独立独歩。私は私。誰かに頼るつもりナッシング。それで良し。
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コメント欄に書いておくのはもったいないので、エントリーとして転載致します。(最近コメントが流れるの早いですしね。)

世界史に見られるランドパワーとシーパワーの戦略VOL145 江田島孔明

孫子火攻篇口語訳

そもそも戦闘に勝利を収め、攻撃して戦果を獲得したにもかかわらず、それがもたらす戦略的成功を追求しないでだらだら戦争を続けるのは、国家の前途に対して不吉な行為である。これを、国力を浪費しながら外地でぐずぐずしている、と名付ける。

そこで、先を見通す君主は、すみやかな戦争の勝利と終結を熟慮する。
国を利する将軍は、戦争を勝利の中に短期決着させる戦略的成功を追求する。
 利益にならなければ、軍事行動を起こさない。
 勝利を獲得できなければ、軍事力を使用しない。
 危険が迫らなければ、戦闘しない。
 君主は、一時の怒りの感情から軍を興して戦争を始めてはならない。
 将軍は、一時の憤激に駆られて戦闘してはならない。


 国家の利益に合えば軍事力を使用する。国家の利益に合致しなければ軍事力の行使を思いとどまる。
 怒りの感情はやがて和らいで、また楽しみ喜ぶ心境に戻れる。憤激の情もいつしか消えて、再び快い心境に戻れる。

 しかし、軽はずみに戦争を始めて敗北すれば、滅んでしまった国家は決して再興できず、死んでいった者たちも二度と生き返らせることはできない。
 だから、先見の明を備える君主は、軽々しく戦争を起こさぬよう、慎重な態度で臨む。

 国家を利する将軍は、軽率に軍を戦闘に突入させないように自戒する。

 これこそが、国家を安泰にし、軍隊を保全する方法なのである。

******

以下後編に続きます。

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今回は、イラク戦争の出口戦略とイランの関係を検討してみたい。この点について、イラン大統領の国連安保理出席で水面下のアメリカとの折衝がもたれるだろう。孫子も火攻篇で、戦争の終結の重要性を説いている。戦争は始めるより、終わらせる方が難しい。このシナリオを検討してみる。
<参考>

------------引用--------------

http://www.cnn.co.jp/world/CNN200703170003.html
米国、査証発給の方針 イラン大統領の安保理出席、演説
2007.03.17Web posted at: 15:05 JST- CNN/AP
国連本部――イランの核開発問題で、国連安全保障理事会が新たな制裁決議案を採決する際、イランのアフマディネジャド大統領が出席し演説することを正式要請した問題で、米国務省のマコーマック報道官は16日、大統領への査証(ビザ)発給に応じる考えを明らかにした。
国連筋によると、イラン側が申請したのは計38人の査証で、モッタキ外相らが含まれる。安保理議長のクマロ国連大使(南アフリカ)は、イラン大統領の演説について、理事国から反対はなく、実現するだろうとの見通しを示した。

採決の時期は不明だが、来週中との見方が強まっている。拒否権を持つ常任理事国が既に決議案で意見一致しており、採択は確実視されている。
追加制裁は、昨年末の安保理決議が定めたウラン濃縮活動停止の期限をイラン側が無視したことを受けたもので、金融制裁の対象として、イラン革命防衛隊や国営セパ銀行の傘下企業名などを新たに明記。イランからの通常兵器輸出を全面的に禁止する一方、各国に同国への大型武器輸出の自粛と、新規援助や融資の停止を求めている。

イランには引き続きウラン濃縮停止を求め、イラン側が60日以内に応じない場合は、さらに追加措置を検討するとしている。アフマディネジャド大統領は、制裁決議案を「破れた紙切れにすぎない」と評している。

------------引用--------------

私は、イランとアメリカの直接対話による相互理解は可能と考えている。なぜなら、相互に、相手が必要としているものを持っているからだ。つまり、イランは、アメリカのイラク統治と米軍撤退への協力、さらに、アメリカはイランに対する経済支援だ。この双方をバーターし、イラクを東西分割し、チグリス・ユーフラテスを自然の国境にすることが、最も自然な中東再編シナリオであり、落としどころと考えられる。
この点を、歴史に鑑みて検討してみたい。まず、アメリカはイラク占領の泥沼化を解消し、一刻も早く治安を安定させ、米軍を撤退させたい。この状況は、まさに、ベトナム戦争末期と全く同じだ。

1971年 7月、ヘンリー・キッシンジャー米大統領補佐官が訪中し、翌年にニクソン米大統領が中国を訪問することになったと発表された。米国は「中国封じ込め政策を」を放棄したのだ。ベトナム戦争の泥沼にはまり込んでいた米国は、北ベトナムと和平協定を結んでベトナムから撤兵するために、中国の協力を必要としたのである。これに、毛沢東は応えることで、米国に恩を売ったのだ。

これが、後の中国の国連常任理事国就任に繋がる。1971年秋の国連総会で中国が国連に加盟し、常任理事国となり、台湾は国連から追放された。そして、72年米中国交回復に繋がる。

全てはベトナム戦争の処理における、米中の協力関係が基礎にあったのだ。

同じような例は日本史にもある。戦国時代、中国一の大大名となった毛利氏に対して、織田信長配下の秀吉により、天正五年(1577年)から毛利攻めが始まった。

 ところがその信長は、天正十年(1582年)六月二日の未明、家臣の明智光秀の離反、そして襲撃によって本能寺で討ち死した。

  この時、羽柴秀吉は、毛利方の清水宗治が篭る備中高松城を攻め、水攻めという奇策によって城を陥落寸前にまで追い詰めていたが、毛利方も援軍として輝元を総大将に元春、隆景も出陣しており、秀吉軍と睨み合いが続くといった状況だった。そこにもたらされたのが信長討ち死の悲報だった。 

  秀吉は、直ちに上方に戻り光秀と戦うことを決断し、毛利方との和議交渉に入った。この時、毛利方で交渉の席についたのは、隆景と毛利の外交僧であった安国寺恵瓊だった。安国寺恵瓊はかつて、

 「信長之代、五年、三年者可被持候。明年辺者公家などに可被候かと、見及申候。左候て後、高ころびに、あおのけに、ころばれ候ずると、見え申候。藤吉郎さりとてはの者にて候」
 (簡単に訳すと、信長の時代はあと3年か5年は続き、来年あたりには公家にでもなってしまうかもしれない。ところが、その後高転びに転んでしまうのではないか。藤吉郎(当時の秀吉の呼び名)はなかなかの者である。という意味。)

 と予言していることから秀吉の将来を有望視しており、また隆景も自軍の疲弊が著しいことから和睦することを望んでいた。

 この結果、秀吉は清水宗治の切腹を条件に毛利方と和議を結ぶことに成功し、世に言う「中国大返し」と言われる早さで居城の姫路に戻った。

 「川角太閤記」には、その後都での変事を知った毛利方、とりわけ主戦派の元春は秀吉軍追撃を強硬に主張したが、隆景がこれを制したという話が記されている。その後、隆景は豊臣家五大老の一人に任じられる。
 
