独立独歩。私は私。誰かに頼るつもりナッシング。それで良し。
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
世界史に見られるランドパワーとシーパワーの戦略VOL152 江田島孔明

今回は、ここ数日で、急激に動きがあった、中東情勢をサウジアラビアの観点で見てみてみたい。

まず、サウジはアメリカ幕府の任命した最も重要な守護であり、サウジの支配を通じ、湾岸産油国を支配する事で、アメリカは中東を支配し、世界を支配した。

 この、「アメリカによるサウジ支配体制」が、イラク戦争意以降、急激に崩れつつある。中東の反米感情が頂点に達しつつあるという事であろうか。

 そこで、サウジは、アメリカ幕府の直轄地として、同じような立場にある日本と戦略的提携に踏み出した。日本は中東諸国の間では、それほど嫌われていない。

 以前であれば、リムランド理論の実践として、リムランドの複数国が結びつくのを、アメリカは徹底的に潰してきた。田中角栄の資源外交を潰したのが、その例だ。

 しかし、イラク戦争以降、世界の覇権を維持することが出来なくなったアメリカは、終に、「リムランド理論」を放棄した様だ。
 これは、アメリカ幕府が事実上「店終い」モードに入った事を意味する。
 幕府の衰退は、各地の守護に対し、自活の道を否応無くとらせる。
 そうしなければ、下克上にあうからだ。

 日本にとっても、経済産業省主導でエネルギー安全保障を図る上で、サウジとの戦略的関係樹立は必須だ。日本は技術を提供でき、両者の利害は一致している。

↓ ブログランキング
ブログランキングブログランキング

遠交近攻の観点から、日本とサウジの戦略的関係樹立は、今後の日本の国家戦略の大方針となるであろう。これは、穿った見方をすれば、戦前の満州国や大東亜共栄圏といったランドパワー戦略から、沖縄からインド洋にいたるシーパワー戦略への大転換といえる。間に、戦後60年の鎖国時代、すなわち、国力の温存、蓄積期間をおいたという事だ。満州国の産業立国を岸信介が企画立案したのと同じように、インド洋における産業立国を経済産業省主導で企画立案しなければならない。その際に参考にすべきは、戦前のランドパワー戦略の失敗だ。ここの反省なくして、今回のインド洋の戦いの勝利は無い。
 
<参考>
------------引用--------------

冷えきったサウジアラビアと米国との関係 戦略的転換か、中東和平の妥協点か
ヨルダン国王と会談するサウジアラビアのアブドラ国王(右、ロイター)
 サウジアラビアのアブドラ国王の米国に対する態度や振る舞い、言葉遣いに近ごろ変化が見られた。これを受けて、識者の一部は「サウジアラビアと米国の同盟関係が崩壊している」と報道している。果たしてそうだろうか?

 中東のような複雑な地域では、安定するもしないも、多くの勢力の行動に依存されており、性急な判断をするのはおそらく時期尚早だ。サウジアラビアと米国との関係が実際に変わってしまったのか、それとも変わりつつあるのか。あるいは、これは、スンニ派アラブ勢力結集の重要な時期に、サウジアラビア王家がサウジアラビア国民とアラブ連盟諸国の信頼を取り戻そうとしている動きか、それ以上のものなのか。これを解明するには、1年以上かかるかもしれない。

 おそらくサウジアラビアは、イランと開戦をするために準備をしているかのように見える米国の「冒険主義」から自国を遠ざけ、シーア派国家(=イラン)からの報復を避けようとしているだけなのかもしれない。もしイランから攻撃を受ければ、間違いなくサウジアラビアの石油基盤や収入に損害が出るからだ。米国との距離を置くという動きは、アブドラ国王とアフマディネジャド・イラン大統領との会談で裏づけされた。両国は米国の対イラン軍事圧力強化に対し、強く反対したのだ。

 サウジアラビアと米国は、どの長い国際関係でもそうであるように明らかに浮き沈みはあったが、70年以上にわたり良好な関係を維持してきた。近年の両国間は「特別な関係」に発展してきた。

 サウジアラビアは米国にとって、重要な同盟国だ。中東地域で大きな役割を持ち、世界最大の石油埋蔵量に加え、戦略的に重要な位置にあるからだ。米国はサウジアラビアと軍事協力関係を保ち、軍事訓練や最高の兵器を提供している。

