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世界史に見られるランドパワーとシーパワーの戦略VOL154 江田島孔明

 今回は、加速するイラク戦争の敗戦処理の動向と、戦後の世界を予測してみたい。

 先週の最も喜ばしいニュースに、イラク戦争にアメリカを引きずり込んだネオコンの筆頭である、ウォルフォウィッツが、世銀総裁を辞任した。
 表向きの理由は女性問題だが、真の理由は、イラク戦争を主導したネオコンパージの一貫であろう。
 背後には、アメリカのWASP権力機構に連なる、ゲーツ人脈、すなわち、CIAとユダヤの暗闘があると思われる。

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<参考>
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世界銀行総裁 女性問題疑惑で辞任を発表<5/18 11:21>

 イラク戦争を主導し、アメリカ・ブッシュ政権の強硬派として知られたウォルフォウィッツ世界銀行総裁が17日、女性問題を発端とした疑惑をめぐり、辞任を発表した。
 ウォルフォウィッツ総裁をめぐっては、交際している世界銀行職員の女性を昇格などで厚遇した疑惑が浮上し、銀行理事会が調査を続けていた。ブッシュ政権の支持を背景に、総裁本人が辞任を拒否し、問題がこじれていたが、女性職員をめぐっては「倫理的に誠意をもって行動した」とするウォルフォウィッツ総裁の言い分を最終的に銀行側が受け入れ、総裁のメンツを立てることで、本人が6月30日付での辞任を了承したもの。
 ウォルフォウィッツ総裁は、前の国防副長官としてイラク戦争を積極的に推進したネオコン(新保守主義)の代表格として知られている。その強い思想を背景に、世界銀行総裁になって以降も、途上国の腐敗撲滅を最重要課題に掲げていたが、その強引な手法には世界銀行内部やヨーロッパ各国に強い不満を生んでいた。
 イラク情勢の泥沼化に伴い、ネオコン勢力は次々と表舞台から退場している。保守強硬派のラムズフェルド長官は、イラク戦争が最大の争点となった昨年の中間選挙で与党共和党が敗北し解任された。

------------引用--------------

 イラク戦争を考える上で重要な点は、少なからぬアメリカ軍の将軍がイラク攻撃に反対してきたという事実だ。
 例えば、イラク攻撃の前、2002年10月にはグレグ・ニューボルド中将が統合参謀本部の作戦部長を辞任、エリック・シンセキ陸軍参謀総長もドナルド・ラムズフェルド国防長官(当時)を議会で批判していた。

 2003年の早い次期に、シンセキ将軍はイラク占領には数十万名程度の部隊が必要になると指摘している。

 こうした将軍たちの見通しは正しかった。戦争は泥沼化、アメリカが「第2のソ連」になる日も近いとする見方もあるほどだ。
 2004年になるとポール・イートン少将やアンソニー・ジニー元中央軍司令官もラムズフェルド長官を非難、グレグ・ニューボルド中将は「タイム」誌で長官を厳しく批判した。さらにチャールズ・スワンナック少将もネオコン戦略を批判する将軍の隊列に加わっている。

 こうした動きに対抗するためにホワイトハウスは軍や情報機関の粛清を進め、今年1月には中央軍のジョン・アビザイド司令官とイラク駐留米軍のジョージ・ケーシー司令官の退任を発表した。昨年12月、ラムズフェルドが国防長官を辞める前の段階でアビザイド大将は退役を、またケーシー司令官も退任を希望していたとされている。
 このように、イラク戦争の開始と推移を巡って、ネオコンVS米軍の構図が鮮明となり、結果は私の予測どおり、米軍によるイラク統治の失敗すなわち、ベトナム撤退と同じように、イラク撤退を模索する羽目となった。

 世界は、既に米軍のイラク撤退は時間の問題と考えている。

 その結果、イスラエルを取り巻く政治的、あるいは外交的な状況が大きく変化、軍事強硬派が窮地に立っている。

 欧米各国の親イスラエル派をみても、アメリカではネオコンが退潮、イギリスではイスラエル系富豪を資金源にしていたトニー・ブレアが退陣を表明している。
 イスラエル駐在のイギリス大使、トム・フィリプスはブレアが退いてもイスラエル政策に変化はないと表明しているが、そうしたコメントを出すこと自体、イスラエル側の動揺を感じさせる。