 いかがであろうか、毛沢東と小早川隆景の判断には共通点がある。それは、当時の権力者が誰かを正確に認識し、そいつが困っている時に、あえて敵対せず、協力する事で恩を売るという事だ。

これが、それぞれ、常任理事国、五大老への就任へ繋がっていくのだ。このような戦略が可能になるのは、その前提として、「徹底的に対立」し、ギリギリの交渉を行う必要があるという事だ。毛沢東も小早川隆景も、そのようしている。 

すなわち、直前まで、「戦争を辞さず」という姿勢を徹底的に貫くことにより、ギリギリの交渉から、妥協の余地が生まれるということだ。逆に言えば、そのような「徹底的な対立」がない限り、このような急転直下の妥協は許されない。毛沢東も、小早川隆景も、アメリカや秀吉と「徹底的に対抗」していたからこそ、このような講和が結べたということだ。

 では、現在のイランはどうか。アフマデネジャドは、まさしく、毛沢東や小早川隆景と同じ立場にある。すなわち、西欧と「徹底的に対抗」する姿勢を堅持し続けたからこそ、国内のイスラム原理主義に代表される保守派や主戦派を納得させ、妥協させることができるのだ。

 イスラエルにおいても、オスロ和平合意を結んだのはイツハク・ラビンという参謀総長経験の歴戦の勇者だ。

 ここから、真の和平合意は、徹底的な対立の後に生まれるという事が分かる。
イラン国内は、経済制裁による経済疲弊により、アフマデネジャドの支持率も急落している。昨年12月の地方選挙で、アハマディネジャド大統領派は各地で大幅に議席を失いつつあり、大統領の勢力衰退を示している。
地方評議会選挙では特に重要といわれているテヘラン市会議員の選挙では15議席中14議席をもっていた大統領派はなんと4議席しか保持できなかった。これでアハマディネジャドは終わりだというわけではないが、彼の勢力が極度に衰退したことは確かである。
反対に、中東で親米国は、国際金融資本に優遇され、平和と繁栄を約束され、テロとも一切無縁で爆発的な好景気に沸きに沸いている。
例えば、UAEは1人あたりGDPで既に日本を大幅に超え、 全世界の一流企業がドバイに続々と集結している。 香港やシンガポールを凌ぐシーパワーの拠点と化しつつある。

イラン革命後、イランが反米姿勢をとるにつれ、敵の敵は味方の論理で、ロシアと組んでいたに過ぎない。そして、結果として、イランは産油国ながら、経済は疲弊した。この点をイラン民衆に理解させるプロパガンダを張れば、イラン政府を親米に転じさせる事は容易だろう。経済の観点から、イラン民衆はイスラム原理主義政権を恨んでいるのだ。これが、低支持率の背景。

この状況で、起死回生の一打があるとすれば、アメリカとイランの国交回復しかない。

まさに、毛沢東が仕掛けた米中国交回復と、全く同じ戦略状況なのだ。機は熟したといえようか。

 イラン大統領は、国連安保理出席によって、果たして、毛沢東や小早川隆景のような、「アメリカ幕府の五大老」になれるだろうか。

イラン戦争を回避させようとするもうひとつの勢力は北京政府だ。なぜなら、イラン戦争が実際に起きると、ペルシャ湾の米空母とカタールの米空軍基によるホルムズ海峡の封鎖が現実のものとなり、結果として、原油備蓄がない北京は耐えられない。

つまり、イラン戦争で漁夫の利を得るのは、VOL143、144で見たように、ロシアとイスラエルなのだ。

この両国を抑えることができれば、イラン戦争を回避できる。そして、アメリカ政府がネオコンを切った以上、イスラエルは押さえられそうだ。次は、ロシアだ。日本では、あまり認識されていないが、イランとロシアは不倶戴天の敵国同士であった。そして、パーレビ王朝下で、イランはアメリカの同盟国であり、経済も発展していた。

ロシア政府がここへきてイランに対する原発協力の見直しを検討している。ロシアは95年以降、イランとの間でブシェールにある100万㌔㍗級の軽水炉建設を支援してきた。対イラン制裁決議に及び腰であったのも、それが大きなイラン利権となっていたからだ。

だが、ブシェール原発は07年9月に稼働開始をめざしており、来年3月には同原発用の濃縮ウランをロシアが供給する計画となっていた。新聞報道によれば、これを「3月の燃料供給は見送り、イラン政府の安保理決議に対する対応を見定めてから決める」としているという。核技術はいったん、所有されてしまえば容易には放棄されないのが核をめぐる歴史の教訓だ。

イランが本当に核保有国になってしまえば、毛沢東がソ連の援助による核保有後、ソ連の軍事顧問を全て追い返し、ソ連傘下から独立し、アメリカ陣営に寝返ったように、イランをコントロールできなくなる可能性がある。現在の北朝鮮がそうであるように。

この事を、地政学の用語では、「核は国家に主権を与える」という。そのようなリスクを犯してまで、ロシアがイランの核保有を認め、対米戦争へと駆り立てるであろうか。ランドパワー同士の連携とは常に同床異夢であり、ちょっとしたパワーバランスの変化により、崩壊するという歴史的教訓もある。つまり、イランの地政学的立場は、ロシアとアメリカの狭間で、北朝鮮に近いものがある。

現在、NATOは、グルジアを使って、ロシア包囲網を狭め、カフカスを支配しようとしている。グルジアの大統領は、来日し、イラクへの増派を申しであるなど、親米姿勢を明確にしている。

この事がボディーブローとなって、ロシアを軟化させる可能性は十分ある。

<参考>
------------引用--------------

日々是勉強
http://blog.goo.ne.jp/roro_football-lover/e/bf2803e4fcfd8e89988152bd3accdab9


ロシア、ついに牙を剥く!!

