独立独歩。私は私。誰かに頼るつもりナッシング。それで良し。
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江田島孔明

平家物語

祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を現す
奢れる者は久しからず 只春の夜の夢の如し
猛き者も終には滅びぬ 偏に風の前の塵に同じ

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イラン情勢は、英兵がイラン革命防衛隊に拿捕されたりして、プエブロ号事件のような形で、一進一退を繰り返しながら、虚虚実実の駆け引きモードに入っている。かなりの情報操作があると考えられるが、それらに引っかかってはいけない。

私の分析は、個々の情報に振り回されるのではなく、歴史の流れに着目し、その流れを分析し、未来を見通すことを身上とする。

今回は、このような観点から、既に攻勢終末点を越えて、縮退期に入ったアメリカをどうやってソフトランディングさせるかという、現在の世界で最も重要な課題について、考えてみたい。
ベトナム戦争以後の、「アメリカの衰退」というもの理解せずして、現在の国際情勢を読み解くことはできないからだ。

まず、文明や国家には栄枯盛衰がつきものだ。これは、個人や企業にとってもあてはまり、ライフサイクルに応じた戦略を描くことが必要なのは、同じだろう。

しかし、問題は、国家や文明については、たとえば、企業における倒産や個人における破産といった法的な解散や債務免除措置が準備されておらず、かつ、国家は武力を有することを常として、結果として、「平和裏かつ合法的な国家の解散や消滅」というのは、歴史上例がない。
この点が国家と個人や企業の大きな違いだ。

私は、コラムの表題に「世界史に見られる」と銘打っていることで分かるように、分析の基盤を世界史の検討においている。
戦略状況から類似のパターンを抽出し、「過去の例はどうだったか」を見ることが重要なのだ。現在のアメリカのおかれた状況について参考になるのは、ローマ帝国であろう。

ローマ帝国に先立つ共和政ローマ史には数多くの英雄譚がある。
天才は出現しないが、あらゆる階層の人々がローマの為に献身的に行動するのである。
が、ある意味ではそれは英雄がいっぱいいなければどうにもならなかった、という事でもある。

英雄――それも知略的な英雄というよりは、精神的な英雄――がこれでもかこれでもかと輩出して、それでやっとローマは破滅を免れる、といった体である。

しかし戦争がローマの破滅の原因だったのではない。
寧ろ、戦争をしない事がローマの破滅の原因だった。

ローマは常に戦争をしていなければならなかったのだ。うち続く強大な敵との戦い。それこそが、ローマを活性化し、ローマの政体を柔軟ならしめ、ローマ人にあらゆる富と名誉をもたらし、ローマの不断の成長を可能にしていた――長年にわたって。

そう、ローマ人は、ローマ軍の兵士達は、500年以上もそうやってきたのである。

それが不可能になったのは、外部に敵を求める事の困難さというよりは、内部の問題である。
ローマが全体として裕福になり、また広大に、強力になった為、ローマの為に戦う事が自分達の為に戦う事だ、という意識は失われた。
その代わりに台頭したのは、自分たちに恩恵を与えてくれる個々の指導者(政治家・将軍)という存在である。

兵士達は、ローマの為でなく、個々の指導者との絆において戦い始めた。
ここに至って共和政は、自らの成長を理由として終焉を迎えざるを得なくなる。

それに終止符を打ったのはカエサルであり、新たな政治体制――帝政――を開始させたのは、オクタヴィアヌス=アウグストゥスであった。
アウグストゥスは、ローマ全国民の最高指導者、ローマ全兵士の最高司令官となる事によって、ローマの分裂を回避する事に成功したのである(前27年)。

ギボンのローマ帝国衰亡史によると、アウグストゥス(Augustus Caesar, 紀元前62年9月23日 - 紀元14年8月19日ローマ帝国の初代皇帝)はローマの領土をライン川とドナウ川に内側に限るようにと戒めていたという。
彼はローマの伝統であった対外拡張政策を止め、防衛体制の整備に努めた。

ローマの歴史上初めてとなる常備軍を作り、国境に沿って軍団を配置した。
辺境で長い兵役を勤める彼らに報いるために、軍隊の退職金制度を始めた。
北部国境は、当初エルベ川とドナウ川にするつもりだったが、紀元9年のトイトブルクの戦いでゲルマン人によって手痛い打撃を受けたためこれを諦め、結局ライン川を国境と定めた。
つまり、ライン川とドナウ川の線の北側は、支配する果実より防衛コストが嵩み、割に合わないことを知っていたのだ。

この防衛線をリーメスで繋ぎ、その内側で、その後1世紀に渡りローマは繁栄を享受する。

リーメスとは、紀元1世紀末にローマ皇帝ドミチアヌス帝が築造を始めた長城遺跡で、東はドナウ河畔のレーゲンスブルグ上流から、西はライン河畔のコブレンツまでの全長584キロにも及ぶ長大なものである。
「ヨーロッパの万里の長城」ともいえるこの国境防衛施設は、五賢帝のトラヤヌス帝とハドリアヌス帝の時代にさらに強化され、160年ごろアントニヌス・ピウス帝の時代に完成した。

現在では、ロマンチック街道沿いにある街ディンケルスヴュールの東南7キロの一帯に、結構保存状態がよく残っている。

もともとリーメスの建設の動機は、紀元9年のトイトブルグの森の戦いで、ローマ軍がゲルマン人に大敗したことによる。
この戦いでウァールスを司令官とするローマ帝国軍第17、18、19の3軍団が、アルミニウスに率いられるゲルマン人に全滅させられた。
この敗北はローマ帝国最初の大敗北であり、以後のローマ帝国の軍団番号でそれらの番号が欠番になったという逸話さえ残っている。