 これは、間違いなく国際金融資本主導で行われたイスラエルの建国以来、最大の危機だ。簡単に言えば、イラク戦争という「大博打」でイスラエルを延命させようとしたが、その博打に負けたのだ。
 こういう場合、手仕舞いは早いほうがいい。そして、イスラエルは、アラブ諸国との和平を急ぐであろう。
 強攻策が失敗した以上、和平しかとりうる選択肢はない。そして、その和平は、仮に達成されたとしても、大坂冬の陣の後の講和と同じく短期的なものでしかなく、長期的に見た場合のイスラエルの衰退と破滅は避けられないであろう。

<参考>

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 イスラエル首相「アラブ22カ国と話す用意」
 【エルサレム=森安健】イスラエルのオルメルト首相は15日、ヨルダン南部のアカバで同国のアブドラ国王と会談し、アラブ22カ国の指導者と無条件で会い、アラブ側が提唱する「中東包括和平案」について話し合いたいと伝えた。
 イスラエルの占領地撤退と引き換えに全アラブが関係を正常化する同案について首相は「非常に面白い」と評価。「実行に移す最適な方法を共に探る用意がある」と語った。

 国王は首相に「パレスチナと和平を結ぶ目標期限を明確にすべきだ」と主張した。また、イスラエルがヨルダン川西岸に新たな入植地建設を計画していることに懸念を表明した。オルメルト首相は「入植地の新築、増築はしていない」と説明した。(18:33)

------------引用--------------

 イスラエルの安全保障は、アメリカに依存していた。しかし、米軍の中東でのプレゼンスは、イラク戦争で大きく傷ついた。
 そして、重要な点は、米軍自体が、政権批判的になり、反イスラエルになったことだ。これでは、イスラエルを支える勢力は全く存在しないことになる。


 国際金融資本は「イラク戦争」という大博打に敗れた以上、アメリカにおける、反国際金融資本感情の高まりも抑えきれないであろう。だから、彼らは、対日進出を急いでいるのだ。

 戦略を考える上で、最も重要な点は、常に、最悪の事態を想定する事だ。現在考えなければいけない「最悪の事態」とは、アメリカにおける、ユダヤVS反ユダヤの内戦勃発だ。
 911以降、この可能性は常に存在し、それを外征でしのいできたというのが真相だ。 

 その面での参考書を一冊、紹介しておきたい。「文明の衝突」で有名なサミュエル・P・ハンチントンの「分断されるアメリカ」

 彼が捉えた“分裂”は、第一には、「米国の信条」をめぐる分裂だ。「米国の信条」とは、大雑把に言うと、純粋な民主主義国家として成立した米国がプロテスタントの教えをベースに打ち立てた社会システム、共通の価値観ということになるであろう。

 それを至上のものと考え、守っていこうと考える人がいる一方で、必ずしもそれを絶対視しない人も増えていることが、問題の第一歩と捉えられている。ハンチントン自身は前者の立場に立っているわけですが、米国の信条を尊重する一般大衆と、それを軽視する政界、産業界、学界などの指導層、インテリ層との分裂が指摘されている。

 しかし、ブッシュ政権を支えてきたネオコン(新保守主義)と呼ばれる人々は、「米国の信条」の極端な信奉者で、国内でそれを守るだけでなく世界中に「布教」しようと考えている人たちと捉えられる。
 2003年に大ヒットしたSMAPの「世界に一つだけの花」は、反・イラク戦争のメッセージとしても受け止められたが、イラク戦争を主導したネオコンの人々は、米国の存在こそが世界に一つだけのオンリー・ワンだと考えている。 

 ただ、ハンチントンが問題視しているのは、ネオコンの台頭ではなく、むしろ「米国の信条」を軽視する風潮の方だ。
 その風潮が、ヒスパニックと総称される、中南米、カリブ海諸国からの移民の急増と重なると、従来とはまったく異質で、より深刻な“分裂”が進むというのだ。
 近年のヒスパニックの移民は、「米国の信条」を軽視する風潮もあって、英語の使用や「米国の信条」への忠誠を強要されず、そうした人々が急速に増えてきていることが、国家としてのアイデンティティの喪失にもつながりかねない深刻な“分裂”につながるという見方だ。