------------引用--------------

<参考>
------------引用--------------

http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20070312AT2M1202612032007.html

グルジア紛争地域でロシア軍がヘリ攻撃か
 【モスクワ=古川英治】グルジア内務省は12日、同国領内で親ロシア勢力が実効支配するアブハジア自治共和国との境界地域が11日夜、攻撃を受けたと発表した。現地メディアはロシア軍ヘリコプターによる攻撃と報道。ロシア側は否定している。アブハジアにはロシア軍が駐留を続けており、撤退を求めるグルジア側と対立が深まっている。両国関係の緊張が高まる可能性がある。

 現地での報道によると、アブハジアとの境界にあたるコドリ渓谷の複数の村落がヘリコプター2機とアブハジア側からのロケット弾による攻撃を受けた。テレビは倒壊した建物などの映像を流した。死傷者はいないという。グルジアのサーカシビリ大統領は12日、訪問先のカザフスタンから急きょ帰国し、調査を命じた。

 サーカシビリ政権は北大西洋条約機構(NATO)への加盟を掲げ、ロシアと関係が悪化。ロシアは昨年、両国を結ぶ交通網を遮断、ワインなど輸入禁止措置などで圧力を加えている。(23:54)

------------引用--------------
<参考>
------------引用--------------

http://www.kaho.biz/qajar.html

     イラン・ロシア戦争

 イランでカージャール朝が成立した1796年と言えば、ヨーロッパではちょうどナポレオンが台頭する時期である。ナポレオンは98年に海路エジプトに遠征し、そこからさらにインドをうかがっていた。1800年、ナポレオンの野望を阻止すべくイギリス(インドの支配者)がカージャール朝へと使節団を送り込んできた。それを迎えた時の君主ファト・アリー・シャーは軍需物資の供給と引き換えに領内のフランス人の追放を約束した。

 その頃のカージャール朝に対しては、地理的にすぐ近くにあるロシアからの圧力が強くなってきていた。両国の間にあるグルジア王国はキリスト教(東方正教会)の国であって南東からのカージャール朝(イスラム教)の圧力に苦しんでおり、1800年には同じ宗教のロシア皇帝に主権を移譲するという手段に出ていた。このグルジア等の領有をめぐり、カージャール朝は1804年からロシアとの戦争を開始した。これが13年まで続く「第一次イラン・ロシア戦争」である。当然イギリスに援助が求められたが、その時点ではエジプトのフランス軍が降伏していたことから、イギリスとしてはロシアと交戦してまでカージャール朝を助ける理由がなくなっていた。するとフランスの使節団がカージャールの宮廷にやってくる。その頃のフランスはロシアと交戦中であり、カージャール朝もまたロシアと交戦中であることから当然の動きである。ガルダン将軍の率いるフランスの軍事顧問団はカージャール軍に洋式の歩兵部隊の創設を試みたが、1807年にはフランスとロシアの講和条約が成立し、イギリスの外交攻勢が強まったこともあってフランス人は退去していった。

 しかし「第一次イラン・ロシア戦争」はまだ継続中である。カージャール朝の軍隊は……この戦争の時よりやや古い時代の資料によるが……騎兵は地方の遊牧部族の戦力に頼るもので、兵士たちは自分の部族の長のみに従い、歩兵は将校や地主が適当に徴募してきて満足な給料も与えないというものであった。装備は刀剣や弓矢、火器は概ね火縄銃であった。それでも戦争の前半はカージャール軍が優勢でロシア軍の南下を数次に渡って退けたが、12年のアスランドゥズの戦いはカージャール軍の敗北に終わり、翌13年の「ゴレスターン条約」にてグルジアやバクーを奪われたのであった。

 その条約締結の舞台裏は……ロシアは12年から再びフランスと交戦状態に入っていた(ナポレオンのロシア遠征のこと)のだが、そのフランスの最大のライバルであるイギリスがカージャール朝とロシアの和睦を仲介する(ロシアの負担を楽にしてやる)ことで間接的にフランスに打撃を与えようとしたのが大きく働いていた。
 しかしゴレスターン条約では帰属の不明瞭な地域が多く、両国間にて交渉が継続された。一方ではイギリスが14年カージャール朝との間に「テヘラン条約」を結び、イギリスが援助を与えるかわりにカージャール朝が他国と結んでいた条約を全て破棄するとした。

 ところでカージャール朝は官僚機構が非常に軽視されており、例えば外交については外務省があるにはあったが役人は大臣と数人の補佐・書記のみで、25年に先のゴレスターン条約の調印を行ったハージー・ミールザー・アボル・ハサン・ハーン・シラーズィーが外相に就任して外務省の機構充実が図られるという状態であった。そんなことをやってる間の26年、ロシア軍が動いて係争地帯を占領してしまった。

 こうして始まる「第二次イラン・ロシア戦争」も、最初はキリスト教徒に対するジハード(聖戦)という意識も手伝ったカージャール軍が優勢で前回の戦争の失地をほぼ回復した。26年にはカージャール朝の皇太子アッバース・ミールザーの率いる3万の軍勢でもってロシア軍を撃破しかけたが、しかし戦況判断の誤りから勝利を逃し、そのうちにカージャール軍の志気が緩んできた。司令官である皇太子アッバース・ミールザーと配下の将軍たちの仲が悪かったこと、装備面でロシア軍に劣っていたこと、兵士への給料支払いが滞って脱走が続出したこと……といった内情を掴んだロシア軍は強気の攻勢をかけて要地ダブリーズを占領、28年「トルコマンチャーイ条約」をカージャール朝に飲ませることに成功した。イギリスはロシアと事を構えてまでカージャール朝を助けようとはしなかった。ロシアはエリヴァーンやナフジャヴァーンを獲得し、カージャール朝はカスピ海に軍艦を持つことが禁止されてしまった。こうして現在の旧ソ連・イランの国境が画定された。

 カージャール朝はさらに賠償金支払い、関税自主権の喪失と国内のロシア人の治外法権を承認した。これがカージャール朝が半植民地化されていく本格的第一歩とされている。

------------引用--------------

 イランとの和平が達成され、イラク戦争が終結し、米軍が撤退した後のアメリカについて考えてみる。この点において、参考になるのは、ベトナム戦争後のアメリカ経済だろう。長期化したベトナム戦争と世界に展開したアメリカ軍の軍事費は巨額となり、アメリカの財政を圧迫していた。また、日本などの商品がアメリカに流入することよって、アメリカの対外貿易はつねに輸入超過であった。巨額の財政赤字と貿易赤字は「双子の赤字」と呼ばれて、アメリカ経済を圧迫していた。アメリカは軍事費の削減と外国製品の輸入削減を図らなければならなかった。これが、米中国交回復であり、ドルと金の交換停止であった。戦後世界を支えてきた「1ドル=360円」という固定相場制は、ドルの金兌換制によって成立してきたのであるが、これが崩壊したことによって、世界は変動相場制に移行することになった。日本においては、これは円=ドル交換比率の大幅な変化を生み出し、「円高」時代がはじまったのである。すなわち、ベトナム戦争の後遺症として、アメリカは世界の経済覇権を失ったのだ。

 イラク戦争の戦費負担もさることながら、米国住宅バブルが崩壊しつつある。世界経済は、新たな縮退期に入ったと考えざるを得ない。そして、それは、地政学上のパワーバランス変化の原因であると同時に、結果なのだ。すなわち、イラク戦争はベトナム戦争と同じ結果をもたらすということだ。イラン戦争が回避されたとしてもアメリカの覇権喪失、結果として、世界戦国化は避けられない。