アウグストゥスは軍制をまとめ、これまでの様に拡大を主とするのではなく、守勢を主とする選択肢を選んだ。実際の所、もはやこれ以上拡大を目指すのは、現実的ではなかったであろう。
しかしローマ帝国の国境を維持するのでさえ、外敵は強く、その広大さから膨大な軍事力が必要だった。兵士達は、これ以後もローマの支柱であり続ける。軍隊なくしてローマはあり得なかった。

ところがこの事がローマ帝国にとって不幸な結びつきとなった。

共和政ローマでは不断の戦争と拡大という目標が、兵士達と国家の利害・理念を一致させていた。
しかし、帝政ローマでは、それが一致しなくなる。
ローマ帝国は寧ろ平和を欲しているのだから、軍隊がなくて済めば、その方がよいのである。

しかし、外敵の存在と版図の広大さがそれを許さない。寧ろ、軍隊は必要不可欠であるために、その発言力は必要以上に強大化した。
五賢帝の時代が終わるまで皇帝8代111年の間(69年~180年)、皇帝と軍隊の協調の時代が訪れた。特にトラヤヌス帝は軍隊の支持も絶大で「最良の君主」と呼ばれる。このトラヤヌス帝の時に、ローマ帝国は最大版図となる(116年頃)。

だが、最良の時代の後は、衰亡の歴史が始まる。
ギボンの『ローマ帝国衰亡史』は、トラヤヌス帝の時代から記述が始まるのである。

116年を最大版図として、すぐに帝国の縮小がはじまった。
パルティアの反攻、ユダヤやエジプトでの反乱の為、トラヤヌス帝はアッシリアとメソポタミア南部を放棄せざるを得なくなる。
ほどなく病没したトラヤヌス帝の後を継いだハドリアヌス帝は、対外政策を守勢に完全に変更し、その上に足繁く帝国領内を視察して回らねばならなかった。

この後、ローマがどう衰退していくかは、ギボンの「ローマ帝国衰亡史」に詳述されているが、ローマにとってのターニングポイントは、まさに、カエサルによるガリア遠征から、アウグストゥスによる帝政以降の、まさに、「ローマの軍国化」すなわち、ランドパワー化にあることが分かるであろう。

簡単に言うと、ガリア制圧以降のヨーロッパ内陸部への拡大策と常備軍拡大、将軍と兵士の個人的結びつきといったローマの軍国化路線そのものが、実は衰退要因であり、版図拡大に終止符が打たれたトラヤヌス帝以降、まさに軍人皇帝乱立の時代を経て、ローマは崩壊していく。

つまり、戦争するために拡大した軍事組織がそのまま、衰退要因になったのだ。

なぜ、ここまで私がローマの事例にこだわっているか、おわかりであろうか。
すなわち、ローマが帝政化し、そして衰退した理由というのは、第二次大戦後、産軍複合体に支配されたアメリカが成長し衰退した理由と全く同じだからだ。

つまり、第二次大戦を通じ、アメリカは軍事部門が突出することで大恐慌以来の不景気を払拭したが、結果として産業構造が大きく変質し、軍事部門を支えるべき民間部門が育たなくなったのだ。

我々の身の回りを見ても、アメリカ製の製品は存在しない。この事がアメリカの産業構造を物語る。

この過程を見てみる。
1919年第1次世界大戦の戦後処理が行われ、1929年に世界大恐慌になる。
全世界が不景気になったのだ。
そこで、それぞれの国は対応策を講じた。
たとえば、アメリカはニューディール政策を行い景気回復しようとした。ソ連は計画経済を推進し景気回復を図った。
イギリスは本国の商品をイギリスの植民地に売りつけ財を吸い上げることで自国の景気を回復しようとした。

つまり、各国は自国の資源や財を外に流出するのを防ぐことで、自国の財をふくらませ景気回復しようとしたのだ。

しかし、これらの国が大恐慌以前の経済水準を回復するのは、第二次大戦によって大量に物資を消耗し、雇用を創出し、軍需産業が大きな財をもたらし、はじめて、世界は景気を回復した。

いや正確には戦勝国の景気は回復した。

第二次世界大戦が始まるや、「国家総力戦」を戦い抜くためにも、どうしても鉄鋼や自動車や航空機や石油・・・などといった基幹産業をリードする巨大企業(産軍複合体)の存在が必要不可欠の要件となり、いつの間にか独占禁止法体制は無視されるようになり、かえって「勝利の足を引っ張る元凶」として軽蔑すらされるようになった。

この「産軍複合体」が戦後のアメリカの国家戦略を根本から規定し、大統領すらも意のままに操った。これが、帝政期のローマ皇帝が実質的には常備軍の傀儡となったことと同じなのだ。

軍事組織とは、洋の東西を問わず、そのこと自体は消費主体でしかなく、生産をもたらさない。補給や維持費は膨大で、常に対外拡張に戦争を継続し組織防衛はかるという本能をもつ。

すなわち、戦争がなくなり、対外拡張をやめてしまうと、軍事組織が不良債権化し、抵抗勢力と化し、内乱に繋がるということだ。
つまり、「不断の対外戦争」を抜きにして、膨大な軍事組織は維持できない。ローマが嵌った陥穽とは、まさに、これだし、第二次大戦後のアメリカもこの状況から脱却できなかった。

こういう軍国体制の最大の問題は軍事的敗北や撤退が国家の衰退に直結することだ。
ベトナム戦争後、長期低落にあるアメリカはまさに、このスパイラルに陥ったのだ。
 
国家の衰退は、通貨価値下落に最もよく反映される。
これは、現在の管理通貨というものが、価値の根源を「国家の信用」においているからだ。このような視点で見ると、米ドルの長期下落傾向ははっきりしており、唯一、世界最強の軍事力により中東を支配する事がその担保になって基軸通貨の座を占めているといえる。