三輪注:社会政策学会 談話室 桑原靖夫会員「アメリカを引き裂く移民問題 」
>国境に隣接するアリゾナ、テキサスなどの州は、次々と進入してくる不法移民と麻薬取引の横行に頭を抱えている。
>たとえば、アリゾナ州はほとんど緊急事態宣言の下にある。


 ハンチントンの議論を前提に考えてみると、今の米国には、いくつかの“分裂”が複合的に絡み合って存在していることが想定できる。
 まずは、「米国の信条」をめぐる分裂。そして、この分裂において、「米国の信条」を尊重する方が力を持つと、ネオコンの勢力が強まり、欧州、ロシア、中国などとの関係における「国際的な分裂」が深まる。
 逆に、軽視する方が有力になると、今度は伝統的な米国とヒスパニックの米国という「国内の分裂」が進む。こういう構図が想定できるだろう。

 そして、分裂の最も大きなものは、米国における資本と軍の分裂であろう。
 両者の利害は第二次大戦において、米国が重要産業を全て軍事中心に振り替え、産軍複合体を樹立した時点では一致していた。
 すなわち、大恐慌以来の経済低迷を回復させる手段として、軍事への傾斜生産という方式をとり、それで景気が回復したのだ。しかし、戦後、この構造がアメリカを蝕んでいく。
 すなわち、不断の公共事業としての戦争がないと、産軍複合体を維持できないという矛盾に直面したのだ。
 ここに、イスラエル防衛とドル価値の担保としての中東原油利権支配という要因が絡んできたため、アメリカの国家戦略は大きくゆがんで来ることとなる。その到着地点がイラク戦争という訳だ。

 いうまでもないが、米国において、主要産業は軒並み壊滅しており、唯一残存していた自動車産業も陥落している。

<参考>

ファンドの手法通用するか=クライスラー再建は不透明

 ダイムラークライスラーの北米部門クライスラーは、企業再生で実績のある米投資ファンドのサーベラスの下で再建を目指す。
 新車の開発から販売まで数年を要する自動車産業で、比較的短期間での転売などで利益を得るファンドの手法が通用するかどうか注目される。

 この点、サーベラスは「長期的な視点で経営に集中する」としているが、従業員の年金・医療費負担や追加的な人員削減問題など課題も山積、再建の行方は不透明だ。

 サーベラスは、あおぞら銀行(旧日本債券信用銀行)などの企業再建に関与、「多くの案件を成功させてきた」(ジョン・スノー会長)と今回も自信を見せる。

 ファンドは数年で企業価値を高め、転売や再上場で利益を確保する手法が定石。あおぞら銀も、サーベラスは経営権取得から3年後に再上場させた。

 クライスラー再建では同社のラソーダ最高経営責任者(CEO)が残留し事業の継続性を担保する。ラソーダCEOは、売却後の追加的な人員削減やジープなど傘下ブランドの切り売りを否定するが、「追加リストラなしで利益を出し、再建を実現するのは難しい」(自動車業界関係者)との指摘もある。

 最大の課題となる年金・医療費問題でも、大半の従業員が所属する全米自動車労組(UAW)との交渉は「長期化が予想される」(欧州銀アナリスト)とみられている。

 サーベラスは、発行済み株式の51%を取得したGMの元金融子会社のほか、部品メーカーやレンタカー会社など、最近は自動車関連の企業への投資を積極化しており、クライスラー買収でも総合的な効果を期待しているとされる。(共同)

 この様に考えると、イラク戦争の敗戦で、アメリカは国家戦略を大恐慌時代以前、すなわち、モンロー主義の時代に戻る可能性が高いと予測される。
 何故なら、アメリカという国は、実は南北アメリカでブロックを作り、鎖国することも可能なのだ。そして、アメリカの保守派や原点(ピルグリム・ファーザーズ)は、欧州を嫌って渡米した点をみてもわかる様に、伝統的に孤立主義者であった。
 第二次世界大戦以降、国際金融資本に乗っ取られ、世界(主に、中東と中国)に干渉していただけなのだ。

 この様に考えると、安倍政権が進める「集団的自衛権」の議論が、実はアメリカの国家戦略と結びついている点も理解できる。アメリカ単独で世界の覇権を維持できないことが明確になったのだ、日本に負担させようという事だ。