私が兼ねてより予測していたドル暴落の日は近づいている。米軍のイラク撤退がその引き金になるであろう。

日本が自主的に安全保障政策を立案するために、環太平洋シーパワー連合を構築する日は、近づきつつある。その条件は、米国債棒引きと日本による第七艦隊租借だ。
つまり、米国債の担保は第七艦隊なのだ。

<参考>
------------引用--------------

http://www.business-i.jp/news/sou-page/news/200703150005a.nwc

同時株安再び 背景に米住宅ローン危機
再び世界を襲った同時株安-。その震源となったのは、米住宅ローン市場の崩壊だった。多くの低所得者層が返済不能に陥ったことで住宅ローン大手、ニュー・センチュリー・フィナンシャル(カリフォルニア州)が破綻(はたん)の危機に直面。米国経済のエンジンの一つだった住宅投資が一気に冷え込む様相を見せている。日米の株高を支えてきた米投資ファンドも痛手を負い、金融市場への影響が長期化する懸念もある。

 米主要メディアによると、ニュー・センチュリーは不良債権の急増で業績が悪化。バンク・オブ・アメリカ、シティグループ、ゴールドマン・サックス、モルガン・スタンレーなど8行から新規融資打ち切りを通告され、13日にはニューヨーク証券取引所がニュー・センチュリー株の上場廃止を決めた。近く連邦破産法11条の適用を申請するとの観測も浮上。不正の有無についてカリフォルニア州の連邦地方検事や証券取引委員会(SEC)などの調査を受けているとの報道もある。

 ニュー・センチュリーは「サブプライムローン」と呼ばれる高金利の住宅ローン専門会社で、一般の銀行が相手にしないヒスパニックなど低所得者を主要顧客に業容を拡大。所得証明やクレジットカード利用履歴なしで借りられる半面、金利は焦げ付きのリスクを上乗せされ、年12%を上回るローンもある。

 借り手は審査の際に大幅に水増しした所得を申告するため「ライアー(うそつき)ローン」とも呼ばれる。ただ、返済負担が大きくても、住宅価格が右肩上がりで推移していた局面では担保の住宅の資産価値が上がり、信用供与枠も拡大するため返済に困ることはなく、住宅ローン会社も黙認してきた。

 このローン債権はニュー・センチュリーなどが証券化し、銀行経由でヘッジファンドや年金基金などに販売。高い利回りが人気を集め、ニューヨーク・タイムズ紙によると米国債市場を上回る6兆5000億ドル(約760兆円)規模に達している。

 このように、米住宅市場は日本のバブル期と同じように、借り手、貸し手、投資家がそれぞれ住宅価格の将来の値上がりを当てにしたいびつな構図が続いていた。しかし、連邦準備制度理事会(FRB)が昨年半ばまで続けた利上げで返済負担が増したことに加え、住宅価格の低迷で返済不能に陥る利用者が続出。FRBをはじめとする金融当局5機関は今月2日、連名でサブプライムの融資基準を厳格化するよう求めていた。

 ポールソン財務長官は13日のテレビ番組で「サブプライムの焦げ付き問題はほぼ封じ込められている」と述べたが、米国経済への影響は楽観できない。

 焦げ付き増加は同社に限ったことではなく、同業他社や同分野に積極的だった英大手銀行HSBCなどが相次いで事業縮小や撤退方針を表明。ニュー・センチュリーの経営悪化を機に新規融資停止の動きが同業他社に広がり、住宅市場の伸びを支えてきた低所得者ローン市場は壊滅する見込みだ。

 同時に銀行がこれまで不良債権の処分を急ぎ、競売にかけられる担保物件が急増。住宅価格の下落が加速し、持ち家世帯を中心に個人消費を心理面から冷やすことが懸念されている。

 住宅ローン債権への投資で多額の損失を抱えた投資ファンドが米国だけでなく、海外で株式や債券投資を手控えれば、日本市場への影響も避けられなくなる。(佐藤健二)

                   ◇
【用語解説】サブプライムローン

 移民など低所得者向けに金利を高く設定したローンで、米国の他、英国でも急増している。債権の証券化を前提とする「サブプライムモーゲージ(Subprime Mortgage)」と一般融資形式の「サブプライムレンディング(Subprime Lending)」の2種類がある。専門会社は小口化したサブプライムモーゲージを他の債券などと組み合わせた投資信託のような運用商品にして銀行に転売。新たな融資の原資を調達している。焦げ付きが出た場合は買い戻す条件が付けられ、ニュー・センチュリーは、取引銀行から多額の買い戻しを求められている。
     
イランとの講和でイラク戦争の出口戦略が見えた場合、経済の視点からは、地政学バランスの変化がアメリカに不利に働くのは間違いない。

------------引用--------------                                                
以上

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コメント
この記事へのコメント
全ては地政学の道理
「隣接するランドパワー同士は対立する」

  結局、この原則が、発動したということですね。
  この原則は、東アジアにも適用できます。中国が「東北工程」で高句麗の歴史を自国のものとしたのは、朝鮮に対する挑発であり、キムジョンイルが核開発に至ったのは、中国を威嚇するためであったということになるわけですね。
  問題は、我が日本が地政学的見地から行動することができていないことです。これは、同じ太平洋のシーパワーであるアメリカに、覇権争いで敗れ、従属関係に陥ったことに起因します。
  これをどう打開するか・・・ここ何か月ずっと悩んでいます。私が悩んだところで何も変わらないのは明白なのですが、やはり自分の国の運命は気になります。
  やはり、ユダヤを受け容れて、英国と連携するという大転換が必要なのでしょうか。今の政治家の言動を見ていると、うまく行くような気がしてきません。
  
  最後に、拙ブログの紹介を頂きありがとうございます。
2007/03/19(月) 00:20 | URL | ろろ #-[ 編集]
ろろ様

コメントありがとうございます。
イラン戦争が回避されるかどうかは、人類の運命の分かれ道です。

イスラエルネットワークVS全世界のハルマゲドンが起きるかどうか、まさにそこにこそ、核心があります
2007/03/19(月) 22:09 | URL | 孔明 #-[ 編集]
こちらに移られていましたか!