裏を返せば、米軍が中東の支配権を失うとき、ドルは基軸通貨の座を失い、アメリカは19世紀の状況の戻るということだ。

現在、アメリカはイラクからの出口戦略を模索している。

下院で可決された撤退法案に大統領が拒否権を発揮しようがどうしようが、アメリカの国家意思として、「イラク撤退」、その後に来る「中東からの撤退」はもはや既定路線だろう。

背景として、軍事組織を維持する経済が破綻している。これは、民間部門がなく、軍事部門が突出して滅んだ旧ソ連と同じだ。

<参考>
------------引用--------------

イラク撤退法案可決 米下院 大統領は拒否権行使へ
 【ワシントン=久留信一】米下院本会議は二十三日、二〇〇八年八月までに駐留米軍の戦闘部隊を撤退させることを定めたイラク戦費関連の〇七年度補正予算を賛成多数で可決した。ただ、ブッシュ米大統領は同日、拒否権行使の方針をあらためて表明しており、法案成立の可能性はほとんどない。
 採決結果は、賛成二一八に対して反対二一二。「イラク戦費を承認すべきではない」とする民主党の一部議員グループが反対に回ったため、過半数ぎりぎりでの可決という際どい結果となった。
 法案可決後に記者会見したペロシ下院議長(民主党)は「議会の投票は、戦争終結に向けた大きな一歩だ」と強調。今後は上院の審議を待って法案一本化作業を進める方針を示した。
 一方、ブッシュ大統領はホワイトハウスで声明を発表、「現場の状況をわきまえない独断的な撤退日程を設定した」と指摘。「法案が私のデスクに届いても、拒否権を行使する」と法案審議を主導した民主党を批判した。
------------引用--------------

アメリカの中東からの撤退はベトナムからの撤退どころの騒ぎではなく、ローマ帝国がアルプス以北と地中海全体を失い、都市国家に戻ると同じようなインパクトをもたらす。

中東を失えば、中継基地である日本や欧州の米軍基地も意義を失うからだ。つまり、アメリカの世界からの撤退に繋がる。

これは、穿った見方をすれば、大恐慌から第二次大戦を通じ、民主党を通じアメリカを乗っ取った国際金融資本が、アメリカから撤退していく兆候といえる。
彼らは、ベニスからスペイン、オランダ、イギリスと拠点を移し、常に経済的利潤を追求してきた。
その反面、現地ローカルの貴族は常に食い物にされてきたのだ。
アメリカでも同じことをやったとみるべきだ。

問題は、民間部門に代表される経済が衰退し、結果として覇権を失うアメリカは世界に何を残すのかということだ。
結論から言うと、アメリカは核を含む軍事力と情報力に関しては、世界最高水準を誇っている。

そして、その両者の根本的価値「ソフトウエア」にある以上、アメリカという国土にこだわらないのだ。
簡単にいうと、「ソフトを開発できる頭脳の持ち主」がいるところが世界の覇権を握るということになる。
それが、戦後、長らくアメリカであったということだ。

そして、ベトナム戦争以後それらのソフトを支えるべき経済力を失い、日本がその部分をファイナンスしてきた。
これが、戦後の日米関係の真実だ。

戦後、シーパワー連合を組んだ日米は、経済を日本、軍事をアメリカが分担したといえる。
この点につき、吉田ドクトリンについて書いた以下が参考になるだろう。
日本はアメリカと全く逆の、軽武装民需中心国家を目指し、結果として、非常に裾野の広い産業構造すなわち軍需産業の基盤を生んだのだ。

戦前のアメリカがT型フォードに代表される自動車製造ラインを大戦中に航空機製造ラインに変え大量生産を果たしたことを想起されたい。
その逆を日本は戦後やったのだ。

<参考>
------------引用--------------
http://www.teamrenzan.com/archives/writer/edajima/_1.html

戦後日本の総路線は、1951.9.8日のサンフランシスコ講和条約、その5時間後の日米安全保障条約の締結により決着した。
これを遂行したのが吉田茂首相であったが、この時吉田首相は、米国陣営側に与することを決定している。

同時に講和後も米国軍を恒久的に残置させ、米国との軍事同盟締結を決断している。
 
このような形で日本は形式的には主権を回復し、実質的には外交や安全保障をアメリカに依存した。
これは、表面上は吉田首相の決断とされてるが、実際は昭和天皇の意思だ。

その意味で、「陛下ドクトリン」と呼ぶべきであり、この点はいずれ改めて書くが、今回は吉田ドクトリンという一般的呼称にしたがうこととする。

 
この時の吉田首相の判断がどう評価されるべきだろうか。
吉田首相の「自由主義陣営(シーパワー)への確固とした信頼、共産主義陣営(ランドパワー)に対する不信」は、今日では英明な判断であったことが判明している。
 

曰く、「共産政権誕生以来、ソ連は5千万人、中共は2百万の国民を殺したといわれる。人民を多数殺戮するような国に、何の進歩、何の発達、何の自由があり得るのか」の批判は、外交官時代の経験に拠ったものと思われるが、この当時における見識として優れていたものであった。

 
(注) 2百万人: これは、吉田首相当時に言われていたもので、文化大革命・大躍進時代以降のものは、一切含まれていません。中共は現在にいたっても戸籍が曖昧で、人口統計すら不明です。政府が人民を何人殺したかの具体的統計は無いと思います。あくまで概算で、種々の数字が発表されています。



△ 中共の自国民殺害数: 
合計1億3000万人

文化大革命関連: 2000万人(トウ小平談話)

失政飢餓(大躍進 粗鋼製鉄運動): 4000万人(書物)

革命後の国民党関係者と家族の処刑: 6000万人(推定)

常時強制収容所での処刑: 1000万人(推定)
 