<参考>

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集団的自衛権行使容認迫る ミサイル防衛で米長官

 ゲーツ米国防長官が先月末にワシントンで開かれた日米防衛相会談で、米国を狙った北朝鮮などの弾道ミサイルを日本のミサイル防衛(MD)システムで迎撃できるよう、政府が憲法解釈で禁じている集団的自衛権行使の容認を迫っていたことが分かった。
 複数の日米外交筋が十五日、明らかにした。同席したシーファー駐日米大使も集団的自衛権の問題に触れ「米国への弾道ミサイルを迎撃できなければ、日米同盟が変質しかねない」と日本側をけん制した。

 海上自衛隊の二等海曹がイージス艦中枢情報の資料を隠し持っていた事件に関連し、ゲーツ氏が中国を名指しして軍事機密の漏えいに強い警戒感を表明していたことも判明した。日米両政府はいずれの発言とも公表していない。
 集団的自衛権に関する米側の要求は、軍事的に台頭する中国への抑止力強化を目指す国防戦略を反映すると同時に、憲法解釈の変更で集団的自衛権行使の一部容認を視野に入れる安倍晋三首相への期待感を示している。ただ、公明党が行使容認に反対しているほか、政府内にも慎重論が根強く、実現しなければ米側の不満が高まりそうだ。

 日米外交筋によると、ゲーツ氏は「日本はMDで極めて重要なパートナーだ。相互に防衛し合う関係が必要であり、日本は米領土を狙った弾道ミサイルを撃ち落とせるようにすべきだ」と述べ、集団的自衛権の行使容認を要求した。

 久間氏は、日本が現在計画しているMDシステムの技術では米領土への弾道ミサイルを迎撃できないと説明し、技術的にも可能となるよう米側に一層の協力を求めた。

 また、ゲーツ氏らはMDなどの情報共有にはその保全が不可欠との認識を強調した上で「特に中国に対する情報漏えいへの対応を万全にしてほしい」と指摘した。

------------引用--------------

 政府が解禁を目指す集団的自衛権の検討項目は以下の4類型だ。
(1)同盟国を狙った弾道ミサイルをMDシステムで迎撃する
(2)公海上で並走中の艦船が攻撃された場合、海上自衛隊艦船が反撃する
(3)国連平和維持活動などで他国軍が攻撃された場合、自衛隊が反撃する
(4)自衛隊が外国軍を後方支援する

 私は、認めていいのは、(1)と(2)だけだと考える。
 そして、これは、それぞれ「個別的自衛権の範囲」と解釈すべきなのだ。
 理屈としては、シーレーン防衛やミサイル防衛は、それぞれ、日本にとって死活的利害を有する国益であり、日米共同で担うしか、達成できない事を、国民に説明すれば良い。
 その意味で、個別的自衛権の範囲なのだ。

 特に重要なのは(2)だ。米海軍は親日である上に、日本防衛の要を担っている事実に鑑みて、海上自衛隊の有事でのサポートが無いと、シーパワー同盟は崩壊する。逆に言えば、この点を明確にする事で、北京の台湾侵攻への抑止が可能となる。

 (3)と(4)を認めた場合、イラク戦争の様なケースへの参戦を要請された場合、阻止できない。

 なし崩し的に、全面介入になるであろう。

 実は、アメリカの狙いは、そこにある。中東で兵力不足に陥っている部分を日本に肩代わりさせ様というのだ。
 これは、かって、朝鮮戦争やベトナム戦争の時代、アメリカが日本政府に派兵を要請した状況と全く重なる。

 日本の指導者は彼等の言いなりになるしかないのか?
 そんなことは無いと思う。

 日本の指導者の「器」によっては、彼らと十分張り合える。
 例として、高杉晋作は四カ国艦隊との戦闘の後、敗戦したにも関わらず、英国連合艦隊の彦島割譲要求を拒否したし、吉田茂や佐藤栄作はアメリカの出兵要請を断り、沖縄を取り返したりした。
 佐藤栄作はベトナム出兵要請に対し、憲法九条を盾に取った上で、「そんなことをすると社会党に政権を奪われる」といって拒否し、米国も了承したとのことだ。

 何故この程度の腹芸を今の政府は使えないのか。

 つまり、海と空の防衛は共同でやるが、陸の防衛は個別にやるというのが、今後の日本の国家戦略であり、日米関係の基本方針となる事を理解させるべきだ。

 以上
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コメント
この記事へのコメント
今週もありがとうございます。
国家開闢以来の危機ですね。
将は討ち死にし、兵は少ない。
彼らは生きている、われわれは
眠っている。
2007/05/21(月) 23:07 | URL | 大澤 #-[ 編集]
金の亡者達
>国際金融資本は「イラク戦争」という大博打に敗れた以上、アメリカにおける、反国際金融資本感情の高まりも抑えきれないであろう。だから、彼らは、対日進出を急いでいるのだ。