 米国はサウジアラビアにとって、石油や石油製品の最大の輸入国となっている。石油製品とインフラの安全は、サウジアラビアにとって優先すべき事項だ。この点から、最近の、そしてこれからのサウジアラビアの行動は、地域紛争のいずれにも直接的に巻き込まれないようにしているためであり、また、地域の安定化によって、影響力を高めることを狙っている、と解釈される。

 自国の役割拡大のための動きが、イスラエル・パレスチナ紛争の解決だ。サウジアラビア主導の中東包括和平案は、もともとは2002年ベイルートで行われた、アラブ連盟のサミットの場で、当時サウジアラビアの実質上のトップだったアブドラ皇太子(現国王)が呼びかけたものだった。

 包括和平案は、イスラエルに対し長年の敵国だったレバノンやシリアを含めた「全アラブ連盟国家(実質的には全アラブ諸国)」との正常な外交関係を提供し、イスラエルによる「パレスチナの国家」としての完全な認識を呼びかけるものだった。これと引き換えに、イスラエルには1967年の戦争で得た土地を返還することを求めている。包括案は、東エルサレムを首都とする、独立したパレスチナ国家を作り、「パレスチナ難民問題に対する公正な解決」を目指すものだ。

 包括案実現のための重要な部分は当事者たちに合意させる点にあることは疑いがない。しかし、中東の危機状態を解決するための、あらゆる試みがそうだったように、さらに重要な点は当事者たちに約束を守るようにさせることだろう。イスラム教原理主義集団ハマスやヒズボラ、ほかの多くの悪漢分子たちは、数カ月にわたる交渉で達成したことを5分で破壊することができるし、実際、そうなったことがこれまでにあった。

 ハマスやヒズボラは、大部分のパレスチナ、およびレバノンにいるイスラム教徒の国民同様、イスラエル支持に傾く米国の、中東政策のおかげで、米国に対する根深い憎悪感を持っている。この見方は、米国が大きな財政上・軍事上の支援をイスラエルに対し長年にわたり行ったために、深く定着している。つまり、数世代にわたる紛争での、イスラエル軍による多数の民間人の犠牲に、米国が一部分でも関係している、と信じているのだ。

 このような、米国に対する憎悪感を考慮すると、もしサウジアラビアが中東包括和平案の実現を成功させようと思うなら、ハマスやヒズボラなどの武装集団が「サウジアラビアは米国の利害のため、あるいは米国の命令で動いている」と見てしまうと、包括案への合意が和平誕生の前に抹消される可能性がある。したがって、和平への交渉を開始させ、おそらく交渉を通じてになるだろうが、全当事者からの合意をとりつけるという重要な段階において、サウジアラビアが米国との同盟関係を弱体化させる、あるいは少なくともそうしている印象を与えることは、サウジアラビアにとって利点となるのだ。

 これが、アブドラ国王の最近の行動や声明の背景にある、主な理由だと思われる。国王は4月18日、自分のために開催されることになっていた、米大統領官邸での公式晩さん会の出席を、3月末にキャンセルした。表向きの理由は、ほかの予定と重なったためだ。その後、サウジアラビアの首都リヤドで3月28~29日に開催された、アラブ連盟のサミットの初日、2002年の包括案が満場一致で再開されることになり、アラブ国家の結束を呼びかけたアブドラ国王は、珍しいことに米国の中東での外交政策を「愛するイラクでは、『非合法な外国』の占領により、兄弟間で血が流れ、宗派抗争が内戦を引き起こしている」と厳しく批判した。

 国王はまた、パレスチナに対する封鎖を維持しようという米国とイスラエル側の願望を非難し、「傷ついたパレスチナでは、力強い人々からの抑圧と占拠に苦しんでいる。パレスチナ人に課せられた抑圧的封鎖は、抑圧のない雰囲気の中で和平過程を進めるために一刻も早く終了されるべきだ」と述べた。

 米国とサウジアラビアは、軍事訓練でのつながりを確立しており相互依存の状態にあるため、両国間の関係が完全に断ちきられることはないだろう。しかし、サウジアラビアが一触即発の危険な場所である、中東の安定化に指導的役割を持とうとする中で、米国の圧力に抵抗し、米国とは一線を画した方法を採ろうとする勇気は、サウジアラビアに役立つ結果をもたらすだろう。

 例えば識者の多くは、サウジアラビアが、レバノンの安定化のためにヒズボラと、そして西側との大きな紛争を恐れるイランと交渉をするべきだと見ている。米国はヒズボラやイランを完全に避けるべきだと継続して提唱しているが、サウジアラビアは少なくとも対話を試みる意思があるようだ。

