの退避を勧めた際、「首都を前線にして戦う」と応じないヒトラーに、さらに市民の避難を進言した時、側近の軍需大臣・シュペーアら軍幹部に言い放った言葉。

 以上
 (江田島孔明、Vol.67完)



◯ 世界史に見られるランドパワーとシーパワーの戦略VOL68 江田島孔明

 今回は、総選挙の結果についての考察をしたい。

 まず、私が前号で予想したとおり、自民圧勝という結果に終わったのは、いくつか理由があると考える。
 民主党が自民の分裂を願って郵政民営化法案に対案をださなかったことが、国民の目から見て、「逃げ」に写ったことも理由のひとつだろう。

 しかし、根本的な理由は、小泉首相のとった、「反対派に対する刺客」に見られる、「コロシアム型選挙に国民が熱狂」したことだろう。

 すなわち反対派のリンチ(粛正)に対して国民が興奮を覚えたということだ。
 これは、議会制の歴史を古代ローマに遡って考えて見れば、容易に理解できる。

 ローマ帝国が国民を統治した道具は「パンとサーカス」だった。
 この二つを上手に使えば、民衆の不満をはぐらかすことが出来る。奴隷であっても(自由はないけど)食べられる。サーカスの出し物は、「剣闘士たちの命を懸けた戦い」と「戦車競馬」。

 市民の好戦的な雰囲気を煽り、それが皇帝の支持に繋がった。

 民衆はパンに群がり、サーカスにウツツを抜かし、堕落した。
 共和主義的な国家意識は崩れ、道理は忘れられた。
 活力を失ったローマ帝国は内部から崩壊する。
 “パンとサーカス”は繁栄と退廃の象徴だった。

 フランス革命や20世紀のドイツにおいても、「反対派の粛清」を「改革」という美名のもと推し進め、民衆は狂喜した。

 民主制や議会制度とは、「民衆の理性」を前提として、初めて機能する。民衆が理性を失い、血の生贄に興奮し、パン(生活)とサーカス(生贄)を求めるようになると、それは容易に「衆愚」から、「最悪の独裁」に繋がることは歴史が証明している。
 民主制度とは、そのような脆さや危険性を兼ね備えているのだ。

 このような側面をもつ「民主政治」は、プラトンやアリストテレスによって「悪政」と評価された。
 2400年前、プラトンが理想郷を夢見たのは、それほど現実が疲弊していたからだ。

 祖国アテネは、古代直接民主政治のピークだった「ペリクレス時代」をちょうど終えようとしていた。
 ペリクレスが病死し、衆愚政治と呼ばれる政治的混沌が訪れた。
 紀元前404年のペロポネソス戦争でスパルタに降伏した。
 5年後、師のソクラテスが愚かな謀略に毒杯を仰いだ。

 プラトンの名著「国家(Politeia)」は、こうした祖国の没落を見守りながら出した理想的代案(イデア)だ。 「ポリテイア」とは、「ポリス(Polis・ギリシャ都市国家)の理想的姿」という意味である。

 理想的モデルは「哲人政治」だ。
 プラトンは、人間と都市国家を3つのグループに分類した。

 理性が優れた人間は統治階級の哲学者になり、
 意志が卓越した戦士は軍隊を構成し、
 欲情しかない一般人は生産階級にならなければならない。

 知恵が優れた子供は幼いころから別途の英才教育を受ける。
 最初は神話を学んで育ち、音楽と体育、そして数学と天文学を習う。
 その中で選抜された優秀グループが弁証論を学んで哲学を研究し、50歳を越えてから順番制で統治する。
 彼らは私利私欲に陥らないため財産と家族までも共有する。
 エリートは「選抜された者」だ。

 想像可能なエリート主義政治哲学の極限形態である。
 本来、人間は生まれながらにして資質が異なる。
 プラトンは劣等な者が支配する社会では、正義が具現されないと判断した。
 調和した社会、最大多数の幸福のためには、最も優れた者が統治してこそ適切である。