日本は、国際金融資本と対立しているペンタゴンや米軍と集団的自衛権部分行使を容認する事で、関係を強化して、国際金融資本を締め上げる事ができないものでしょうか。
2007/05/22(火) 00:31 | URL | 流星 #-[ 編集]
世界史に見られるランドパワーとシーパワーの戦略号外
                          
                               江田島孔明
「そのときお前の左手は何をしていたのだ」

今回は、戦略の学習のため、日本史上最大の戦いである関が原の合戦において「黒田如水は天下を取ることができたか」を検証してみたい。多極化した世界で、「第三極」を目指すという、如水に似た立場にある日本にとって、彼の行動は大変、参考になる。私は問題提起に留め、読者諸兄の忌憚の無い意見や評論により、議論を深めたい。ポイントは、関が原の当時、真の意味で戦国大名と呼べる勢力は、家康と如水しか残っていなかったということだ。他の大名はほとんどが、キャリア不足の二世であった。

関が原における如水の行動は以下のとおり。

関ヶ原の戦いにおいて家康が勝つためのポイントがいくつかあった。

 家康が会津上杉征伐に秀吉恩顧の諸将を率いて東へと向かったとき、その留守を狙って三成が挙兵した。三成一派を崩壊させることによって敵対勢力を廃そうとしていた家康にとっては渡りに船であったが、これを家康独自の軍隊で叩き潰すのでは結局三成との私戦となる。天下分け目の戦にするためには、現在会津征伐のために行動を共にしている諸将をそのまま家康軍として振り向ける工作をしなければならなかった。多数派工作がなりたたないと孤立してしまう。
 会津征伐軍は豊臣系の諸将がかなりの割合を占める。福島正則、藤堂高虎、加藤嘉明、細川忠興、浅野幸長らである。これら諸将は反三成ではあるが、豊臣恩顧であり秀頼に刃向おうとはしていない。明確に家康側と言えるのは藤堂高虎くらいではなかったか。状況はよくない。ほとんどの諸将の妻子は大坂にいる。人質と言っていいだろう。細川忠興の妻ガラシャの悲劇はよく知られるところ。
 ましてや、主君である豊臣秀頼は西軍総大将である毛利輝元と大阪城にいる。見方によっては秀頼に逆らうことになるのだ。この大軍はあくまで会津征伐のためであり三成追討軍ではない。三成を討てとの秀頼の命令もない。しかし彼らを寝返らせないと以後の天下経営が難しくなる。

 ここで有名な小山評定である。小山で諸将と軍議を開いた際に、家康は問うた。 「みなさんどうします?」
 ここで福島正則が、「家康につく」と先頭きって宣言したため、他の諸将も家康になびいたと言うのだ。秀吉の恩が最も濃く現在も「豊臣家いのち」の猪武者正則がそう言ったため、迷っていた諸将も我も我もと家康傘下になったと言う。
 この軍議がうまくいかなくても、家康単独で三成軍と戦うことは可能である。しかし天下を二つにわけることにはならず、勝っても簡単に家康が天下経営をする基盤とならない。多数派工作が最も重要なのだ。ここで福島正則の発言は大きかった。これで関ヶ原の合戦が成立したとも言える。
 この発言を正則にさせたのは黒田長政の工作であったと言われる。長政が言わせたのだ。
 黒田長政はあの黒田官兵衛如水の子である。黒田如水は、秀吉に天下を取らせた男として名高い。秀吉軍の軍事参謀として、中国大返しを実現させたのは如水である。こうしてみると、秀吉、家康両者の天下獲りに黒田家が大きく関わっているのがわかる。
 このときもしも福島正則の発言がなかったら。先頭きって賛成した人物が例えば山内一豊のような小物であったとしたら、真田昌幸だけでなくもっと離反者が出ていた可能性がある。みんな大坂に妻子を置いているのだ。日和見も出ただろう。そうなると後の天下経営にかなりの影響が出ていたと考えられる。合戦もどうなっていたかわからない。家康は圧倒的軍勢を所持していたとはいえ、その本隊は秀忠が率いて、真田昌幸に足止めされて本戦に間に合っていないのである。天下の流れは変わった可能性が高い。