も、その例です。(注完)

 

吉田首相には次のような認識があった。

「占領6年有余にして、日本は一日も早く独立を獲得せねばならぬ、とする私の考えはいよいよ強くなった。全面講和は理想としてはいいかも知れぬが、当時の国際情勢、殊に米ソの冷戦のもとにおいては、それは一場の夢に過ぎない。平和条約で独立は一応回復した。しかしこれは主権回復という意味での政治的独立であって、経済的独立には未だ前途尚遠しである。しかも、経済的独立に専念するためには、国の内外における安全が保障されねばならぬ。しかし、当時の我が国の経済状態は再軍備の負担に耐えるべくもない。況や、我が国の新憲法は厳として再軍備を禁じているにおいてをやである」。
 

要するに、コストがかかる外交や安全保障をアメリカに任せ、対米輸出を基軸にした産業立国を目指すということだ。
この戦略は、米ソ冷戦下では、有効に機能し日本は経済大国となった。


 
問題は、イラク戦争を契機としてアメリカの国力が相対的に低下しつつあり、「外交安保の対米依存」が客観的に不可能になりつつある点だ。
吉田ドクトリンそのものの前提が崩れているのだ。
 

吉田ドクトリンは軽武装で、経済中心だが、この路線を維持するのに憲法9条が役立ったといえる。
これを、日本の産業構造の観点からみると、戦前の軍事産業中心から、民需産業中心への大転換だ。
 
言い方を変えると、戦後の改革で陸海軍や財閥をはじめとする軍事産業が解体され、「軍事技術の民生利用」が図られたということだ。

新幹線の開発に海軍の技術者が参加した例はその典型だろう。



<参考>

Japan On the Globe(359) 国際派日本人養成講座 
   人物探訪:島秀雄 ~ 新幹線の生みの親
 

島は戦前から、いずれ高速で走る電車列車の時代が来ると読んでいた。
昭和20年12月、敗戦からわずか4ヶ月目、海軍航空技術廠の技師だった松平精を鉄道技術研究所に迎えて、こう依頼している。
 

『松平さん。私は、将来、日本に電車形式の高速長距離列車を走らせたいと思います。しかし、いまの電車は振動もひどいし、音もうるさい。とても長時間、お客様に乗っていただく車両とは言い難い。ぜひ、あなたの航空技術の知識、研究を生かして、この振動問題を解決していただきたい。』[2、p89]
 

松平精は、零戦をはじめ海軍航空機の振動問題を解析するスペシャリストで、35歳の若さですでにこの分野の権威であった。
松平は、敗戦の焦土の中でも、将来の日本の鉄道について斬新で具体的なビジョンを語る人物がいることに感銘を受けた。
 
終戦直後、松平のような軍の技術者が大挙して鉄道に移り、鉄道研究所だけでも職員が500人から1500人に増えた。
これらの、かつて戦闘機を開発した技術者たちが、戦後復興の執念をもって鉄道技術開発に取り組んだのである。
 
「優れた高速車両を作り出すためには、まず車両の振動理論を完成させることが先決」という島の方針に従って、理論好きの飛行機屋たちと、経験豊かな鉄道屋たちが白熱の議論を展開しながら、車両の振動理論を完成させていった。

当時、欧米でも、高速電車列車という発想はなく、振動理論も手つかずであった。
この振動理論の完成によって、日本の車両技術は欧米に大きく水をあけた。
戦後の新幹線には、戦前の零戦などの技術伝統が継承されていたのである。
 

この流れは、プレーステーションが軍事シミュレーションに転用されかねないとして規制対象になったほどだし、ホンダのアシモは最先端の軍事歩兵に転用できる。
 
日本の防衛費そのものは5兆円前後で、GDPの1%程度だが、防衛産業自体の裾野は限られているが、上記のような歴史的背景により日本の企業には、防衛産業に転換できる技術やラインが多数ある。
 

官需主導の軍事大国が旧ソ連のようないびつな産業構造をとり、結局はつぶれたことを見ても、日本の産業構造はバランスが取れ、かつ膨大な裾野分野を生んだ点で、ある意味、理想的だろう。
 
逆に言えば、プレーステーションやアシモを国家予算の投入なしに、民間が商用を前提として開発することは、国際的には異常なことであり信じがたい現象だ。
プレーステーションは軍事シミュレータ並みの能力があるが、その目的で開発されたわけではなく、子供のおもちゃなのだ。

 

<参考>
世界各国の軍事力あるいは軍事傾斜度を示すため、軍事力人数(Total armed forces)と軍事支出対GDP比

 

米国の軍事支出対GDP比は3.4%と大きい。
経済規模(GDP)自体の大きさを考えると米国が世界最大の軍事大国である点はいうまでもない。
 
軍事支出対GDP比が5%以上の高い国としては、エチオピア、エリトリアといったアフリカの国、及びシリア、サウジアラビア、イスラエル、ヨルダンといった中近東の諸国であり、紛争を抱えている地域の状況をうかがうことができる。
 

日本は24万人で、グラフの諸国の第21位となっている。
軍事支出対GDP比は1.0%と世界の中でも最も低いレベルである。
 
言い方を変えると、戦後の日本は憲法9条のもと、防衛産業は抑制的にして、民需中心にしてきたのだが、結果として「民需の中に膨大な軍事技術転用可能な技術が蓄積」されたということだ。
 

これは、何を意味するのだろうか。

これは、国家が関与しない分野で、膨大な軍事産業が樹立されたという、史上、おそらく初めてのケースだろう。
言い方を変えると、官民一体となって、真に防衛産業を育成し、軍事大国を目指すという国家意思を決定をすれば、分野によってはアメリカを上回る軍事技術大国になるということだ。
 