 実際にスパルタはエリート主義国家だった。
 病弱に生まれた子供は捨てられた。
 7歳から集団生活をして軍事教育を受け、還暦になるまで現役軍人として服務する。
 その少数精鋭エリート軍事集団がアテネを滅亡させた。

 しかし、現代ではなぜ民主主義制度は最良の政治形態なのだろうか。

 それは絶対主義を打倒したJ.ロックやJ.J.ルソーによる近代民主主義思想によるものである。

 しかしフランス革命の挫折の後、保守主義体制が生まれたため、19世紀になると人々は再び民主主義を退けてしまった。
 そして、民主主義は海を渡り伝統的制度がなかったアメリカで発達し、民主政治が花開いた。

 アメリカは民主主義スローガンに掲げて次々と戦争で勝利を揚げると、民主主義思想は一斉に全世界を駆け巡り勝利者のシンボルとして浸透していった。

 もともとアメリカは多民族国家だったため自由主義思想が根付いていた。
 こうして、アメリカによって「自由主義思想」と「民主主義思想」が共存する関係が認められるようになった。

 現代の民主制とは、国民が選んだ代表者により政治が行われる「間接的民主制」である。
 これは古代の民主政治との決定的な差である。
 古代は小さな国家が多かったので、市民が直接的に政治に参加でき、「リーダシップや大衆の無関心」などは存在しなかった。
 政治を国民自ら動かせるのであるから当然のことである。

 それに比べ、現代は一国家の規模が大きく人口も多いので、もはや直接民主制は不可能であり、自分たちの代表者を送り出すことしかできなくなった。
 こうして、19世紀の国家は、代議制民主主義、つまり「間接民主制」に基づく議会政治が展開されるようになった。

 そして、この様な民主主義(間接民主制)は、「独裁と表裏」の関係にあることを前号で述べた。
 アメリカは、この点を熟知しており、憲法で大統領の3選禁止と、「議会=立法府」と「行政府」の明確な分離を担保している。

 「議院内閣制」をとる日本では、このような担保が全くなく、議会の多数派が首相を選出し、大臣(行政府の長)の大部分を国会議員(立法府)から指名するため、両者の明確な分離はないことになる。

 すなわち、国会の多数派が独裁者に支配されたら、立法と行政の2権を、特に首相は憲法上の任期なしに、支配できるのだ。
 それが、今回の小泉政権で達成されたということ。

 このことが何を意味しているか、保守派は分かっているのか。
 つまり、小泉首相、もしくはその後継者は事実上、「何でも可能」だということだ。

 人権法案に反対していたいわゆる保守派が、多数刺客を送られ落選したことを見ても分かるが、確信犯的親中派が小泉首相の後継者になった場合のことを想像してもらいたい。
 憲法はこのような独裁者の出現を抑止するために様々なチェック機能をもっていたのだが、それすらも無に帰す効果がある。

 思うに、人間の生き方とくに政治のあり方について老子思想は「謙虚」を強調する。
 60章には『大国を治むるは小鮮を烹るがごとし』という言葉がある。

 「大きな国を治めるためには、小魚を煮るように細心の注意を払わなければならない。謙虚に静かに政治を行うべきであり、無理をしてはならない」という意味である。

 逆に、大国を治めるのに無理をした結果、どうなるかの例については、近代世界史に枚挙に暇が無い。
 革命や改革と称して反対派を「粛清」することを正当化してよいものか、その結果がことごとく、独裁者の登場と悲惨な末路(ナポレオン、ヒトラー、スターリン、毛沢東、ポルポト・・・・)に終わっている近代の世界史を参考に、今一度考え直すべきだ。

 昭和天皇の時代には持っていた、「独裁に対する皇室の抑止機能」も既に失われ、今の日本には「独裁」に対しての無防備さのみが目立ち、古代ローマが「共和制から帝政」に変わっていった過程を髣髴とさせる。
 民衆は快楽にふけり、皇帝にパン(生活・福祉)とサーカス(刺激的な娯楽・生贄)を求め、義務を放棄した結果が「帝政」と「国家財政の破綻」、そしてゲルマン人の侵入とローマの滅亡なのだ。