 そして関ヶ原本戦。家康は大垣城に居る三成をおびき出す。家康は城攻めより野戦を得意としていたからだ。三成は引っかかり関ヶ原で一戦まみえることになる。しかしこの時点ではまだ三成有利である。
 関ヶ原は山に囲まれた盆地。その平地の周りに西軍は陣取った。三成や大谷吉継、小西行長、宇喜多秀家らが正面に構え、毛利秀元や吉川広家、小早川秀秋の大軍が側面の山上に陣を構えた。ここへ東軍が来ればフクロのネズミ状態である。勝ち目は薄い。
 しかし、既に吉川広家と小早川秀秋は家康に内応していた。そのため、側面からの西軍の攻撃がなく、逆に秀秋は裏切って大谷軍を叩いたため、家康は勝つことが出来たのだ。
 この吉川、小早川両川に工作し寝返らせたのはまた黒田長政だったと言われる。これはただの内応では勝負は決しない。西軍として陣を構えてなおかつ西軍に味方しないことが重要。始めから家康軍に参じていたら三成もそれ相応の対処をしただろう。こうして、戦いは半日で決着する。

 こうしてみると、いかに黒田長政の活躍が大きかったかわかる。終戦後、家康は長政の手をとり礼を繰り返し、福岡52万石に封じた。最大の功労者である。
 その頃、オヤジの如水はどうしていたか。
 如水は、九州で兵を挙げていたのである。とは言っても、豊前中津17万石の兵はほとんど長政が率いて関ヶ原に行っている。如水は、手兵300あまりから始め、蓄財で新規兵を召抱えて、西軍に与した旧領主大友氏と戦った。息子と同様東軍に与したように見えるが、とはいえ九州は加藤清正を除き、島津氏はじめほとんどが西軍なのである。そこに戦力なしで兵を挙げるとはよほどのことである。しかし、大友氏に勝ち戦力は増え1万3000ほどになった。瞬く間である。戦さの天才と言っていいだろう。

<参考>
http://www.m-network.com/sengoku/sekigahara/ishigakibaru.html

豊後の情勢

 豊前の隣国・豊後(現大分県)には、当時の石高順に見ると竹田城の中川秀成(七万七百石)を筆頭に、臼杵城の太田一吉(六万五千石)・佐伯城の毛利高政(二万石)・高田城の竹中重利(二万石)・富来城の垣見一直(二万石)・安岐城の熊谷直盛(一万五千石)・府内城の早川長政(一万石)といった大名たちが存在、また細川忠興所轄(本領は丹後宮津二十三万石)の杵築城(六万石)には城代松井康之と有吉立行がいた。関ヶ原直前の時点では熊谷・毛利は大垣におり、早川は丹後田辺城攻撃に加わり、太田もまた西軍方に属していたが、竹中・中川ははっきりとは態度を決めかねていた。ところで、なぜ丹後宮津の細川家が遠く離れた九州は豊後杵築に所領があるのかというと、これにはちょっとした子細がある。

 忠興は前田利長の縁者であったため、「利長謀反」の噂が流れた際、細川家にも嫌疑がかけられた。あわてた忠興は家康の下に何度も書状や誓紙を送って弁明に務め、ようやく許される。さらに三男の光千代(後の忠利)を人質として江戸に送ったのだが、この一連の行動を家康から評価され、慶長五(1600)年二月七日に「大坂の台所料」なる名目で杵築六万石を加増されたのである。


策士如水始動

 さて、隠居して悠々自適の日々を送っていた如水のところへ、三成からの西軍加担要請の密書が届いた。彼は使者に笑って「九州において七カ国の恩賞を頂けるのならお味方いたしましょう」と答えて返し、すぐさま行動を開始した。もちろん本気で西軍に加担するつもりはない。三成の敗戦を予想した彼は、まず工事中だった城の修繕を中止させ、高田城主で故竹中半兵衛重治の従兄である伊豆守重利を東軍に誘った。この機会に隣国を攻略し、少しでも所領を拡大しておこうとしたのである。いや、ひょっとすると策士如水のこと、本気で九州を平定して家康と互角に対峙するつもりだったのかもしれない。ただ城内の兵の大半が長政に同行していて少なかったため、彼は備蓄していた米や銭を大量に放出して老若男女を問わず兵を募り、ひたすら浪人をかり集めた。そして第一次募集だけで三千六百人が集まり、あっという間に八千程の兵力を作り上げたという。
 同じ頃、西軍の総大将に担ぎ上げられた毛利輝元や宇喜多秀家は、大坂にいた太田一吉の子一成に豊後杵築城の接収を命じた。彼は早速領国へ戻って杵築城の守将松井康之に使者を発するが、康之は怒ってこれを追い返した。太田父子は杵築城を攻めにかかるが、如水は大砲三門を、加藤清正は食糧と弾薬などを城中に送ってこれを支援した。