引き続き孔明様の議論を拝見できるのはうれしい限りです。いつも楽しみにしています。

英国在住の身としてはシーパワー連合という考えは、しっくり来るものがあり、強く実現を望みます。
一方で海洋諸国は、低成長の衰退期に入りつつあるようにも感じます。

破竹の勢いで成長する大陸諸国を封じ込みきれるのでしょうか?
2007/03/21(水) 01:25 | URL | KK #-[ 編集]
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2007/03/21(水) 08:58 | | #[ 編集]
シーパワーの優位とは情報の優位、ソフトの優位です。そこが保たれている限り、ランドパワーに遅れをとることはないでしょう。英国もブレア退陣後は日英同盟に舵を切ることでしょう。
2007/03/21(水) 19:10 | URL | 孔明 #-[ 編集]
世界史に見られるランドパワーとシーパワーの戦略VOL146
                          
                               江田島孔明
平家物語
祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を現す
奢れる者は久しからず 只春の夜の夢の如し
猛き者も終には滅びぬ 偏に風の前の塵に同じ

イラン情勢は、英兵がイラン革命防衛隊に拿捕されたりして、プエブロ号事件のような形で、一進一退を繰り返しながら、虚虚実実の駆け引きモードに入っている。かなりの情報操作があると考えられるが、それらに引っかかってはいけない。私の分析は、個々の情報に振り回されるのではなく、歴史の流れに着目し、その流れを分析し、未来を見通すことを身上とする。
今回は、このような観点から、既に攻勢終末点を越えて、縮退期に入ったアメリカをどうやってソフトランディングさせるかという、現在の世界で最も重要な課題について、考えてみたい。ベトナム戦争以後の、「アメリカの衰退」というもの理解せずして、現在の国際情勢を読み解くことはできないからだ。
まず、文明や国家には栄枯盛衰がつきものだ。これは、個人や企業にとってもあてはまり、ライフサイクルに応じた戦略を描くことが必要なのは、同じだろう。
しかし、問題は、国家や文明については、たとえば、企業における倒産や個人における破産といった法的な解散や債務免除措置が準備されておらず、かつ、国家は武力を有することを常として、結果として、「平和裏かつ合法的な国家の解散や消滅」というのは、歴史上例がない。この点が国家と個人や企業の大きな違いだ。
私は、コラムの表題に「世界史に見られる」と銘打っていることで分かるように、分析の基盤を世界史の検討においている。戦略状況から類似のパターンを抽出し、「過去の例はどうだったか」を見ることが重要なのだ。現在のアメリカのおかれた状況について参考になるのは、ローマ帝国であろう。
ローマ帝国に先立つ共和政ローマ史には数多くの英雄譚がある。天才は出現しないが、あらゆる階層の人々がローマの為に献身的に行動するのである。が、ある意味ではそれは英雄がいっぱいいなければどうにもならなかった、という事でもある。英雄――それも知略的な英雄というよりは、精神的な英雄――がこれでもかこれでもかと輩出して、それでやっとローマは破滅を免れる、といった体である。

 しかし戦争がローマの破滅の原因だったのではない。寧ろ、戦争をしない事がローマの破滅の原因だった。ローマは常に戦争をしていなければならなかったのだ。うち続く強大な敵との戦い。それこそが、ローマを活性化し、ローマの政体を柔軟ならしめ、ローマ人にあらゆる富と名誉をもたらし、ローマの不断の成長を可能にしていた――長年にわたって。そう、ローマ人は、ローマ軍の兵士達は、500年以上もそうやってきたのである。

 それが不可能になったのは、外部に敵を求める事の困難さというよりは、内部の問題である。ローマが全体として裕福になり、また広大に、強力になった為、ローマの為に戦う事が自分達の為に戦う事だ、という意識は失われた。その代わりに台頭したのは、自分たちに恩恵を与えてくれる個々の指導者(政治家・将軍)という存在である。兵士達は、ローマの為でなく、個々の指導者との絆において戦い始めた。ここに至って共和政は、自らの成長を理由として終焉を迎えざるを得なくなる。それに終止符を打ったのはカエサルであり、新たな政治体制――帝政――を開始させたのは、オクタヴィアヌス=アウグストゥスであった。アウグストゥスは、ローマ全国民の最高指導者、ローマ全兵士の最高司令官となる事によって、ローマの分裂を回避する事に成功したのである(前27年)。

ギボンのローマ帝国衰亡史によると、アウグストゥス(Augustus Caesar, 紀元前62年9月23日 - 紀元14年8月19日ローマ帝国の初代皇帝)はローマの領土をライン川とドナウ川に内側に限るようにと戒めていたという。彼はローマの伝統であった対外拡張政策を止め、防衛体制の整備に努めた。
ローマの歴史上初めてとなる常備軍を作り、国境に沿って軍団を配置した。辺境で長い兵役を勤める彼らに報いるために、軍隊の退職金制度を始めた。北部国境は、当初エルベ川とドナウ川にするつもりだったが、紀元9年のトイトブルクの戦いでゲルマン人によって手痛い打撃を受けたためこれを諦め、結局ライン川を国境と定めた。つまり、ライン川とドナウ川の線の北側は、支配する果実より防衛コストが嵩み、割に合わないことを知っていたのだ。この防衛線をリーメスで繋ぎ、その内側で、その後1世紀に渡りローマは繁栄を享受する。
 リーメスとは、紀元1世紀末にローマ皇帝ドミチアヌス帝が築造を始めた長城遺跡で、東はドナウ河畔のレーゲンスブルグ上流から、西はライン河畔のコブレンツまでの全長584キロにも及ぶ長大なものである。「ヨーロッパの万里の長城」ともいえるこの国境防衛施設は、五賢帝のトラヤヌス帝とハドリアヌス帝の時代にさらに強化され、160年ごろアントニヌス・ピウス帝の時代に完成した。 現在では、ロマンチック街道沿いにある街ディンケルスヴュールの東南7キロの一帯に、結構保存状態がよく残っている。

 もともとリーメスの建設の動機は、紀元9年のトイトブルグの森の戦いで、ローマ軍がゲルマン人に大敗したことによる。この戦いでウァールスを司令官とするローマ帝国軍第17、18、19の3軍団が、アルミニウスに率いられるゲルマン人に全滅させられた。この敗北はローマ帝国最初の大敗北であり、以後のローマ帝国の軍団番号でそれらの番号が欠番になったという逸話さえ残っている。

 アウグストゥスは軍制をまとめ、これまでの様に拡大を主とするのではなく、守勢を主とする選択肢を選んだ。実際の所、もはやこれ以上拡大を目指すのは、現実的ではなかったであろう。しかしローマ帝国の国境を維持するのでさえ、外敵は強く、その広大さから膨大な軍事力が必要だった。兵士達は、これ以後もローマの支柱であり続ける。軍隊なくしてローマはあり得なかった。

 ところがこの事がローマ帝国にとって不幸な結びつきとなった。共和政ローマでは不断の戦争と拡大という目標が、兵士達と国家の利害・理念を一致させていた。しかし、帝政ローマでは、それが一致しなくなる。ローマ帝国は寧ろ平和を欲しているのだから、軍隊がなくて済めば、その方がよいのである。しかし、外敵の存在と版図の広大さがそれを許さない。寧ろ、軍隊は必要不可欠であるために、その発言力は必要以上に強大化した。五賢帝の時代が終わるまで皇帝8代111年の間(69年~180年)、皇帝と軍隊の協調の時代が訪れた。特にトラヤヌス帝は軍隊の支持も絶大で「最良の君主」と呼ばれる。このトラヤヌス帝の時に、ローマ帝国は最大版図となる(116年頃)。