 トインビーが言った「自己決定力」を失った民族として、まさにローマは滅んだのだ。

 今回の総選挙で、無党派の「何かわからないが、小泉さんに任せた」という有権者が多かった。
 とんでもない勘違いだ。民主主義とは、有権者が責任者なのであり、政治家に任せるのではなく、「政治家を監視」しなければいけないのだ。

 すなわち、有権者が理性的判断と自己決定力を保持しなければならない。
 ここが理解できない圧倒的多数がワンフレーズと生贄の血祭りに興奮したというのが真相だろう。

 小泉首相のやり方である、支持率が下がってくると政敵をあぶり出し、リンチにかけて殺していく手法(粛正)に熱狂していては、まさに、20世紀初頭のドイツ人や古代ローマ人を笑えない。

 小泉首相のやっていることは「改革」などではなく、森派、財務省、アメリカの3者の利益のため、反対勢力(橋本派、亀井派とその利権としての道路族や郵政族)を駆逐(粛正)しているだけだ。

 ただの利権をめぐる自民党内部抗争を、「改革」と呼んでいるだということを理解する必要がある。
 その証拠に、大蔵族たる小泉首相は、政府系金融機関や財務省の改革は一切口にしない。

 むしろ、橋本内閣のときに金融庁を分離された財務省は金融庁の吸収を狙っており、それが達成されるかもしれない。
 さらに、郵便局職員をまるで悪者であるかのように仕立てあげ、真の悪である財務省所管の財政投融資で財政を破綻させた「財務(旧大蔵)省の責任」を全く追及しない問題のすりかえである。

 日本人の知的水準の低下の傾向は甚だしいが、今一度冷静に考えてもらいたい。日本人にはそれができると信じる。 

 以上

 (江田島孔明、Vol.68完)



以上

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コメント
この記事へのコメント
今回のエントリー
分かりやすいですし、勉強になります。
ありがとうございます!
2007/06/04(月) 15:52 | URL | candragupta #VEIOABK.[ 編集]
幕府の瓦解
グッドウィル級空母コムスン撃沈しM総監の司令は的確に敵を沈めているぜ。
遠征していた機動部隊もスエズ作戦を終えて60日以内に帰国寄港ってもんでぃ。
分裂すれば破れ団結すれば勝つのが喧嘩だぜ。G8以降のコラムを期待しているぜ。

なーに、人間話せばわかろーってもんでぇ~。
薩軍も鬼ってわけじゃあんめい。

【速報】ユーラシア包囲網の完成
http://www.teamrenzan.com/archives/writer/omnibus/suez_canal.html

<コムスン>折口GWG会長ら会見 譲渡計画は「当面凍結」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070608-00000125-mai-soci

語録
オレは、瓦解の際、日本国のことを思って徳川三百年の歴史も振り返らなかった
やるだけのことはやって、後のことは心の中でそっと心配しておれば良いではないか。
どうせなるようにしかならないよ。
文明、文明、というが、お前等自分の子供に西欧の学問をやらせて、
それでそいつらが、親の言うことを聞くかぇ?ほら、聞かないだろう。
親父はがんこで困るなどと言ってるよ。
http://money6.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1181306361/l50
2007/06/09(土) 01:14 | URL | 氷川の大法螺吹き #9IR.REN.[ 編集]
>氷川の大法螺吹きさん
?マークが連発のコメントですね。

>文明、文明、というが、お前等自分の子供に西欧の学問をやらせて、
それでそいつらが、親の言うことを聞くかぇ?ほら、聞かないだろう。

ああ、安倍晋三とか小泉純一郎とかの洋行組みの事を言ってる訳ですか?
もう彼等は日本人としての自覚すらないみたいですね。
・・・・。和魂洋才と言うのは本当に難しい事なのかも知れないがね。
昨今の日本の有様は本当に酷いもんだと私も思うが、

それにしても、私や江田島孔明様のための専用スレですか?
要らん事を考えずに、普通に読めば我々の言ってる事の意味がわかるのにね。

こんな事ではなにも理解できないだろうね。
三輪のレッドアラートに来なきゃ良いのにね。時間は有限なんだから。

しかしこの連山の記事って凄いね。

>中東全域が戦火に突入した場合、日本本土は極度のエネルギー不足に突入する。
>その為に砂糖及びメタン発酵から水素エネルギーを抽出する一方、エネルギー効率の良いタウンプランニングを研究する為だ。

いや、この部分の突込みは訂正する。
意外と現状では悪くないかも。
小規模のエネルギーとして悪くないかも。<砂糖
しかし、基本的にどうなんだろ?
淡水由来のバイオマスやら水素やらはやはり自然破壊にならないか?