 ここに大友義統という人物がいる。かつては島津・龍造寺氏と「九州三国志」とも言える三つどもえの戦いを演じた、豊後国主大友宗麟の子である。義統は秀吉から豊後一国を安堵されていたが、朝鮮の役で敵前逃亡したとして改易され、この頃周防に不遇をかこっていた。毛利輝元等は秀頼の命と称して「御家再興のチャンス」とばかりに義統をたきつけ、九州へ攻め入らせた。勇躍した義統は九月九日に長門から海路豊後に上陸、立石(現別府市)に陣を構えて杵築城に狙いを定める。竹田城でこの挙を聞きつけた田原紹忍ら大友旧臣が合流、こちらもあれよあれよという間に三千近い軍勢となった。如水は義統に東軍につくよう勧めるが、彼は聞き入れない。杵築城の松井康之から救援要請を受けた如水は、とりあえず先発隊として援軍(一説に三千とある)を杵築に向かわせ、自らも早速この急場拵えの軍勢を率いて出陣した。


如水、杵築城へ

 中津から杵築までの間には、順に高田・富来・安岐の各城がある。九月十日に高田城付近に到着した如水は、竹中重利に参戦を求める使者を出すが、あいにく重病を患っていた重利の返答が遅れた。そこで城攻めの姿勢を見せて威嚇すると、驚いた重利は子の重義に兵二百を添えて差し出した。如水はこれを加えて軍を進める。途中の富来・安岐両城は、西軍に属し美濃に出陣中の城主垣見一直・熊谷直盛に代わって筧利右衛門と熊谷外記がそれぞれ五百ほどの兵で守っていたが、如水はこれを後回しとし、押さえの兵を残しただけで杵築へと向かった。一方、松井康之と有吉立行の守る杵築城ではすでに大友勢の攻撃を受けており、三の丸・二の丸は破られ、十二日には本丸で激闘が行われていた。しかしここへ如水の先発隊が到着して城外に殺到したため、大友勢は囲みを解いて立石へと撤兵した。まさに間一髪のことであった。
 さて援軍を得て勇気百倍した杵築城の松井康之と有吉立行は、戦機を逃すなとばかりに如水の先発隊とともに出陣、翌十三日未明に立石へ向かった。守勢から一転攻勢へ、まさに電光石火の変わり身である。これを聞いた大友勢は、九百の兵を三段に分けて待ちかまえる。そしてこの日の昼頃、両軍は激突した。場所は立石とその北にある実相寺山の間に開ける石垣原である。


石垣原の戦い

 両軍は三日間で計七度の激闘を演じたという。初めのうちは大友方もよく頑張ったが、如水の本隊が十三日夕刻に到着したため数に勝る黒田勢に押され、立石の本陣へ退いた。如水は翌十四日に大友方本陣の立石を三方から囲み、強攻策を主張する家臣の意を退け、降伏勧告を行った。もはや戦意を喪失していた大友方の総大将義統は翌十五日に剃髪して降伏、母里太兵衛らによって護送され、中津へと送られた。両軍の死者は大友方二百余、黒田方三百七十余というから、大友勢もよく頑張ったと言えよう。しかし、黒田方もさることながら、大友方では先鋒左翼の将・宗像掃部助鎮続、右翼の将・吉弘加兵衛統幸らほとんどの将が戦死した。余談だが、この吉弘統幸は無双の槍使いとして有名で、血筋としては筑前岩屋城で壮絶な最期を遂げた高橋紹雲の甥、すなわち立花宗茂の従兄にあたる人物である。