よく言われていることだが、日本はF15を三菱がライセンス生産しているが、アメリカ製よりはるかに性能がよいという。F2攻撃機のレーダー性能はこれもアメリカ製を大きく上回るという。

通常動力の潜水艦も純日本製だが、これも、アメリカ製の性能を上回る。
また、横須賀ドックの整備能力は世界一だ。
 
問題は、自動車や家電で、日本の製品がアメリカ製を駆逐したのと同じ事が軍事分野で起きた場合、日米関係は決定的に悪化するため、日本は軍事大国を目指せないということだ。
FSX計画をアメリカが潰した意味もそこにある。

アメリカは日本を恐れている。

ここまでの状況を要約すると、戦後日本は冷戦構造を利用して、外交、安保をアメリカに依存し、経済中心の産業立国を目指し成功した。
軍事面では憲法9条の制定が、結果として軍事技術の民生分野への展開から、民需主導の産業立国となり、知らないうちに防衛産業の裾野は大きく民需の分野に広まった。
GDP費1%程度でもアメリカにつぐ軍事力を有しており、防衛費を国際標準のGDP比3%にし、官民が力を合わせて軍事大国を目指せば大幅な軍拡は可能だが、それは、製造業において主要産業がほとんど破綻し、軍事産業しか残っていないアメリカの戦略と衝突することになる。


つまり、保守派が言うような、憲法9条を改正すれば、軍事的にフリーハンドが得られるというような単純な話ではないのだ。

------------引用--------------

現在、中東諸国のドル離れの傾向が甚だしく、結果としてドル暴落の可能性が高まり、アメリカの覇権失墜が現実のものとなろうとしている。イラク戦争は、そのような中で、ドル価値を軍事力で担保しようとした試みであったが、結果は失敗だった、あるいは、若干の延命にはなったといえようか。

そして、アメリカの優位が軍事部門、情報部門のソフトウェアにあることが理解できれば、次に来ることは、ソフト分野の人材引き抜きだということがわかる。
これは、会社が傾いた時点で、優秀な人材はヘッドハントにあうことと同じだ。
逆に言えば、アメリカの立場で考えれば、この人材をつなぎとめる事に成功すれば、間接的な世界の支配は可能だということだ。
つまり、コストのかかる軍隊や艦隊をリストラし、情報部門と核部門のみを押さえるという行き方、経営学でいうところの「コアコンピタンスへの選択と集中」という戦略だ。

リストラされる標的は金食い虫の空母機動部隊や陸軍だろう。

米軍再編はこのような文脈で理解すべきであり、平たく言えば、本社は研究開発に特化し、現業部門は分社化し、子会社化する、あるいはアウトソースするということだ。これこそが、アメリカの衰退管理であり、ソフトランディング戦略の根幹だ。

ここに、現業部門である、空母機動部隊を日本がリースするという点で日米の利害の一致があることになる。
かって、冷戦時代、ソ連がバックファイヤを運用しだした頃、アメリカは米空母を守るためイージス艦を日本に運用させたのと同じだ。
その際も肝心のレーダーのソフト部分は当然非公開にした上でだが。

極論すれば、アメリカはエシュロンや情報衛星によるインテリジェンスと戦略原潜による核抑止力以外、全ての軍隊を同盟国に運用させたいととすら考えている。
これが、今後の日米関係の基本的な姿であり、日本が向き合わなければならない現実であり、防衛省発足もこのような文脈で理解すべきだ。

簡単に言えば、「情報と核による世界の間接支配」こそが、アメリカのとりうる唯一の戦略であり、そのためには、最高のソフトウェア人材を確保する必要があるということ。

このような視点でイラク戦争を考えると、ネオコン追放後、明らかにゲーツやネグロポンテに代表される情報戦略のプロが国家運営の表舞台に帰ってきたように感じている。
六カ国協議による中朝離間やイランのアメリカ陣営への寝返り調略等、どちらも、成功すると私は見ている。

逆に言えば、アメリカには、大規模な陸軍の派兵は財政的な理由でそもそも不可能なのだ。
結果としてCIAに代表される「情報力による支配」すなわち、調略や謀略しか、とり得る戦略はなくなっている。

これに失敗したら、最後には核しか切り札が残されていない。

その最後のカードを使う状況にならない事を、強く願う。
アメリカの核は未臨界核実験を繰り返し、精度を保っている。
この点が、核実験を長らくおこなっていない中国やロシアと異なっている。

つまり、アメリカの核と中ロの核は真剣と竹光ぐらいの違いがある。
真剣を抜かせてはいけない。

以上
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コメント
この記事へのコメント
三輪様

コメントをエントリーに格上げいただき、ありがとうございます。

唯一アメリカだけが、全世界を一瞬にして確実に破壊できる力をもっており、「ゴルディアスの結び目」を両断できるという事を忘れてはいけないという気持ちで書きました。
イランや北の調略に失敗したら間違いなくそうなります。そうさせてはいけないのです。CIAも最後に仕事をしてくれるでしょう。
2007/03/25(日) 22:28 | URL | 孔明 #-[ 編集]
三輪さんはひょっとして外山恒一さんに通じる何かをお持ちですね。それは何だろう?
外山さんの演説を観て三輪さんをそく連想しました。
今後も引き続き情報発信がんばって下さい。応援しております。
ところで麻生さんは何年前に総理大臣を務めておりましたでしょうか?
がんばってください。
2007/03/26(月) 02:17 | URL | hoge2 #-[ 編集]
俄媒体抖出重磅炸弹
http://www.peacehall.com/news/gb/army/2007/03/200703251956.shtml
【概要】米国は現地時間の4月6日未明にイランに対する「外科手術的攻撃」を開始することを決定した模様とロシアのマスコミが相次いで報道。その理由は西側社会が復活祭の前夜であり、金曜日でイスラム教徒が仕事を休みだからというもの。ロシア情報筋が入手した米軍の作戦計画によれば、攻撃は6日の朝4時から夕方4時までの12時間連続して行われる。これによってイラン国内の20か所の核施設と、ペルシャ湾のイラン海軍艦艇、イラン軍の指揮通信施設を粉砕する。アメリカ側の考えでは、イランの軍隊は現場に権限が与えられておらず、ロシアのように上級司令部に権限が集中しているため、指揮中枢を破壊することによって、末端の部隊は無力化できるとのこと。
2007/03/26(月) 13:20 | URL | 博讯 #mQop/nM.[ 編集]
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2007/03/26(月) 22:49 | | #[ 編集]
世界史に見られるランドパワーとシーパワーの戦略号外
                          