海水由来のバイオマスは、現況の実行手順では小規模にならざるをえないけど、サルガッソーみたいな浮島のレベルに規模拡大をする事ができるなら、それは最高のバイオマスプラントになると思うけどね。

砂糖とかは最終的には都市規模のエネルギーとしては、全体の何パーセントかを賄えたら上等ではなかろうか?(その何パーセントかでも死活的な局面では大きいかも知れないが)

ところで、中断のこの部分って凄いね。

>カルタゴ市民諸君 
>我は、ハンニバル・バルカ...
>汝は我の味方か?それとも敵か?

愚問だな。カルタゴ市民に向けてハンニバルが敵と味方を問うのか?
カルタゴ市民は本来的には・・・ハンニバルの同胞だろうな。
しかし、その同胞たるべきカルタゴ市民に対して敵味方を問うと言うハンニバル。

ハンニバルの名を借りたこの人達は何を考えているのか?

本来同胞であるべき者に敵か味方かを問うとはね・・・。

連山の方々、そちらさんこそ日本人の敵かね?味方かね?
こういう事は問うてはならない筈。

日本人の内、自分達の味方を選び、敵は捨てるのかね?
その姿勢は本当に正しいのかな?

あるいは危急存亡の折に、味方になってくれと言う呼びかけなのかな?

しかしそうだとしたら、問い方が間違っていないか?
説得に長々と時間を掛けている暇は無いと言う事ならば一部賛成だ。
しかし、そうであるならばもっと違う問い方がある筈だろう。

私は君達の味方だ。君達と未来を手にしたい。共に戦おう。

そう語り掛けるべきなのではないかな。
最後に、何度も何度も繰り返して言っているが、ハンニバルは敗者なのだと。
縁起でもない人物なのだと。

完顔亮が項羽の廟堂で祈ったのと同じく、祖国の存亡の時にハンニバルに自らを喩えるのは不吉な行いだと思うのだが。
2007/06/09(土) 01:34 | URL | 三輪耀山 #X.Av9vec[ 編集]
世界史に見られるランドパワーとシーパワーの戦略VOL157
江田島孔明

今週は、ユーラシア大陸の東西で、非常に重要な地政学的な動きが同時にあった。
李登輝元総統の訪日時の東京での「台湾は独立国」発言と、イスラエルのオルメルト首相による「ゴラン高原返還の用意がある」発言だ。
この二つの動きのもつ、地政学的な動きを相互に検討してみたい。
<参考>
------------引用--------------
http://www.janjan.jp/world/0706/0706096984/1.php
李登輝前総統-靖国参拝のホンネ語る 2007/06/10
________________________________________
 先月末から来日していた台湾の李登輝前総統が滞在最終日の9日、日本外国特派員協会で記者会見を開いた。
 
 1988年、蒋経国総統の死去に伴い総統を継承した李登輝氏は、96年、台湾史上初の総統直接選挙を実施、民主化を実現させ経済発展を導いた。「開発独裁」型が多いアジアの指導者としては稀有な存在で、国際的評価は高い。

 一方で台湾の独立を掲げることから、96年の総統選挙では中国から台湾海峡にミサイルを撃ち込まれるなど、中国との関係を緊張させた。

 総統就任後、退任後と幾度も来日したが、中国に気兼ねする日本政府は東京に入れさせなかった。総統就任以後の東京訪問は今回が初めてである。李登輝氏が7日、実兄の祀られている靖国神社を参拝したことに、中国外交部は直接の言及はさけた。だが李氏の訪日については、入国を許可した日本政府に強い不満を示した。