 この後如水はすぐに軍を返し、十七日には安岐城を包囲、亀甲車で城壁を崩し、間断なく大砲と火矢を城内へ射込んで威嚇した。頃を見計らって誘降の使者を送ったところ、守将熊谷外記は十九日に降伏、無血開城に加えて城兵の大半までも得るという結果となった。数を増した如水勢は続いて富来城へ軍を進め、誘降の使者を出すが筧利右衛門は拒絶したため、射撃などを加えて威嚇する。そこへ幸運な情報が飛び込んできた。
 如水は富来城を包囲した際、海上にも哨戒船を配置していたのだが、これが上方からの飛脚船を捕らえた。そこには城主垣見一直から利右衛門に宛てた西軍の敗報を認めた密書があったのである。如水は早速これを城内に送って「早々に降伏すれば、城兵の命は皆助ける。当家に仕官を望む者は高禄で召し抱える」と再度降伏を勧告した。かくて十月二日に富来城も無血開城、城兵の大半をこれまた収めたのである。
 さらに如水は臼杵城をも収め、別働隊に佐伯・角牟礼・日隈城を攻略させ、あっというまに豊後を平定してしまう。次に如水は北へ向かい、中津を素通りして香春岳・小倉両城も落とし、なんとわずか一ヶ月余で豊前・豊後二カ国を手中に収めてしまうのである。

 家康は国元の如水が兵力を持っていなかったため、やや軽視していた嫌いがある。ここ九州北東部では、秀吉さえ恐れた如水の知謀と行動力・統率力が遺憾なく発揮された。しかしその如水にも、さすがに西軍がわずか一日で敗れ去るとは予想できなかった。西軍の敗報を知った如水は、どんな気持ちで以後の城攻めを行ったのであろうか・・・。この後久留米城や柳川城攻めにも活躍した如水だが、家康は子の長政には筑前に大封を与えたものの、如水には何の恩賞の沙汰もなかった。


 黒田如水にはこの時野望があったと言われる。
 彼の半生を見ると、秀吉の参謀として貢献しながら禄は驚くほど少なかった。光秀、勝家を破りようやく3万石程度になったがまだ大名とも言えない。九州征伐を軍監として成功させてようやく中津17万石となったが、功にしてあまりに少ない石高である。
 「秀吉は如水を恐れている」
 というのが定説だった。この男に100万石与えれば天下を獲られてしまう。そう恐れて秀吉は如水を飼い殺しにしたのだと言われる。戦には負けなかった。秀吉が唯一敗北した小牧・長久手の合戦には如水は主として中国で毛利との交渉ごとにあたっていた。
 天下が乱れたと知った如水は、最後のチャンスと見て天下を狙ったのかもしれない。結局如水は軍を発してわずかの間に豊前、豊後二ヶ国を制圧した。恐るべき早業である。如水の知謀と行動は凄まじい。秀吉が恐れたわけである。このままいけば九州平定も視野に入ったと思われたが、関ヶ原東軍勝利の報が届く。
 如水はもっと長引くと予想していたらしい。長引けば如水にもチャンスが生まれた。留守部隊しかいない中国の毛利を撃破して備前、播磨にまで到達すれば、そこは如水の故郷。大坂を衝ける距離でもある。兵300から始めて二ヶ国を陥れた如水なら可能だったかもしれない。東西対決が進み双方疲弊したときに第三勢力を登場させる。如水の青写真はそうだったであろう。しかし、皮肉にも息子長政の活躍によって戦争は早く終結した。前述したように、長政がこれほど働かなければ東西対決はもう少し長引き乱世になっていた可能性もあったのだ。
 如水は天下決着の報を聞き、さっさと矛を収め、さも東軍に味方して戦ったかのように家康に報告した。もともと隠居の身である。家康は、「ヤツは狙っていたな」と分かっていたかもしれないが、長政の功もあり咎めはなかった。

 如水と長政が連動していたら歴史はもっと興味深い展開になったかもしれない。親子で正反対のことをやっていたのだから。
 伝説がある。長政帰城の際、如水に、家康は3度も自分の手をとって礼を言ってくれた、と報告した。そのとき如水は軍功を褒めもせず、取った手は右手であったと聞いて、
 「そのときお前の左手は何をしていたのだ」
 と言ったという。片手が空いていれば刺せたではないかと。戦国の世を生きてきた如水の本音であったかもしれない。



以上
2007/05/26(土) 07:55 | URL | 孔明 #-[ 編集]
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