 だが、最良の時代の後は、衰亡の歴史が始まる。ギボンの『ローマ帝国衰亡史』は、トラヤヌス帝の時代から記述が始まるのである。

 116年を最大版図として、すぐに帝国の縮小がはじまった。パルティアの反攻、ユダヤやエジプトでの反乱の為、トラヤヌス帝はアッシリアとメソポタミア南部を放棄せざるを得なくなる。ほどなく病没したトラヤヌス帝の後を継いだハドリアヌス帝は、対外政策を守勢に完全に変更し、その上に足繁く帝国領内を視察して回らねばならなかった。
この後、ローマがどう衰退していくかは、ギボンの「ローマ帝国衰亡史」に詳述されているが、ローマにとってのターニングポイントは、まさに、カエサルによるガリア遠征から、アウグストゥスによる帝政以降の、まさに、「ローマの軍国化」すなわち、ランドパワー化にあることが分かるであろう。
簡単に言うと、ガリア制圧以降のヨーロッパ内陸部への拡大策と常備軍拡大、将軍と兵士の個人的結びつきといったローマの軍国化路線そのものが、実は衰退要因であり、版図拡大に終止符が打たれたトラヤヌス帝以降、まさに軍人皇帝乱立の時代を経て、ローマは崩壊していく。つまり、戦争するために拡大した軍事組織がそのまま、衰退要因になったのだ。
なぜ、ここまで私がローマの事例にこだわっているか、おわかりであろうか。すなわち、ローマが帝政化し、そして衰退した理由というのは、第二次大戦後、産軍複合体に支配されたアメリカが成長し衰退した理由と全く同じだからだ。
つまり、第二次大戦を通じ、アメリカは軍事部門が突出することで大恐慌以来の不景気を払拭したが、結果として産業構造が大きく変質し、軍事部門を支えるべき民間部門が育たなくなったのだ。
我々の身の回りを見ても、アメリカ製の製品は存在しない。この事がアメリカの産業構造を物語る。
この過程を見てみる。1919年第1次世界大戦の戦後処理が行われ、1929年に世界大恐慌になる。全世界が不景気になったのだ。そこで、それぞれの国は対応策を講じた。たとえば、アメリカはニューディール政策を行い景気回復しようとした。ソ連は計画経済を推進し景気回復を図った。イギリスは本国の商品をイギリスの植民地に売りつけ財を吸い上げることで自国の景気を回復しようとした。つまり、各国は自国の資源や財を外に流出するのを防ぐことで、
 自国の財をふくらませ景気回復しようとしたのだ。
しかし、これらの国が大恐慌以前の経済水準を回復するのは、
第二次大戦によって大量に物資を消耗し、雇用を創出し、軍需産業が大きな財をもたらし、はじめて、世界は景気を回復した。いや正確には戦勝国の景気は回復した。第二次世界大戦が始まるや、「国家総力戦」を戦い抜くためにも、どうしても鉄鋼や自動車や航空機や石油・・・などといった基幹産業をリードする巨大企業(産軍複合体)の存在が必要不可欠の要件となり、いつの間にか独占禁止法体制は無視されるようになり、かえって「勝利の足を引っ張る元凶」として軽蔑すらされるようになった。

この「産軍複合体」が戦後のアメリカの国家戦略を根本から規定し、大統領すらも意のままに操った。これが、帝政期のローマ皇帝が実質的には常備軍の傀儡となったことと同じなのだ。

 軍事組織とは、洋の東西を問わず、そのこと自体は消費主体でしかなく、生産をもたらさない。補給や維持費は膨大で、常に対外拡張に戦争を継続し組織防衛はかるという本能をもつ。

 すなわち、戦争がなくなり、対外拡張をやめてしまうと、軍事組織が不良債権化し、抵抗勢力と化し、内乱に繋がるということだ。つまり、「不断の対外戦争」を抜きにして、膨大な軍事組織は維持できない。ローマが嵌った陥穽とは、まさに、これだし、第二次大戦後のアメリカもこの状況から脱却できなかった。

 こういう軍国体制の最大の問題は軍事的敗北や撤退が国家の衰退に直結することだ。ベトナム戦争後、長期低落にあるアメリカはまさに、このスパイラルに陥ったのだ。
 
国家の衰退は、通貨価値下落に最もよく反映される。これは、現在の管理通貨というものが、価値の根源を「国家の信用」においているからだ。このような視点で見ると、米ドルの長期下落傾向ははっきりしており、唯一、世界最強の軍事力により中東を支配する事がその担保になって基軸通貨の座を占めているといえる。

裏を返せば、米軍が中東の支配権を失うとき、ドルは基軸通貨の座を失い、アメリカは19世紀の状況の戻るということだ。

現在、アメリカはイラクからの出口戦略を模索している。
下院で可決された撤退法案に大統領が拒否権を発揮しようがどうしようが、アメリカの国家意思として、「イラク撤退」、その後に来る「中東からの撤退」はもはや既定路線だろう。