 政権の座を降りて7年も経つ「過去の人」だが、日本での行動にはマスコミの注目が集まった。日本外国特派員協会での記者会見には、「日本の首相でさえもこれほど集まらない」と言われるほど多数の記者・カメラマンが出席した。

 司会者は皮肉とユーモアを込めて「PRIVATE VISIT=私的な訪問」という言葉を繰り返しながら李氏を紹介した。

 京都大学で農業経済学を学んだ前総統は達者な日本語で「日本文化」「アジア情勢」などについてスピーチした。「奥の細道(道程の半分まで旅した)」の魅力や「日本人の遵法精神」などを“外交辞令”を交えて褒めた。25分間、大きな声で話は淡々と進んだ。

 ところが記者との質疑応答に移り、「靖国参拝」や「中台関係」について聞かれると様相は一変した。

 「靖国神社参拝は、外国政府から批判される云われはない。なぜ問題が発生するかというと、コリアや中国大陸が自国で処理できないからだ」。「中国が『台湾がどうのこうの』と言っても私はビクともしない」。「国際的に台湾の主権はあいまいだが、台湾の人々は主権のある独立国家だと思っている」。

 声を荒げ、こぶしを振り上げながら語る前総統(写真)は、「心臓を患っていたというのは本当なのか?」と思わせるほど元気一杯だった。だがその姿こそが国際情勢に翻弄されながらも経済発展を遂げた台湾のエネルギーを現しているのだろう。

 李登輝氏が1996年、総統の直接選挙を実施したことに、中国が台湾海峡にミサイルを撃ち込み、独立への動きをけん制したことは前にも述べた。この時は米国が空母2隻を現場に急派し、とりあえず事態は収まった。だが、これを機に米国は日本に対して集団的自衛権行使の「研究」を求めてくるようになる。「改憲」への素地として今につながっていることは言うまでもない。

 日米同盟にも少なからぬ影響を与えた李登輝前総統は、「『奥の細道』の残りは次回の訪日で旅する」と言い残して日本を後にした。
------------引用--------------
<参考>
------------引用--------------
http://www.sankei.co.jp/kokusai/middleeast/070608/mda070608000.htm
ゴラン高原返還の用意 イスラエルが伝達と報道

 8日付のイスラエル紙イディオト・アハロノトは同国政府高官の話として、オルメルト首相がシリアのアサド大統領に和平交渉再開を打診する秘密メッセージを送り、イスラエルが占領する要衝ゴラン高原を返還するのと引き換えに、レバノンの民兵組織ヒズボラやイランとの協力関係断絶を求めたと報じた。
 メッセージはドイツとトルコを通じて伝達されたが、シリア側から返答はない。オルメルト首相は4月、シリアと和平交渉が可能かどうかを探りたいとの意向をブッシュ米大統領に伝え、了解を得ていたという。シリア問題は首相が今月19日に訪米する際にも協議される見通し。
 首相はパレスチナ和平の実現が当面不可能と判断し、政権生き残りのためシリア和平という外交課題を設定したい思惑があるという。イスラエル首相府は報道についてコメントはないとしている。(共同)
(2007/06/08 23:50)
------------引用--------------

まず、李登輝元総統の「台湾は独立国」発言を私は全面的に支持するが、重要な意味がある。それは、東京においてなされたということだ。すなわち、過去の李氏の訪日において、日本政府は北京に気兼ねをして、政治の中心である東京への訪問を認めなかった。それが、今回は、東京訪問を認めたと言う事が重要な点であり、その東京で、「台湾は独立国」発言が為されたことの意味は限りなく重い。

この点を考えるに、東アジアのパワーバランスがどのようになっているかを考える必要がある。

まず、私が過去のコラムで何回も指摘していることであるが、ランドパワーとシーパワーの法則を考えると、「ランドパワーは国境を接するランドパワーへの攻撃をシーパワーへの攻撃より優先する」というものがある。これは、たとえば、ナチスドイツが英国より、ソ連への攻撃を優先したことや、過去の華北政権の歴史において、台湾より朝鮮半島への攻撃を必ず優先している事をみても、歴史的に裏打ちされた法則であることがわかる。