 サウジアラビア王家は、米国がかつてそうであったように、中東の安定化に無残に失敗するかもしれない。しかし、もしかしたら、本当にもしかしたらだが、サウジアラビアが和平交渉のために同じ道を歩きながらも、突然米国とは違った経路をとるようになったので、和平への適切な妥協点を見つけることができるかもしれない。

(オーマイニュース英語版から〔4月1日掲載〕)
------------引用--------------
------------引用--------------

沖縄の石油基地提供 サウジ国王に首相が提案 閣僚級で協議へ 2007年4月30日 朝刊
 【リヤド=金井辰樹】安倍晋三首相は二十八日夜(日本時間二十九日未明)、サウジアラビアのアブドラ国王と夕食会、首脳会談を行った。安倍首相は、沖縄県にある石油備蓄基地を、サウジアラビアの商業用の拠点として利用することを提案。今後、閣僚クラスで議論を詰めることで一致した。 
 現在、沖縄の石油備蓄基地には、国家備蓄の約十日分、五百二十五万キロリットルの石油が備蓄されている。安倍首相の提案は、同基地のタンクの一部を空けて、サウジアラビアに提供しようというもの。
 この場合、石油は引き続き日本の備蓄としてカウントされ、緊急時には日本が優先的に購入できる。一方、サウジアラビアにとっても、現在約二十一日間かけて日本に送っている石油を、常に日本に保管することで、アジアや米国西海岸に石油を輸出する際、コストを大幅に節約するメリットがあるという。
 また両首脳は、両国関係を経済分野にとどまらず、重層的なものとして発展させる必要があるとの考えで一致した。
 会談後、
(1)産業の投資機会を促進するため、官民合同のタスクフォースを設立する
(2)自由貿易協定(FTA)を妥結するための両国の交渉を歓迎する
(3)イラクの国民融和が重要だということを確認する
(4)拉致問題の早期解決を含む、日本と北朝鮮との協議が進展すること
へ期待を表明する-などを盛り込んだ共同声明を発表した。

閣僚級経済委発足で合意 UAEと首脳会談
 【アブダビ=金井辰樹】中東諸国歴訪中の安倍晋三首相は二十九日午前(日本時間同日午後)、サウジアラビアを離れ、次の訪問国のアラブ首長国連邦(UAE)のアブダビに移動した。
 安倍首相は同日午後(日本時間同日夜)、ハリファ大統領と会談。両国の経済関係を強固にするため、閣僚級の合同経済委員会を発足させることを決定した。また、首相が北朝鮮の核開発、拉致問題の解決に向け、協力を求めたのに対し、大統領は「協力は不可欠だ」と応じた。
 この後、首相は日本経団連の御手洗冨士夫会長を団長とする訪問団が開くビジネスフォーラムなどに出席した。

------------引用--------------
------------引用--------------

日本と湾岸諸国、早期にFTAを・日サウジ合同委

 【リヤド=加賀谷和樹】日本とサウジアラビアの合同委員会(閣僚級)が1日、 サウジの首都リヤドで開かれた。両国はサウジなど6カ国でつくる湾岸協力会議 (GCC)と日本の自由貿易協定(FTA)の早期締結を目指すことで一致。
サウジが産業の多角化を目指して進める産業クラスター構想に日本が協力することでも合意した。

 合同委で代表団を率いたのは日本が甘利明経済産業相、サウジはゴサイビ経済企画相。
甘利経産相は1日、合同委とは別に、サウジのダッバーグ総合投資院(SAGIA)総裁、 ゴサイビ経済企画相、ヤマニ商工相と相次ぎ会談した。
ダッバーグ総裁は「GCCと日本のFTA早期締結に努力する」と約束。
サウジと日本の間での投資保護協定の早期合意、租税協定交渉の開始も提案した。

日経新聞 今回の合同委はほぼ5年ぶり9回目の開催。

 サウジでは4月28日に訪問した安倍晋三首相がアブドラ国王に、沖縄県にある石油備蓄基地の一部をサウジ側へ提供することを提案。投資促進のため官民合同の作業部会設立で一致した。(21:51)