背景として、軍事組織を維持する経済が破綻している。これは、民間部門がなく、軍事部門が突出して滅んだ旧ソ連と同じだ。

<参考>
------------引用--------------
http://www.tokyo-np.co.jp/00/kok/20070324/eve_____kok_____000.shtml
イラク撤退法案可決
米下院 大統領は拒否権行使へ
 【ワシントン=久留信一】米下院本会議は二十三日、二〇〇八年八月までに駐留米軍の戦闘部隊を撤退させることを定めたイラク戦費関連の〇七年度補正予算を賛成多数で可決した。ただ、ブッシュ米大統領は同日、拒否権行使の方針をあらためて表明しており、法案成立の可能性はほとんどない。
 採決結果は、賛成二一八に対して反対二一二。「イラク戦費を承認すべきではない」とする民主党の一部議員グループが反対に回ったため、過半数ぎりぎりでの可決という際どい結果となった。
 法案可決後に記者会見したペロシ下院議長(民主党)は「議会の投票は、戦争終結に向けた大きな一歩だ」と強調。今後は上院の審議を待って法案一本化作業を進める方針を示した。
 一方、ブッシュ大統領はホワイトハウスで声明を発表、「現場の状況をわきまえない独断的な撤退日程を設定した」と指摘。「法案が私のデスクに届いても、拒否権を行使する」と法案審議を主導した民主党を批判した。
------------引用--------------
 アメリカの中東からの撤退はベトナムからの撤退どころの騒ぎではなく、ローマ帝国がアルプス以北と地中海全体を失い、都市国家に戻ると同じようなインパクトをもたらす。中東を失えば、中継基地である日本や欧州の米軍基地も意義を失うからだ。つまり、アメリカの世界からの撤退に繋がる。
これは、穿った見方をすれば、大恐慌から第二次大戦を通じ、民主党を通じアメリカを乗っ取った国際金融資本が、アメリカから撤退していく兆候といえる。彼らは、ベニスからスペイン、オランダ、イギリスと拠点を移し、常に経済的利潤を追求してきた。その反面、現地ローカルの貴族は常に食い物にされてきたのだ。アメリカでも同じことをやったとみるべきだ。
問題は、民間部門に代表される経済が衰退し、結果として覇権を失うアメリカは世界に何を残すのかということだ。結論から言うと、アメリカは核を含む軍事力と情報力に関しては、世界最高水準を誇っている。
そして、その両者の根本的価値「ソフトウエア」にある以上、アメリカという国土にこだわらないのだ。簡単にいうと、「ソフトを開発できる頭脳の持ち主」がいるところが世界の覇権を握るということになる。
それが、戦後、長らくアメリカであったということだ。そして、ベトナム戦争以後それらのソフトを支えるべき経済力を失い、日本がその部分をファイナンスしてきた。これが、戦後の日米関係の真実だ。
戦後、シーパワー連合を組んだ日米は、経済を日本、軍事をアメリカが分担したといえる。この点につき、吉田ドクトリンについて書いた以下が参考になるだろう。
日本はアメリカと全く逆の、軽武装民需中心国家を目指し、結果として、非常に裾野の広い産業構造すなわち軍需産業の基盤を生んだのだ。戦前のアメリカがT型フォードに代表される自動車製造ラインを大戦中に航空機製造ラインに変え大量生産を果たしたことを想起されたい。その逆を日本は戦後やったのだ。
<参考>
------------引用--------------
http://www.teamrenzan.com/archives/writer/edajima/_1.html
戦後日本の総路線は、1951.9.8日のサンフランシスコ講和条約、その5時間後の日米安全保障条約の締結により決着した。これを遂行したのが吉田茂首相であったが、この時吉田首相は、米国陣営側に与することを決定している。同時に講和後も米国軍を恒久的に残置させ、米国との軍事同盟締結を決断している。
 このような形で日本は形式的には主権を回復し、実質的には外交や安全保障をアメリカに依存した。これは、表面上は吉田首相の決断とされてるが、実際は昭和天皇の意思だ。その意味で、「陛下ドクトリン」と呼ぶべきであり、この点はいずれ改めて書くが、今回は吉田ドクトリンという一般的呼称にしたがうこととする。

 この時の吉田首相の判断がどう評価されるべきだろうか。吉田首相の「自由主義陣営(シーパワー)への確固とした信頼、共産主義陣営(ランドパワー)に対する不信」は、今日では英明な判断であったことが判明している。
 曰く、「共産政権誕生以来、ソ連は5千万人、中共は2百万の国民を殺したといわれる。人民を多数殺戮するような国に、何の進歩、何の発達、何の自由があり得るのか」の批判は、外交官時代の経験に拠ったものと思われるが、この当時における見識として優れていたものであった。

 (注) 2百万人: これは、吉田首相当時に言われていたもので、文化大革命・大躍進時代以降のものは、一切含まれていません。中共は現在にいたっても戸籍が曖昧で、人口統計すら不明です。政府が人民を何人殺したかの具体的統計は無いと思います。あくまで概算で、種々の数字が発表されています。

△ 中共の自国民殺害数: 合計1億3000万人
文化大革命関連: 2000万人(トウ小平談話)
失政飢餓(大躍進 粗鋼製鉄運動): 4000万人(書物)
革命後の国民党関係者と家族の処刑: 6000万人(推定)
常時強制収容所での処刑: 1000万人(推定)
 も、その例です。(注完)

 吉田首相には次のような認識があった。「占領6年有余にして、日本は一日も早く独立を獲得せねばならぬ、とする私の考えはいよいよ強くなった。全面講和は理想としてはいいかも知れぬが、当時の国際情勢、殊に米ソの冷戦のもとにおいては、それは一場の夢に過ぎない。平和条約で独立は一応回復した。しかしこれは主権回復という意味での政治的独立であって、経済的独立には未だ前途尚遠しである。しかも、経済的独立に専念するためには、国の内外における安全が保障されねばならぬ。しかし、当時の我が国の経済状態は再軍備の負担に耐えるべくもない。況や、我が国の新憲法は厳として再軍備を禁じているにおいてをやである」。
 要するに、コストがかかる外交や安全保障をアメリカに任せ、対米輸出を基軸にした産業立国を目指すということだ。この戦略は、米ソ冷戦下では、有効に機能し日本は経済大国となった。

 問題は、イラク戦争を契機としてアメリカの国力が相対的に低下しつつあり、「外交安保の対米依存」が客観的に不可能になりつつある点だ。吉田ドクトリンそのものの前提が崩れているのだ。
 吉田ドクトリンは軽武装で、経済中心だが、この路線を維持するのに憲法9条が役立ったといえる。これを、日本の産業構造の観点からみると、戦前の軍事産業中心から、民需産業中心への大転換だ。
 言い方を変えると、戦後の改革で陸海軍や財閥をはじめとする軍事産業が解体され、「軍事技術の民生利用」が図られたということだ。新幹線の開発に海軍の技術者が参加した例はその典型だろう。

<参考>
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h16/jog359.html
Japan On the Globe(359) 国際派日本人養成講座 
   人物探訪:島秀雄 ~ 新幹線の生みの親
 島は戦前から、いずれ高速で走る電車列車の時代が来ると読んでいた。昭和20年12月、敗戦からわずか4ヶ月目、海軍航空技術廠の技師だった松平精を鉄道技術研究所に迎えて、こう依頼している。
 『松平さん。私は、将来、日本に電車形式の高速長距離列車を走らせたいと思います。しかし、いまの電車は振動もひどいし、音もうるさい。とても長時間、お客様に乗っていただく車両とは言い難い。ぜひ、あなたの航空技術の知識、研究を生かして、この振動問題を解決していただきたい。』[2、p89]
 松平精は、零戦をはじめ海軍航空機の振動問題を解析するスペシャリストで、35歳の若さですでにこの分野の権威であった。 松平は、敗戦の焦土の中でも、将来の日本の鉄道について斬新で具体的なビジョンを語る人物がいることに感銘を受けた。
 終戦直後、松平のような軍の技術者が大挙して鉄道に移り、鉄道研究所だけでも職員が500人から1500人に増えた。これらの、かつて戦闘機を開発した技術者たちが、戦後復興の執念をもって鉄道技術開発に取り組んだのである。
 「優れた高速車両を作り出すためには、まず車両の振動理論を完成させることが先決」という島の方針に従って、理論好きの飛行機屋たちと、経験豊かな鉄道屋たちが白熱の議論を展開しながら、車両の振動理論を完成させていった。当時、欧米でも、高速電車列車という発想はなく、振動理論も手つかずであった。この振動理論の完成によって、日本の車両技術は欧米に大きく水をあけた。戦後の新幹線には、戦前の零戦などの技術伝統が継承されていたのである。
 この流れは、プレーステーションが軍事シミュレーションに転用されかねないとして規制対象になったほどだし、ホンダのアシモは最先端の軍事歩兵に転用できる。
 日本の防衛費そのものは5兆円前後で、GDPの1%程度だが、防衛産業自体の裾野は限られているが、上記のような歴史的背景により日本の企業には、防衛産業に転換できる技術やラインが多数ある。
 官需主導の軍事大国が旧ソ連のようないびつな産業構造をとり、結局はつぶれたことを見ても、日本の産業構造はバランスが取れ、かつ膨大な裾野分野を生んだ点で、ある意味、理想的だろう。
 逆に言えば、プレーステーションやアシモを国家予算の投入なしに、民間が商用を前提として開発することは、国際的には異常なことであり信じがたい現象だ。プレーステーションは軍事シミュレータ並みの能力があるが、その目的で開発されたわけではなく、子供のおもちゃなのだ。