 私は、このような歴史的法則の観点から、北京による台湾侵攻は朝鮮半島併合が達成された後でないと絶対に発生しないという確信を得ている。

 そして、ここにきて、私が以前から主張しているように、北朝鮮と北京が北の核武装と東北工程に見られるように、緊張関係を生み出したことがハッキリしだした。北は黄海に向けてミサイルの試射を行ったのだ。

<参考>
------------引用--------------
http://www.chunichi.co.jp/article/feature/ntok0001/list/200706/CK2007060802022674.html

 北朝鮮、また発射 黄海に短距離ミサイル2発
2007年6月8日
 【ソウル=福田要】韓国の通信社・聯合ニュースは七日、韓国情報当局関係者の話として、北朝鮮が黄海に向けて短距離ミサイル二発を発射したと報じた。
 この関係者は同通信に「五月二十五日に日本海に一発発射した北朝鮮は黄海に向けても発射しようとしていたが、今回それを実行したとみられる」と語った。
 別の情報消息筋は「午前と午後に一発ずつ発射した」と指摘。同通信は、発射されたミサイルは射程百キロ以内の地対艦または艦対艦ミサイルで、いずれも北朝鮮領海内に落ちたと伝えた。北朝鮮は年に数回、ミサイルの発射実験を実施。同筋は「今回も前回同様の通常訓練」としている。
 北朝鮮は五月二十五日に、地対艦ミサイル「シルクワーム」かその改良型とみられる短距離ミサイルを発射。当時、日本の防衛省には「二発」との情報が入ったが、韓国情報当局は「一発」とみて分析を進めていた。

こうなると、北京としては、日本との関係を重視せざるを得なくなる。「遠交近攻」を地でいく地政学戦略だ。

これが、最近の北京による、対日批判があまり行われなくなった理由だ。李登輝元総統はそのようなパワーバランスの変化を巧みについてきたという事であろう。案の定、北京は今回の東京訪問や靖国参拝、独立国家発言につき、日本政府への批判を行っていない。逆に言えば、行えないのだ。
------------引用--------------

<参考>
------------引用--------------
http://npslq9-web.hp.infoseek.co.jp/sls111.html

 SAPIO記事青木直人『「中朝友好」の名のもとに北朝鮮の経済植民地化「第二のチベット化」が進む』より、北朝鮮の「虎の子」の資源が次々と中国企業の手に落ちている。
 まず、今年7月、北朝鮮 最大の鉄鉱石が眠る咸鏡道の茂山鉄鉱の開発権を中国の三社が獲得した。同鉱山は鉄鉱石 の埋蔵量が三十億トン、可採埋蔵量十三億トンを誇る、北朝鮮屈指の優良鉱山だ。 投資予定金額は最低でも七十億元と想定されていて、内訳は50億元が鉱山の開発費で、 残りの20億元は茂山から吉林省の通化までの鉄道と道路の建設費用に充てられるという。
 年間の採掘量は1000万トンで、中国の資源開発関係者は「50年間で、骨までしゃぶり尽くされるだろう」と予想する。
 鉄鉱石に次いで、今夏、無煙炭の埋蔵量で最大規模の龍登炭鉱も中国との合弁開発に踏み切った。中国側のパートナーは政府系企業である五鉱集団で、同グループは国内最大の非鉄金属企業の傘下に属している。計画では一カ月に百万トンの無煙炭を採掘して、中国に送るという。

 中国が北朝鮮の支配に魅力を感じるのは、二つの点による。一つは北朝鮮がレアメタルの宝庫だということ。タングステン、モリブデン、タリウムの 鉱山が開発されていて、すべて中国企業のものになっている。しかも、中朝国境の街新義州は実質中国領であり。 朝鮮族は入れないらしい。