 
------------引用--------------
以上

スポンサーサイト
コメント
この記事へのコメント
アラブの石油はいずれ尽きるが

ユダヤの知恵は永遠
2007/05/10(木) 22:22 | URL | 孔芳雄 #-[ 編集]
>孔芳雄様
どうですかね。
知恵が永遠でも、これほどに悪事が露見してきては、世界に居所がなくなりそうな予感もありますね。
2007/05/10(木) 22:30 | URL | 三輪耀山 #X.Av9vec[ 編集]
ユダヤの悪事露見後は日本が世界を支配する。
2007/05/11(金) 00:15 | URL | 孔明 #-[ 編集]
「共存共栄」「人は石垣」「天網恢恢」というランドパワーとシーパワーが融合した考えをもつ日本人は長期的には国際金融よりも強いと思う。
そう信じて日々戦っているのだ。
2007/05/11(金) 09:26 | URL | 大澤 #-[ 編集]
>大澤様
>孔明様

そうであればと願うばかりです・・・。
2007/05/12(土) 23:43 | URL | 三輪耀山 #X.Av9vec[ 編集]
世界史に見られるランドパワーとシーパワーの戦略VOL153
                          
                               江田島孔明

予想通り、イランとアメリカが直接交渉を開始する。イラン戦争を主張した、情報操作に踊らされた手合いは、どのように責任をとるのか明確にすべきだろう。イランとアメリカは夫婦喧嘩のようなもので、お互い、落としどころを探っている。このような微妙な関係を大きな流れの中で見抜くことができなければ、簡単に情報操作に引っかかってしまう。読者諸兄におかれては、今回の「イラン戦争」詐欺に誰が引っかかり、誰が引っかからなかったかを十分熟慮の上、検討されることを望む。今後の世界戦国時代において、この様な局面は無数にある。その無数の局面において、全てに正確な対応を指示できるのは、群百の評論家を置いて、私しかいない事を理解すべきだ。
イラン戦争の有無程度を正確に予測しえない評論家の言説など、何の価値もない。読者諸兄はその事を肝に銘じるべきだ。

<参考>
------------引用--------------
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2007051301000433.html
イラン、米と直接協議へ 18日までに日程など調整
2007年5月13日 19時20分
 【テヘラン13日共同】イランのホセイニ外務省報道官は13日、同国がイラクの治安情勢について米国と協議を行うことに正式に合意したと述べた。イラク政府にその意向を伝えたとしている。開催場所はイラク。日時や、イラン政府が派遣する当局者のレベルは18日までに決めるという。イランのメディアが伝えた。
 ホセイニ報道官によると、米利益代表部のある在イラン・スイス大使館を通じて米政府から公式に協議の要請があったという。
 イランと米国は、1979年のテヘランの米大使館占拠事件の翌年に断交。エジプトで今月4日まで行われたイラク安定化に向けた国際会議には、イランのモッタキ外相と米国のライス国務長官が同席したが、外相会談は実現しなかった。
------------引用--------------

英国では、イラク戦争の責任をブレアに押し付け、辞任させた上で、イラクからの撤退を模索するだろう。

<参考>
------------引用--------------
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2007051202015409.html

ブレア退陣 イラク戦が悔やまれる
2007年5月12日
 ブレア英首相が六月退陣を表明した。十年の統治は、種々の改革で「新しい英国」を生んだ前半期の栄光が、後半期に米国と引き起こしたイラク戦争で台無しになった。この戦争遂行が悔やまれる。
 ブレア首相は演説で「より多くの仕事、低い失業率、よりよき保健と教育」と実績を誇示しつつ、イラク戦争については「間違ったかもしれないが、国のために正しいと信じることを行った」と最終審判は国民に委ねる姿勢を示した。
 万年野党と酷評された労働党を社会主義政党から国民政党へと転換させ、一九九七年の総選挙で大勝して四十三歳の若さで首相に就任した。
 「第三の道」を唱え、左右両派を排除して中道路線を進む。保守党の政策も大胆に取り入れ「サッチャー元首相の申し子」ともいわれた。
 スコットランド、ウェールズ議会設置にみる地方分権をはじめ経済、教育など多方面の改革を果敢に実行し、流血の歴史が刻まれてきた北アイルランドに和平をもたらした。
 国民の間で社会格差を促したとの批判はあるけれど、多くの市民が繁栄を実感したのは事実だろう。
 現在の与党はブレア首相が手塩にかけて育てたといえる。議会で圧倒的多数を誇り、新人・女性議員を多数誕生させ、首相の権力に正面から挑戦する勢力はほとんどなかった。一時「米大統領型首相」と評されるほどだった。
 この状況はやがて、おごりを生じブレア政権は一挙に暗転して最大の汚点を残すことになる。
 ブレア外交は、英国の歴史的地理的地位を活用して米欧の懸け橋となり、国際社会での英国の影響力増大を図ることが最大の狙いだった。
 しかし、イラク戦争を強行しようとするブッシュ米大統領に同調し、内外の反対を無視してイラク派兵に踏み切った。「大義なき戦争」は、イラクを泥沼に陥れ、英軍兵士の犠牲を重ね国内ばかりか、国連や欧州、国際社会を分裂させた。今なお、イラクの「出口」は一向に見えず、首相と大統領の責任は重大だとあらためて言わざるをえない。
 国民や時代の先行きを読む首相の力は絶大だった。ダイアナ元皇太子妃の事故死に際し、元妃を「人々のプリンセス」と呼んで民心を掌握したことは国民の記憶に残っている。そのブレア政権が、三期連続で勝利をおさめ、昨年の選挙融資疑惑まで生んだ。長期政権は腐敗し、民心を忘れた政治家は自滅するというのが歴史の教訓だ。一時代を画したブレア氏も、その例外でなかったことは残念である。
------------引用--------------