                               江田島孔明
孫子始計篇 兵は詭道なり

孫子は戦争に正々堂々という言葉ほど似合わないものはないと断言している。曰く、戦争はだましあいだと。相手をだますためにも、実力は決して見せない、欲しくてもいらないという。利益で相手をおびき寄せ、驚かせて掠め取り、強い敵からは逃げ、挑発して心を乱し、下手にでて油断させ、仲のいい者同士を仲たがいさせよといっている。しかも、相手の欠点を攻め、不意をつけとも断じている。一般的にいってひどい奴だと思うだろう。しかし、こうしなければ戦いには勝てないと孫子は断言している。

今回は、私が、「アメリカによるイラン攻撃が無い」と判断した理由を述べたい。「兵は詭道なり」と述べたように、虚虚実実の情報操作が激しく、それに引っかかっている手合いが多数見られる。

このまま日本のインテリジェンスが世界の笑いものになることは承服できないので、「空爆必至」論者は以下を読んで、少し、冷静に考えてもらいたい。

なお、私は、誰かの代理人という事は決してなく、完全独立無報酬で、ただ日本国民の平和と世界の安定を願って、情報分析を客観的かつ独立の立場で行っている事を理解していただきたい。

 まず、空爆が無いと判断する理由の最も大きいものは、イラン攻撃に踏み切るには、現在ペルシャ湾に展開し、軍事演習を行っている空母二隻を核にした二つのストライク・グループでは、兵力不足だということだ。