 <参考>
世界各国の軍事力あるいは軍事傾斜度を示すため、軍事力人数(Total armed forces)と軍事支出対GDP比
http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/5220.html
 米国の軍事支出対GDP比は3.4%と大きい。経済規模(GDP)自体の大きさを考えると米国が世界最大の軍事大国である点はいうまでもない。
 軍事支出対GDP比が5%以上の高い国としては、エチオピア、エリトリアといったアフリカの国、及びシリア、サウジアラビア、イスラエル、ヨルダンといった中近東の諸国であり、紛争を抱えている地域の状況をうかがうことができる。
 日本は24万人で、グラフの諸国の第21位となっている。軍事支出対GDP比は1.0%と世界の中でも最も低いレベルである。
 言い方を変えると、戦後の日本は憲法9条のもと、防衛産業は抑制的にして、民需中心にしてきたのだが、結果として「民需の中に膨大な軍事技術転用可能な技術が蓄積」されたということだ。
 これは、何を意味するのだろうか。これは、国家が関与しない分野で、膨大な軍事産業が樹立されたという、史上、おそらく初めてのケースだろう。言い方を変えると、官民一体となって、真に防衛産業を育成し、軍事大国を目指すという国家意思を決定をすれば、分野によってはアメリカを上回る軍事技術大国になるということだ。
 よく言われていることだが、日本はF15を三菱がライセンス生産しているが、アメリカ製よりはるかに性能がよいという。F2攻撃機のレーダー性能はこれもアメリカ製を大きく上回るという。通常動力の潜水艦も純日本製だが、これも、アメリカ製の性能を上回る。また、横須賀ドックの整備能力は世界一だ。
 問題は、自動車や家電で、日本の製品がアメリカ製を駆逐したのと同じ事が軍事分野で起きた場合、日米関係は決定的に悪化するため、日本は軍事大国を目指せないということだ。FSX計画をアメリカが潰した意味もそこにある。アメリカは日本を恐れている。

 ここまでの状況を要約すると、戦後日本は冷戦構造を利用して、外交、安保をアメリカに依存し、経済中心の産業立国を目指し成功した。軍事面では憲法9条の制定が、結果として軍事技術の民生分野への展開から、民需主導の産業立国となり、知らないうちに防衛産業の裾野は大きく民需の分野に広まった。GDP費1%程度でもアメリカにつぐ軍事力を有しており、防衛費を国際標準のGDP比3%にし、官民が力を合わせて軍事大国を目指せば大幅な軍拡は可能だが、それは、製造業において主要産業がほとんど破綻し、軍事産業しか残っていないアメリカの戦略と衝突することになる。
 つまり、保守派が言うような、憲法9条を改正すれば、軍事的にフリーハンドが得られるというような単純な話ではないのだ。
------------引用--------------
現在、中東諸国のドル離れの傾向が甚だしく、結果としてドル暴落の可能性が高まり、アメリカの覇権失墜が現実のものとなろうとしている。イラク戦争は、そのような中で、ドル価値を軍事力で担保しようとした試みであったが、結果は失敗だった、あるいは、若干の延命にはなったといえようか。
 そして、アメリカの優位が軍事部門、情報部門のソフトウェアにあることが理解できれば、次に来ることは、ソフト分野の人材引き抜きだということがわかる。これは、会社が傾いた時点で、優秀な人材はヘッドハントにあうことと同じだ。逆に言えば、アメリカの立場で考えれば、この人材をつなぎとめる事に成功すれば、間接的な世界の支配は可能だということだ。
つまり、コストのかかる軍隊や艦隊をリストラし、情報部門と核部門のみを押さえるという行き方、経営学でいうところの「コアコンピタンスへの選択と集中」という戦略だ。
リストラされる標的は金食い虫の空母機動部隊や陸軍だろう。米軍再編はこのような文脈で理解すべきであり、平たく言えば、本社は研究開発に特化し、現業部門は分社化し、子会社化する、あるいはアウトソースするということだ。これこそが、アメリカの衰退管理であり、ソフトランディング戦略の根幹だ。
ここに、現業部門である、空母機動部隊を日本がリースするという点で日米の利害の一致があることになる。かって、冷戦時代、ソ連がバックファイヤを運用しだした頃、アメリカは米空母を守るためイージス艦を日本に運用させたのと同じだ。その際も肝心のレーダーのソフト部分は当然非公開にした上でだが。
 極論すれば、アメリカはエシュロンや情報衛星によるインテリジェンスと戦略原潜による核抑止力以外、全ての軍隊を同盟国に運用させたいととすら考えている。これが、今後の日米関係の基本的な姿であり、日本が向き合わなければならない現実であり、防衛省発足もこのような文脈で理解すべきだ。
 簡単に言えば、「情報と核による世界の間接支配」こそが、アメリカのとりうる唯一の戦略であり、そのためには、最高のソフトウェア人材を確保する必要があるということ。
 このような視点でイラク戦争を考えると、ネオコン追放後、明らかにゲーツやネグロポンテに代表される情報戦略のプロが国家運営の表舞台に帰ってきたように感じている。六カ国協議による中朝離間やイランのアメリカ陣営への寝返り調略等、どちらも、成功すると私は見ている。
逆に言えば、アメリカには、大規模な陸軍の派兵は財政的な理由でそもそも不可能なのだ。結果としてCIAに代表される「情報力による支配」すなわち、調略や謀略しか、とり得る戦略はなくなっている。これに失敗したら、最後には核しか切り札が残されていない。その最後のカードを使う状況にならない事を、強く願う。アメリカの核は未臨界核実験を繰り返し、精度を保っている。この点が、核実験を長らくおこなっていない中国やロシアと異なっている。つまり、アメリカの核と中ロの核は真剣と竹光ぐらいの違いがある。真剣を抜かせてはいけない。
以上
2007/03/25(日) 18:04 | URL | 孔明 #-[ 編集]
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2007/03/20(火) 08:09:54 | 日々是勉強
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