ブッシュ政権も完全に死に体と化している。

<参考>
------------引用--------------
http://www.janjan.jp/world/0705/0705115304/1.php
ワシントンIPS=ジム・ローブ、4月26日】

 4月26日、上院が10月にイラクからの米軍撤退を開始する法案を可決したことで、民主党主導の議会とブッシュ大統領の戦争を巡る対決が長期化する様相となった。

 米軍死傷者数はここ数ヶ月うなぎ上りであり、ブッシュ大統領の支持率は過去50年間の如何なる大統領の支持率をも下回っていることから、2008年の大統領選を控え苛立つ共和党を押さえておくのはますます困難になりそうだ。民主党リーダーは既に、ブッシュ大統領が予想通り拒否権を発動すれば2ヶ月の戦費のみを認める法案を提出すると示唆している。そうなれが、7月に再び議会との闘いが繰り返されることになる。

 同法案は、年内の撤退完了を目標として、7月1日までに兵力を増強するというもの。しかし、イラク政府が少数派のスンニにより大きな政治力を与えるよう憲法を修正する、石油収入の公平配分を保証する法律を制定するなど、国家統一へ向けて一定の目標が達成できたと大統領が判断した場合は、2008年4月1日の完全撤退を目標に10月1日の撤退開始を延期することが出来るとしている。

 反戦活動家は、同法案の可決を大きな前進と評価している。 Friends Committee on National Legislation のジム・ケイソン氏は、「議会は初めてイラクからの撤退を要求する法案を可決した。これは大きな前進である」と語っている。

 行政府は、積極的ではないにしろ、より広範な外交へ向け動きだし、国家統一目標の設定という考えを受け入れた。しかし、撤退スケジュールについては「敗北主義」、「降伏を認めるもの」などとして強く反対している。最近、行政府および議会/メディア内の政府支持派は、ペトラウス大将指揮下の増兵は有効で、バグダッドの宗派間抗争は減少し、アル・アンバール州のスンニ派住民の多くが米軍およびイラク政府に協力するようになったと主張している。

 これに対し民主党は、抗争がバグダッドから外部へ移動しただけで、全く進展はないとしている。今週のNBC/ウォールストリート・ジャーナルの世論調査では、約半数がイラク情勢は悪化していると回答。55パーセントが民主党の撤退期限設定は正しいと答えている。

 イラク戦争を巡る米国の最新情勢について報告する。(原文へ)
------------引用--------------
------------引用--------------
http://www.janjan.jp/world/0611/0611084273/1.php
米・イラク:「いまこそイラクから撤退するときだ」 2006/11/09
________________________________________
【サンフランシスコIPS=アーロン・グランツ、10月26日】

 2003年のイラク侵攻以来はじめて、米国の現役兵士たちがイラク占領をやめるよう声を上げた。

 10月25日、100名以上の米兵が、軍内部告発者保護法に従って、報復人事等を恐れることなく議会に意見の申し立てをすることを発表した。

 その中の一人、海兵のジョナサン・フットさんは、「イラクに留まり続けるのか否かという話はもう止めて、どうやったら一番うまく撤退できるのかに関心を移すべきだ」と語る。フットさんは、空母戦闘団の一員としてペルシャ湾からイラクを爆撃しているときから自分の仕事に疑問を持っていた。彼が声を上げようと思ったきっかけは、かつて通っていたハワード大学の恩師から『反乱する兵士』という本を送ってもらったことだった。1975年に出版されたこの本は、ベトナム戦争に対する兵士の抵抗を描いたものである。