参考までに、湾岸戦争における、航空兵力についてのコラムを掲載しよう。湾岸戦争では、1200機もの航空機をサウジに集結させた。

空母搭載の攻撃機はせいぜい40機くらいだから、二隻で80機ほどの戦力では、イラクより、国土がはるかに広く、人口も多いイランを攻撃するのに、いかにも、不足だ。

<参考>
------------引用--------------
http://www.masdf.com/eagle/usaf.html
航空戦力に限ればイギリスのトーネードやジャギュア、バッカニア、米海軍の空母艦隊、米空軍のF-16Cファイティングファルコンそして初期作戦能力獲得から1年半程度であった最新のF-15Eストライクイーグル、F-111アードバーク、F-117ナイトホーク等が続いて展開し、その他早期警戒機や偵察機、給油機などを合わせると1,200機以上が1ヶ月のうちにサウジアラビアに終結した。
同時に航空機以外の実働部隊や兵站維持のため航空・海上輸送が行われていたが、ここではイーグルの範疇外なので軽く触れるにとどめるが「航空機や輸送船の上を歩いて大西洋を渡れる」と形容されるほどの史上最大規模の輸送作戦であった。
3ヵ月後の11月29日には国際連合において翌91年1月15日をクウェートからイラク軍の撤退期限とした武力行使容認を決議(安保理決議678)。「湾岸戦争」への道は着々と進みつつあった。
こうしたサウジアラビアへの兵站の確保・部隊の配備を砂漠の盾作戦と呼称していた。砂漠の盾期間を通じアメリカ、及びサウジアラビアのF-15は24時間絶えず戦闘空中哨戒を行い、サウジアラビア領空の防衛に当たっていた。
------------引用--------------
 次に、イランは、中東有数のミサイルと陸軍を誇る軍事大国であることを理解する必要がある。
アメリカがイランを攻撃すれば、イランは間違いなくイラク駐留米軍とイスラエルを攻撃するであろう。イラクはシーア派が政権をとっていることもあり、イラン攻撃は、イラクの米軍と、シーア派住民との全面戦争に繋がる可能性もある。このような事態に、疲弊した米陸軍は耐えられるのであろうか。
イランはイラン-イラク戦争を8年戦った際にも、国民はよく団結し士気も高く、戦死を名誉と考える文化を持っており、宗教指導者がファトハを発出し、「聖戦」を宣言すれば、空爆だけで屈服させることは絶対に不可能だ。
イランが原油決済の通貨をドルからユーロに変更しだしたことを空爆の根拠にする主張もあるが、果たして、この動きは空爆で変えることができるのだろうか。全土の軍事占領から傀儡政権を樹立しないと、この動きは、阻止できないだろう。原油決済通貨のユーロ化を進めていけば、ドルが減っていき、今度は、海外からの購入において、不利を招くという事もある。
米陸軍をテヘランに侵攻させる事は、兵力不足とテヘランが内陸部にあることから事実上不可能と考えられるので、空爆の効果に疑問がある上に、空爆は、泥沼のシーア派とアメリカの全面戦争に繋がり、全アラブとアメリカの関係すら決定的に悪化させかねない危険性をもっている。
 重要な点として、サウジアラビアの動向がある。サウジがパレスチナ問題解決による中東和平仲介の意思を表明し、イラン大統領を招いてイランとの直接対話を行おうとしている以上、サウジの面子をつぶすシーア派とアメリカの全面戦争を起こすとは考えにくいこと。もしそうなったら、サウジの反米化という、最も忌まわしいシナリオを考える必要に迫られるであろう。
次に、アメリカの世論と政策転換がある。昨年の中間選挙で共和党が惨敗し、ネオコン路線が否定され、アメリカはイラクの出口戦略を模索するようになった。上下両院での撤退決議はその象徴だが、世論と議会の意思を無視し、戦線拡大ができるのか、非常に疑問だ。
<参考>
------------引用--------------
http://www.cnn.co.jp/usa/CNN200703280003.html
米上院がイラク撤退法案可決、来年3月末期限
2007.03.28
Web posted at: 11:19 JST
- CNN/AP/REUTERS
ワシントン──民主党が過半数を占める米上院本会議は27日、イラクやアフガニスタンの戦費を支出する代わりに、来年3月末を目標にイラク駐留米軍の撤退を完了することを盛り込んだ法案を、50対48の賛成多数で可決した。共和党は期限設定を阻止しようと試みたが、同党議員2人と民主党議員らが法案修正に反対した。ブッシュ米大統領はただちに拒否権発動の姿勢を強め、米議会との溝は一層深まっている。
下院は23日、イラク撤退期限を来年8月末とした法案を可決したばかり。上院も同様の法案可決で、ブッシュ政権のイラク政策に対するこれまでで最も厳しい異議を突きつけた形だ。ジャック・リード上院議員(民主党、ロードアイランド)は「下院の行動を一層強めたメッセージを送り、米国民の間で圧倒的な心情を反映した。米大統領とイラク政府が耳を傾けるべきメッセージだ」とコメントし、困難を極めるイラク政策の打開策を見つけるべき時期が来たとの考えを示した。
一方、大統領選出馬の意向を表明しているジョン・マケイン上院議員(共和党、アリゾナ)は、イラク撤退期限を設定した場合、イラクをはじめ各地のテロリストを勢いづかせる結果を招くと指摘。昨年の中間選挙で独立系候補として当選したジョセフ・リーバーマン上院議員(民主党、コネティカット)も、「勝利を脱して窮地をつかむ」事態を招くとして、期限設定に慎重姿勢を示した。
ホワイトハウスは採決の数時間前に声明を発表し、ブッシュ大統領が上院の法案可決の動きに失望していると述べ、拒否権行使の可能性をあらためて警告。撤退期限の設定はイラク政策の失敗につながると主張し、「イラクの自由化と民主化を重大なリスクにさらし、敵の追い風となり、イラク経済開発を骨抜きにする」と述べた。ホワイトハウスは採決後にも、拒否権行使の意向を示す声明を発表した。
------------引用--------------
 ネオコン退場後の米政権はゲーツやネグロポンテのような情報組織の「プロ」が戻ってきている。ネオコンが失敗した国連安保理での決議を纏め上げ、イラン包囲網を構築することに成功したように、竹中半兵衛や黒田官兵衛のような城攻めの名手が、孫子の言う下策中の下策である、「直接攻撃」をとることは考えられない。
 イランは中国に対する原油輸出国であり、イランとアメリカの戦争がホルムズ海峡封鎖やイランの原油禁輸に繋がる可能性を持つ以上、中国がイラン攻撃に賛成するとは考えられない。
 このように、戦略的かつ常識的に考えると、アメリカがイランを攻撃する理由はほとんどない事がわかる。
唯一、イスラエルが、イランを破滅させることで自国の安全保障を図るというインセンティブを持っている。イスラエルの代理人であるネオコンはこの観点に立ち、イラク戦争からイラン戦争へと拡大させようとしているが、CIAと米軍が連携し、それに抵抗しているというのが真相だ。
つまり、イラン攻撃の有無は、アメリカのユダヤ支配に対するアングロサクソンのクーデターが成功するかどうかにかかっている。
そして、現在のところ、それは成功しつある。しかし、油断はできない。追い詰められたイスラエルが、新たなテロを画策する可能性もあり、今後、重点監視が必要だ。
イラン-イラク戦争から湾岸戦争、イラク戦争にいたる、中東での戦争は、全て、イスラエルが関与し、引き起こしたといって過言ではない。つまり、アラブ諸国が分裂し、内訌状態に陥る事が、唯一、イスラエルにとっての安全保障が達成できる環境なのだ。裏を返せば、アラブ諸国の一本化は必ず、イスラエルの不安定化に繋がる。つまり、イスラエルがあの位置にある限り、中東諸国は騒乱を仕掛けられるということだ。
現在喧しい、従軍慰安婦問題の根源も、中国とイスラエルの取引による、日米離間策と考えられる。イスラエルは、中国にとっての主要な原油輸入国であるイランへの攻撃黙認する代わりに、慰安婦問題を提起し、日米離間を仕掛ける密約を結んだのだ。こういう手合いにまともな対応は不要だ。私は、慰安婦を含むアジア諸国の「対日協力者」には全て、勲章と賞状と年金授与をするべきだと考えている。この案は、反日陣営を二つに割る効果をもたらす。戦後の日本のアジア外交は、これをやらなかったために、失敗したといっても過言ではない。
中東問題の根源的解決には、イスラエルのソフトランディングしかない。はっきりいうと、イスラエル在住のユダヤ人の他所への移住だ。
私は以前、ユダヤ人の北方領土への引き取り案を提案したことがあった。その点につき、下記、「国際情勢を分析・予測」ブログで論争したことがあるので、参照されたい。

<参考>
http://blog.goo.ne.jp/princeofwales1941/e/add72ac112823cf42761a607ea2c29a8
この案の論拠につき、説明したい。
ユダヤ人は、失われた十氏族が古代において来日したと本気で信じており、現在、イスラエルから調査隊が来日中という。これは、イスラエルから日本への移住の先遣隊ではないか?ユダヤ人は欧州のいずれかの国が引き取るべきだという意見もある。