 そして、二つ目は、北京政府が命運をかけている、東北開発にとって、北朝鮮が障害であることだ。
 例えば、東北地方の中核都市瀋陽は工業が盛んであり、市の郊外には多くの重化学工場が立ち並んでいる。瀋陽市内のみならずその近隣都市圏は撫順の石炭・鞍山の鉄鉱石、やや遠いながら黒龍江省大慶の油田などの豊富な資源を生かした一大コンビナートであり、20世紀後半の中国を工業面で支えた。
 しかし近年外資を導入した長江デルタや珠江デルタ地域の経済発展に比べ、瀋陽を始めとする東北地方は取り残された感が否めない。
 このため中国政府は東北振興を旗印に東北開発を重点的に支援しており、瀋陽も近代都市に変貌しつつある。2003年の全市生産総額(GDP)は1,602億人民元で、全省の4分の1を占める。この東北地域への外資勧誘に対し北朝鮮が障害となっており、かつ、北朝鮮を支配できると、その日本海に面した港を使って、東北地方の発展ができるという点もある。そして、貴州とチベットという辺境地帯の開発を成功させた胡主席は東北3省の開発に政治生命を賭けているが、金正日体制の北朝鮮がその障害になっているのも、真実だ。

 次に、安全保障の観点から考えれば、北朝鮮は日米との緩衝地帯であり、このまま残しておきたいし、下手に吸収してしまうと、国内に少数民族を抱え、不安定要因を増し、旧ソ連のようになることになる。あるいは、隋の文帝や煬帝が高句麗遠征を三度にわたって行ったが、三度とも失敗に終わり、結果として、隋の滅亡に繋がったようになるかもしれない。つまり、北朝鮮併合は、リスクが高い選択なのだ。

 このような、経済的観点と軍事的観点の双方から検討すると、中国による北朝鮮支配は、「間接支配」の形態をとる可能性が高いことがわかる。つまり、中国は北朝鮮を軍事占領したら、金正日一派を粛清した後、朝鮮族を使って間接統治する。中国人-朝鮮族-北朝鮮人 というヒエラルキーを作り、朝鮮人の間に対立を作りだすわけだ。これが帝国主義的支配の基本だ。

 このように考えると、北朝鮮の運命は決まったも同然だ。チベット方式で漢民族への同化政策をとられるかもしない。

考えてみれば、ランドパワーは、常に周辺国の直接支配を目指し、天下統一を図ろうとする本能があるが、ある一定の「攻勢終末点」を超過すると、あっけなく滅ぶという法則がある。その地域の支配によるコストとリスクがメリットを上回る地域だ。この地域は瀝青的に特定される。
 西欧やロシアにとって、その地域は東欧だし、日本や華北政権にとって、その地域は朝鮮半島だ。アメリカがベトナムに引き釣りこまれ疲弊したように、朝鮮半島を中国を引き釣りこむ餌にすることは、有効な戦略だろう。安全保障の観点から、日本海で中国海軍と対峙することになるが、日米海軍力で十分封じ込めることができる。むしろ、中国に半島支配のための陸軍力と日米への対抗のための海軍力の双方の整備を行わせ、疲弊させることができる。

 中国もそれがわかっているから、容易なことでは間接支配にも乗り出さないだろうが。問題を複雑にしているのが、中国国内の朝鮮族の存在だ。中国朝鮮族の総数は約200万人である。これは在米韓国人数に匹敵し、南北朝鮮国外では最大級のコリアン・コミュニティーといえる。中国国内の分布は東北地区に集中し、なかでも吉林省に約120万人が居住し、吉林省南部の延辺朝鮮族自治州(首府延吉市)に約80万人が集中している。延吉市には中国語と朝鮮語で教育する延辺大学も設置されている。

 このほか、黒竜江省に約45万人、遼寧省に約25万人、内モンゴル自治区に約2万人が分布し、北京、天津や上海などの大都市にも進出している。各地の朝鮮族集住地区には行政的に朝鮮族自治県(吉林省長白朝鮮族自治県)や多くの朝鮮族郷・鎮が設置されている(リンク参照)。これら東北三省の首府には朝鮮族の学校や放送局、新聞社、出版社などが設置されて、朝鮮語の普及を行っている。これら朝鮮族が中国が北朝鮮を支配した場合、反漢民族闘争を行う可能性もある。まさに、「朝鮮のチベット化」だ。