 異議を申し立てた兵士たちの声明にはこうかかれている。「私は、制服を着て国家に奉じることを誇りに思い国を愛するアメリカ人として、議会の政治指導者たちに対して、すべての米軍と基地をイラクから速やかに撤退させることを支持するよう求めます」。

 兵士たちの不満が高まっているひとつの理由は、イラクやアフガンから帰還した兵士の負傷率が高いことである。ジョージ・ワシントン大学の国家安全保障文書館が入手した文書によると、「反テロ戦争」帰還兵の25%が、障害補償やその他の手当を帰国後に申請している。

 たとえば、退役軍人援助局(Veterans Benefits Administration)の2006年7月20日付文書には、15万2,669人の帰還兵が障害補償を申請し、そのうち10万人以上が申請を認められたと記されている。

 イラク占領政策の終了を訴え始めた米帰還兵について報告する。(原文へ)

------------引用--------------

つまり、イラク戦争における敗戦処理が今後、本格化する事になる。敗戦責任を首脳に取らせる事で、新たな展開が生まれるのは、いつの時代でも同じだ。

イラク戦争を総括するには、まだ早いが、この戦争の開戦前より、一貫して、私がアメリカの敗戦予言していたことを明記したい。ここまでは、全て、私の読みどおりだ。

 この様な正確な予測が可能であったのは、私が、分析を行う上で、過去の戦史を検討し、そこから教訓を抽出するというやり方を徹底したためだ。その教訓を無視した場合、歴史的失敗は繰り返されることになる。

 たとえば、アメリカ軍は海空軍は世界最強だ。この点については、異論はない。しかし、陸戦においては必ずしもそうではなく。特に民主主義国家である以上、陸戦における死傷者の増大には政権が耐えられないという問題がある。これは、第二次大戦やベトナム戦争において、いみじくも露呈されたアメリカの弱点だ。

 第二次大戦の主に太平洋戦争において、米軍は硫黄島や沖縄で大日本帝国陸軍と死闘を繰り広げた。その際の米兵の死傷者数から、来るべき本土決戦における米兵の死傷者数を見積もった際、
ことはみとめるが、Okinawa casualtiesにしてもそれをもとに九州攻略の それに当てはめれば(268,000)にも達するとAdmiral Leahyは発言してる。

<参考>
------------引用--------------
http://www.ibiblio.org/hyperwar/AAF/Hansell/Hansell-6.html
Marshall said the plan for invading Kyushu called for 766,700 men. Admiral Leahy said the Okinawa casualties (34,000 Army, 7,000 Navy) constituted
about 35 percent of the force. If this yardstick was applied to Kyushu, the casualties would be numerous indeed (268,000). Admiral King thought the casualty rate would be somewhere between that on Luzon and that on Okinawa. Admiral Leahy went on to question the insistence on unconditional surrender, asserting that lesser terms would still allow our absolute control of Japan. The President finally accepted General Marshall's views, and the target date for invading Kyushu was set at November 1.


The Strategic Air War Against Germany and Japan: A Memoir
Haywood S. Hansell, Jr.Major General, USAF, Retired
Office of Air Force History
United States Air Force
Washington, D.C., 1986
Chapter VI Other Operations
------------引用--------------

そして、チャーチルも本土決戦の犠牲の大きさを懸念していた事を認めている。

「大統領は直ちに会談するため私を呼んだ。彼はマーシャル将軍とリーヒ提督 を同席させた。このときまで、われわれは激烈な空襲と大部隊の侵攻によって 日本本土を攻撃するという考えを固めていた。まっとうな戦闘においてのみならず、あらゆる穴や防空壕においても、サムライの捨身精神で死ぬまで戦う日本軍の無謀な抵抗のことを、われわれは考えていた。私の心には沖縄の情景が浮かんでいた。そこでは数千名の日本人が、指揮官たちがハラキリの儀式を 荘重に行った後、降伏を選ばずに一列になって手榴弾で自爆する光景であった。 日本軍の抵抗を一人ずつ押え、その国土を一歩ずつ征服するには、百万のアメリカ兵の命とその半数のイギリス兵の生命を犠牲にする必要があるかもしれなかった。
もしイギリス兵を上陸させることができても、イギリスの犠牲はもっと多くなるかもしれなかった。なぜなら、われわれは苦悩をともにする覚悟でいたのである。 いまやこの悪魔のような情景はすっかり消えてしまった。それに代わって、一、二回の激烈な衝撃のうちに全戦争が終結する光景が浮かんだ。それは実際、快く輝かしいものに思われた。私が瞬間に思い浮かべたのは、私が常に勇気に感嘆してきた日本人が、このほとんど超自然的な兵器の出現のなかに彼らの名誉を救う口実を見出し、最後の一兵まで戦って戦死するという義務から免れるだろうということだった。 」