私に言わせれば、そのような見解はユダヤ人を理解しない妄言だ。なぜ、彼らがパレスチナに建国したのか。それは、パレスチナが旧約聖書に記載された、彼らの領土であるというのが、その正当性の根拠だからだ。欧州にはそれがない。そして、失われた十氏族が、下記ブログの示すように、インド洋から黒潮を経由し海の道を通じ日本に来たことがはっきりすれば、日本こそが、実はユダヤの直系で本家ということになり、パレスチナはむしろ、分家ということになり、彼らが、パレスチナの地に拘る理由もなくなるのだ。

これは、ユダヤ人が旧約聖書を聖典としている聖書の民であることからくる論理的帰結だ。

考えてみれば、縄文時代より、ユーラシアのあらゆる文明を受け入れて、日本化してきた、「受容能力」に優れた日本文明こそが、世界のあらゆる闘争を止揚し、「フォースにバランスをもたらす」事を宿命付けられているとすれば、真の中東和平と世界平和の使命を果たすのは、我々の文明であると確信している。アインシュタインの言葉もこの文脈で考えるべきだ。
<参考>
------------引用--------------
http://blog.goo.ne.jp/n_ishii517/c/9a6972d15992102c116aa933e277949b
倭国への道
大陸からの倭国への道で最も有名な道は、魏志倭人伝に書かれた「朝鮮~対馬~壱岐島~末慮国(まつろくに・今の唐津あたり)」であろう。
これまでにこの海の道については何度か書いてきた。昨年の10/9付けブログ「古代海路と越前クラゲ」、同6/25付けで「海の道、高句羅~越の国」などで述べてきた。要約すると、倭国への道は大きく分類して三つの道がある。その一つが黒潮に乗って倭国へ辿り着くルート、これは幅広く西は九州西海岸から四国、遠くは関東までに及ぶ。次が大陸からの道として朝鮮半島からの魏志倭人伝コースであり、次が新羅や高句羅から親潮に乗って山陰地方から越の国に至るコースである。そしてこれらの三つのルートがそのまま古代倭国の三つの王朝に関わったのではないかと言うのが私の仮説である。今一度少し具体的に書くと、黒潮ルートが天孫族、親潮ルートのうち新羅からが出雲王国、高句羅からが越の国をそれぞれ造ったと考えている。そして黒潮コースで九州に邪馬台国を造った天孫族が、後に魏志倭人伝コースを使って百済との関係を密にしていったのではと想像している。前回のブログでも「イスラエルの失われた支族の有る一族は、黒潮に乗って倭国に辿り着き・・・・・」と言う話をした。
私のこの仮説を裏付ける著書が、既に発行されていたことを最近知った。それは岩田明氏が学研社から発行している「消えたシュメール王朝と、古代日本の謎」と題した著書である。初版の発行が2004年3月20日と、まだホヤホヤの本である。著者の岩田氏は某大手海運会社の航海士として世界中を回った折に、アラビアからインド洋を経て日本に至る航路の港に立ち寄った時、港で出会った風俗習慣の中に、日本のそれと酷似している物が多い事に気がついた。中近東の文化が陸のシルクロードだけでなく、この海のシルクロードを経て古代日本に伝わったのではないかと言う思いに取り付かれたことが、この本の出版になったとしている。その思いを航海士としての経験と知識を総動員し、更に氏の巾広い人脈を使い、大英博物館やルーブル博物館の資料を基に、紀元前のシュメール人が乗っていた葦の舟を見事に復元する事に成功したのだ。そして航海士である氏がその舟を自ら操って、インド洋を経て日本までの苦難の航海を実践し、古代船による中近東から倭国への海のシルクロードの航海が可能であったと言う仮説を、見事に証明したのだ。
本の内容は後半がこの航海日誌で占められているが、前半は「シュメール王朝が、海のシルクロードを使いインド洋から太平洋に出て、黒潮に乗って倭国へ辿り着き、天孫族となって大和王朝を築いた」と言う説を展開している。更に素戔鳴尊を取り上げ、この神は朝鮮半島経由で倭国に入り、出雲の国を造ったとしている。
どうだろう。私の仮説と違うのはイスラエル人がシュメール人になっている事だけだ。シュメール人とはチグリス川とユーフラテス川の河口に、紀元前5000年・今から7000年前に(エジプトより2000年古い)、人類最初の文明を築いた民族で、楔形文字の発明で有名である。しかし紀元前2000年にシュメール文明は、この地上から忽然と姿を消した。それからおよそ800年後、今のイスラエルの地にヘブライ王国が建設された。ヘブライ王国を作ったイスラエルの民はユーフラテス川の上流からエジプトに渡り、その後イスラエルの約束の地にヘブライ王国を造った事を考えると、忽然と消えたシュメール人と何らかの繋がりがあっても不思議ではない。イスラエルの人々が高貴な人をスメラ(シュメールが変化した?)と言い、スメラミコト=天皇となったと言う話が妙に引っかかる。
ここではシュメール人とイスラエル人との関係は、想像の域を出ないのでこのくらいにしたい。
古代舟による中近東から倭国への民族の大移動は可能であったと言う、岩田氏の実験航海の成果を基にすれば、古代船がメソポタミアからインド洋を経て苦しい航海の末太平洋に出た後、黒潮に乗って北上し季節風の関係で九州を通り過ぎ、漸く四国の淡路島に辿り着いた可能性は十分に考えられる。
淡路島への上陸を前にして、古代船の船首にはイザヤの子を名乗るイザナギ(伊邪那岐命)が立っている。そして倭国侵略に思いをはせる‘命’の姿が目に見えるようだ。
               石井 昇 著
------------引用--------------
以上
2007/03/28(水) 20:38 | URL | 孔明 #-[ 編集]
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