 この策を名づけて、「中朝二虎競食」の計という。イギリスがかってナポレオンやヒトラーをそれぞれプロイセンやロシアを支援し、ぶつけることで潰した策略であり、対立するランドパワーを相互にけしかけることがシーパワー戦略の根幹だ。

 中国に、「北朝鮮を支配できれば、東北地方に大規模投資する」「ODAの提供で北朝鮮を復興させる」といった餌で釣れば、のってくるだろう。そうすれば、こちらのものだ。
------------引用--------------

次に見るべきは、中東情勢の変化だ。アメリカのイラク撤退は時間の問題だが、その際、問題となるのはイスラエルの安全保障だ。思うに、イラク撤退を平和裏に行うには、イランの関与と協力が絶対に必要になる。その際のイランとの交渉条件は「アラブによるイスラエルの承認」になるであろう。

 つい先日リヤドで開かれたアラブ諸国連盟21カ国によるサミットにおいて、アラブ諸国は、イスラエル・パレスチナ間の紛争解決のために2002年に合意された「土地・和平交換協定」を再確認した。この再確認によって、アラブ諸国は、1967年の中東戦争でイスラエルが獲得したすべての土地を返還し、東エルサレムに首都を構えたパレスチナ国家を容認し、現在イスラエル国内にある場所であってもパレスチナ人が帰還する権利を認めるようイスラエルに迫ったのだ。

この点につき、冒頭で紹介したゴラン高原返還はサウジによる、「占領地と和平の交換イニシアティブ」にイスラエルが乗ろうとしているということだ。

アメリカ撤退以後、中東での後ろ盾を失ったイスラエルには、サウジの提案を拒否できる力はまったく無い。

このように、世界情勢は確実に変化の兆しを示している。見方によっては、第二次世界大戦で決まられた世界の枠組みの大きな変化という、100年に一度の地政学上のパワーバランスの変化が始まったとも言える。これは、「世界からのアメリカの撤退」を意味する。

このようなパワーバランスの変化を読みきれないと、勝者と敗者は一夜にして入れ替わることもある。関が原の合戦しかり、第二次世界大戦しかり。

戦前の日本は世界のパワーバランスの変化を読みきれず、国家滅亡の憂き目を見た。同じ失敗を繰り返してはいけない。私が、ネットで地政学戦略を論じる最大の理由はそこにある。現時点では、私の読みは大きくははずしていない。怖いのは、イスラエルというかユダヤ教の狂信的右派だ。彼らは譲歩するくらいなら死を選ぶであろう。彼らの行動は「地政学的常識」を超える。

このような動きが911を上回る大規模テロに繋がらないことを願うばかりだ。

<参考>
------------引用--------------

http://www.afpbb.com/article/war-unrest/2235456/1658842

JFK空港テロ計画、4人目の容疑者がトリニダード・トバゴの警察に出頭
【6月6日 AFP】ニューヨークのケネディ国際空港(John F. Kennedy airport)の燃料タンクおよびパイプラインを狙ったテロを計画したとして指名手配されていたガイアナ人のアブデル・ヌル(Abdel Nur)容疑者が5日朝、トリニダード・トバゴの警察に出頭した。

 この事件では、空港の貨物係だったラッセル・デフライタス(Russell Defreitas)容疑者(63)、ガイアナの元国会議員でイスラム教徒のアブドゥル・カディル(Abdul Kadir)容疑者(55)、トリニダード・トバゴ人のカレーム・イブラヒム(Kareem Ibrahim)容疑者(61)が2日までに逮捕され、テロ共謀罪で起訴された。警察は、残るヌル容疑者を指名手配。トリニダード・トバゴの朝刊各紙の第1面に同容疑者の顔写真を掲載するなどして、行方を追っていた。

 今回のテロ計画には、イスラム系組織Jamaat Al Muslimeen(JAM)の関与が疑われている。この組織は、米国、ガイアナ、トリニダード・トバゴのイスラム過激派によって構成される国際ネットワークだと、司法当局は説明している。(c)AFP
------------引用--------------

                              以上
2007/06/11(月) 00:00 | URL | 孔明 #-[ 編集]
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