「第二次世界大戦4」 (W・S・チャーチル 佐藤亮一 訳 河出文庫)432頁
 
そもそもアメリカにとっての主敵はナチスドイツであって日本との戦争は第二戦線だったはずで、必ずしも日本との戦争は総力戦で潰すまでやる戦争とも限らない。

何しろ日本の場合は支那派遣軍百万が未だに無敵でかつ神風特攻隊による艦船被害と硫黄島・沖縄の抵抗で、戦力を撃滅できる見通しがまるで立てられない状況だったからだ。こんな調子で日本占領について取り決めしようものなら取らぬ狸の皮算用になってしまう。カイロ宣言に臨んだ蒋介石はまさに「取らぬ狸の皮算用」。ソ連参戦で二正面作戦になれば確かに日本には耐え難いかもしれないが、 そのためにアメリカはヤルタ会談で膨大な貢物をソ連に捧げることになった。

日本は降伏しない、完全に破壊されるまで戦いつづける、天皇も死ぬ、ゆえに占領軍最高司令官が天皇の代理をしなくてはならなくなる、と米陸軍は考えたのである。 というのも、作戦当局者は十一月一日の九州上陸につづき、一九四六年三月に関東地方上陸作戦を予定している。両作戦に動員される陸海兵力は五百万人、戦争終結は一九四六年秋、米軍の損害見込みは死傷百万人をこえ、その代わりに日本人も「二千万人」死ぬと推定していたからである。 陸軍長官スチムソンは、この判定に不安を感じた。 「これは戦争のワクをこえる。破滅だ。米国にそれだけの破滅を日本に与える権利はないし、米国人百万人の生命をかける名分もない」 陸軍長官スチムソンは、国務長官グルーに連絡して、日本を政治的に降伏させる政策案の提示を求めた。

東京大空襲でも広島原爆投下でも、都市は焼け十万人以上が死んだが、 だからといってそれが降伏への引き金になったとはいえない。それはまた作り直せばいいからだ。ドイツでもヒトラーは都市空爆を契機に、街の作り変えを下命してる。寧ろ外国からの補給が途絶える方が痛い。 ドイツでは1944年夏、同盟国の離脱が契機となって反ナチ蜂起となる。 日本の場合はマリアナ・レイテ失陥による海上封鎖・機雷封鎖が大きいが、とどめを刺したのはソ連参戦による大陸封鎖であったと言える。これで、満州を最終決戦場とするという陸軍の作戦計画は崩壊した。この時の陸軍大臣布告が当時の陸軍首脳の対応を如実に反映していると思われるので、掲載する。完全にイってしまっている。

<参考>
------------引用--------------
長崎への原爆投下とソ連対日参戦を受けて、9日深夜から10日未明にかけて開催された御前会議で帝国政府は天皇制の維持を条件としたポツダム宣言受諾を決定。夜、海外放送を通じて声明した。
一方阿南惟幾陸軍大臣は陸相告示を発し、戦争継続、徹底抗戦の決意を表明した。
陸軍大臣告示

全軍将兵に告ぐ「ソ」聯遂に戈を執って皇軍に寇す
名分如何に粉飾すと雖も 大東亞を侵略制覇せんとする野望歴然たり事茲に到る又何をか言はん、断乎州護持の聖戰を戰ひ抜かんのみ仮令草を喰み土を齧り野に伏するとも斷じて戰ふところ死中自ら活あるを信ず是れ即ち七生報國、「我れ一人生きてありせば」てふ楠公救國の精なると共に時宗の「莫煩悩」「驀直進前」以て醜敵を撃滅せる鬪魂なり。全軍将兵宜しく一人も餘さず楠公精を具現すべし、而して又時宗の鬪魂を再現して驕敵撃滅に驀直進前すべし
 昭和二十年八月十日   陸軍大臣
------------引用--------------

 連合軍最高司令官アイゼンハワー元帥の報告では、米軍はライン川からベルリンまで進撃するとすれば、「一〇万人」の損害がみこまれる。 ということは、兵力温存のためにソ連軍の戦いを求める必要がある。 対日戦では、近く硫黄島、沖縄上陸作戦が実施され、秋には九州上陸作戦も予定されているものの、その九州上陸作戦の損害は「二七万人」 と推算され、日本軍は日本本土だけでなく、満洲、中国でも戦い続ける可能性もある、と、陸海軍当局は推理する。  

米軍は日本軍が太平洋戦線で絶望的な状況でも降伏しない上しかも本土に近づくほど抵抗も一層激しくなっていた為日本を降伏させたあと戦意旺盛な関東軍や支那派遣軍なんかはどうやって武装解除すりゃいいのか悩んでた。

ところが玉音放送により、あっさり武装解除に応じた為拍子抜けしたらしい。マッカーサーが天皇制護持を行ったのもうなづける気がする。

以上のように、アメリカは日本との本土決戦回避のため、ヤルタにおいてソ連参戦を密約させた。取引材料は東欧とベルリンだ。このように、陸戦において、アメリカはかならず、パートナーを頼ろうとする。イラク戦争において、ソ連の役割をイランが果たすだけだ。この様に考えると、アメリカの行動様式や戦略は第二次大戦の頃と,全く変わっていない。イランに対する取引材料はブレアやオルメルトの首になるのであろうか。豊臣秀吉が中国大返しを行う時に、清水宗治の切腹を条件に毛利と講和した故事を思い出す。日米講和の際に東条の絞首刑が条件になったのも同じであろう。地政学的バランスの変化によって導かれた結論だ。
以上
2007/05/13(日) 21:44 | URL | 孔明 #-[ 編集]
9月までに攻撃
神との盟約を破る事をブッシュはしないでしょう。
http://www.rkk.co.jp/cgi-bin/tonderu/yokatoko/yokatoko.cgi?p=shuzai&id=20051014183253

空自のバッチシステムもイランと同盟を結んでいる北朝鮮からの攻撃に備えてリンク済みです。
http://www.asahi.com/politics/update/0513/TKY200705130126.html

粛々と現場は予定通りに進んでいます。朝鮮テロも起こるでしょうがそれは彼らの自滅を早めるだけ(笑)
2007/05/13(日) 23:55 | URL | ローゼンバーグ #qg05QxWw[ 編集]
情報操作に簡単に引っかかるあほを相手にはする気はない。しかし、~までに攻撃説もいったい何度目だ??もう少し学習してくれたまえ
2007/05/14(月) 00:08 | URL | 孔明 #-[ 編集]
イラン・北朝鮮同盟・・・
>イランと同盟を結んでいる北朝鮮

  もしあっても「密約」なんでしょうが、松岡洋右の「バスに乗り遅れるな」以上に、朝鮮にとってメリットがない同盟ですね。
  キムジョンイルは、松岡みたいな底の浅い人物ではありませんよ。
2007/05/14(月) 00:14 | URL | ろろ #-[ 編集]
>孔明様
エントリーアップ致しました。

>ローゼンバーグ様
孔明様のおっしゃるとおりです。

>ろろ様
イランは北朝鮮と同盟など結んでいません。
ただ単に、弾道ミサイルの顧客の一人だと言うだけの関係です。
運命共同体ではありえないですね。
2007/05/14(月) 19:25 | URL | 三輪耀山 #X.Av9vec[ 編集]
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://klingon.blog87.fc2.com/tb.php/200-0f52b49f
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック
  旅行関係の記事を上げようかと思っていたのですが、大変重要なニュースを取り上げ損ねていました。  以前からこのブログでも取り上げている中国と朝鮮の間の冷戦状態が、いよいよ差し迫ったものになってきました。以下の朝鮮日報の記事をご覧下さい。中国、白頭山の原
2007/05/08(火) 23:57:13 | 日々是勉強
なかなか無骨なサイトを見付けました。復活!三輪のレッドアラート!またチラリと読んだだけなのですが、ズバリと指摘していることが色々とあるようです。ご紹介したい記事は沢山ありますが、まだ隅々まで読んでませんので。。。世界史に見られるランドパワーとシーパワーの
2007/05/14(月) 02:13:03 | とっちのブログ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。